「はあ?なんで私が?」
「だってジュンさんが部活来なくなって俺らめっちゃ困ってるんすよ?俺を助けると思って!」
「利央が言っても聞かないのに、なんでここで私なのよ」
「だって名前先輩、ジュンさんに気に入られてるじゃないですか!」



そんなこんなで、我ら桐青高校の夏が終わり、一週間。エース番号を背負っていた男・高瀬準太がそれ以降部活に参加していないというのだ。西浦高校という今年硬式野球部ができたばかりの一年生チームに負け、一回戦敗退という、去年の優勝校のうちにとっては残酷な結果だった。負けたことに対して、高瀬が自分を責めるのも無理ない。しかし、部活に出ないというのは問題だ。残りの部員も困るだろう。高瀬を説得したいのもわかる。しかし、どうしてそこで私に白羽の矢が立ったのか。高瀬に気に入られているというより、利央に懐かれていると言った方が正解だろう。





帰りのSTが終わり、教室からぞろぞろと生徒たちが出てくる。私はその波に逆らい、高瀬のクラスまで辿り着いた。高瀬は、自分の机に寄り掛かるようにして立っていた。何かを考えているようで、何もかもどうでもいいと思っているような、そんな、まぬけな顔。クラスメイトも気を遣ってか声すら掛けないで通り過ぎていく。クラスでもチヤホヤされてた高瀬がねえ。これは思っていたよりも深刻そうだ。私は眉間のしわを濃くした。


「たーかーせー」
「…おう、名字か」

隣まで歩いていくと、やっと気付いて渇いた笑顔を見せる。

「最近部活行ってないんだって?」
「…あー、まあ…な」
「何?辞めるわけ?」
「辞めは、しない、と思うけど…なんつーか……気合い入んなくて」
「ふーん?」


嘘ばっかり。
ただ悲しいだけのくせに。悲しくて悲しくて、涙も出ないくらい悲しいだけのくせに。自分の無力さを思い知って、絶望して、落胆して、恐ろしくなっただけのくせに。完全燃焼しちゃって、エネルギー使い果たして、何も手につかないだけのくせに。


「高瀬がいないと、他の部員が困るでしょ」
「……」
「早く部活行ってあげなってー」
「……」
「いつまでうじうじしてるわけ?」
「……」
「……夏は、終わったんだよ」

ああ、私ってサイテー。そんなの、高瀬の方が痛いくらい知っているというのに。


「…そうだよなあ。終わっちまったんだよなあ、俺たちの夏は。あいつらは、それでも部活行っていつも通り野球できるんだよな。気持ちの切り替えが早いっつーの?俺には真似できないな。だって、ついこの間まで夏大だったんだぜ?そのちょっと前には、和さんたちと練習してたんだぜ?それを負けたからハイ、さよなら俺たちはまた野球がんばりまーすってできるか?できないよな?ふつう。なのにあいつらときたら、さっさと部活出ていつものように練習して、声出して、笑って……むしがよすぎだろ、そんなの」


私は、何も言わずに高瀬の右頬をぶった。それっきり高瀬の饒舌は止んで、透きとおった瞳を細めた。私が夏は終わったなどと意地の悪いことを言ったのがいけなかったのだけれど、だからといって、自暴自棄になって強がってセオリー通りの文句を返さなくてもいいじゃないか。
叩いた頬が、ほんのりと赤くなりだした。


「そんなこと、思ってもないのに言うな!」
「……」
「他の部員が完璧に気持ち切り替えられてるとか、平気で部活出て笑ってるなんて、悲しいのが自分だけなんて、そんなこと全然思ってないくせに、なんでそんな嘘言って自分をごまかすの!」
「…なんで嘘だってわかんの。ほんとかもしれねーじゃん」

高瀬は、拗ねたような声で言う。高瀬のばか。なんで嘘ってわかるって?三年生たちと一生懸命汗水垂らして練習してきたのは高瀬だけじゃない。部員全員だ。三年生を尊敬して慕っているのも高瀬だけじゃない。部員全員だ。そのことを、身をもって経験してきたはずの高瀬がわからないはずがない。きっと、つらさに打ち勝てない自分自身に呆れて、憤怒しているのだ。高瀬は気持ちを隠したり曲げたりできない馬鹿正直者なのだ。だから、こんな中途半端なふわふわと地に足が着かない状態で、みんなと一緒に部活に出るのは悪いと思っている。高瀬のばか。でも、そういう高瀬だから好きなのだ。部員の人たちも、私も。



「だって、今まで私が見てきた高瀬準太はそういう男だったよ」


そう言うと、高瀬は観念したかのように微笑んだ。


「じゃあ、お前の高瀬準太像を壊さないようにしないとな」
「おっ、部活行く気になった?よっしゃ、任務無事完了!」
「で、誰に聞いたんだよ、俺がサボってること」
「利央」
「あー、あいつお前のこと好きだよな」
「だよね。私もそう思う」
「…否定しろよ」

高瀬はジト目で見てくるけど、私は高瀬が部活に出てくることになったのが嬉しくて笑った。私はまた、桐青高校野球部のエースと、こうして軽口を叩けるようになったのだ。非常にめでたい。いつも練習試合を見に来てくれと利央がうるさいので、今度の週末にでも遊びに行こっかな。その時、目の前のピッチャーさんが十分試合で投げれるくらいの肩をつくってマウンドに立ってるかは謎だけど。



「俺も、お前のこと好きだよ」


すっかり今週末に思いを馳せていた私に、すごい言葉が飛び込んできた。


「はっ、は!?じょ、冗談やめてよ」
「冗談じゃないよ」

体中の体温が上昇するのがわかる。目頭が熱い。高瀬は、先ほどまで腰掛けていた机から勢い良く飛び降りて、エナメル鞄を肩に掛けた。今にも教室を出ていかんばかりだ。


「ちょ、ちょっと、どこ行くの!」

そうやって声を掛けると、高瀬はこちらを振り返って、にかっと笑った。その笑顔に、私は何も言えなくなった。







俺のいるべき場所




彼は、グラウンドへと駆けて行った。