俺は綺麗事が嫌いだった。綺麗事と言うより、“お決まり”と言ったほうがいいかもしれない。むしろ、それを好んでいる奴が嫌いだ。まったくもって理解できない。まあ、そんなのは人の勝手であって、俺がつべこべ言っていいことじゃないから面と向かっては言わないけど。特に女は理想が高過ぎだ。夢の見すぎ。異世界トリップ?ハア?お前そんな顔で出会う男、出会う男に好かれる自信あんの?しかも向こうの世界に順応過ぎだろ。もっと戸惑えよ。あと、媚薬飲ませて行為とかもなんか犯罪の匂いするよな。ていうか、あんなに感度良くなるわけねーじゃん。こういうのの描写ってほんとに都合良く書かれてるよな。初めてならそんなスッポスッポ上手くいくわけねえし、女だってリアルじゃ「イク!イク!あっ…もっと…!あなたの中気持ちいいよお」なんて言わないし、実際の行為なんてのは淡泊なもんよ。両親は海外勤務行ってていないとか都合良過ぎだし、学生で男女で同棲生活とか有り得ないし、男装で入学とか絶対無理だから。だいたい、結構前に流行った小説だってそうだよな。ただのタラシの話じゃん。不良と付き合う→レイプされる→彼氏が病気で死ぬのパターン多過ぎだろ。そんなにレイプされたいなら俺がその顔にミカンキャラメル塗りたくってやるよ。S彼氏だの、俺様執事だの、現代の女はドMが多いんだな。でも、そういう奴に限ってリアルで言われたらムカつくだの生意気だの冷たいだの傷付いただの言うんだぜ。お前のドM体質は二次元限定って自覚しろよ!






「…今回はやけに荒れてますなあ」
「…べつに。今まで思ってたことを言ったまでだ」


名前は仕事机に向かいながら困ったように笑う。そりゃ困るよな。そういうお決まりな内容の漫画を書いてる横で、彼氏から自分の仕事のことをそんなふうに言われたら。でも別に、俺は名前の仕事を馬鹿にしてるわけでも辞めてほしいわけでもない。名前がそれが好きだっていって仕事続けてくれてりゃいい。それがどんな仕事だって。



「映画見に行けなくなっちゃったこと、怒ってる?」
「………」
「ごめんね、カラーの締め切りがもうすぐで…」


名前の部屋はファンシーだ。家具がフルーツの形をしていたり、ぬいぐるみがいっぱい置いてあったり。まさに女の子ってかんじ。だけど、仕事机のまわりだけもうやたら汚くて、壁には資料とか写真がいっぱい貼り付けてあって、ああやっぱりコイツは漫画家なのだなと思い知らされる。コイツは立派な、漫画家だ。世に自分の漫画を送り出すために、身を削って仕事をしているのだ。なのに俺は、二ヵ月ぶりのデートが無くなっていじけて、今だってこうして部屋に上がり込んで愚痴ばっか言ってる。いい歳した大人が情けない。自分が自分で嫌になる。



「ねえ、孝介。孝介が言った通り、漫画や小説は“上手い”話ばかりだよ。パン咥えて曲がり角でぶつかったイケメンが転校生で隣りの席だなんてことは、まず無い」
「だろ?じゃあなんで、そんなのが流行るんだよ」
「それは、人は予定調和を求めているからだよ」
「予定、調和…?」
「現実は、綺麗な事より、理不尽な事の方がよっぽど多いよ。だからこそ、人は漫画を読み、小説を読み、辛い現実の分だけ甘い幻想を求めるんだよ。あまーい夢にどっぷり溺れてそのあまーい境遇に酔ったりするの。足りない“綺麗事”を補うみたいに」
「補う…」
「そう。だって、小説の世界も現実と同様に生々しいだけだったら、小説なんて誰も必要としないよ」
「…名前って、あんな痒くなるような漫画書いてるのに結構考えてるんだな」
「それは褒め言葉と受け取ればいい?まあ、私の書いてる漫画は小学生向けだからね。中高生向けだとまた違うんだろうけど」


いつもふわふわ宙に浮いているような発言をしている名前と、こんなシビアな意見交換をする日が来るとはいやはや。日本の未来もわからん。



「私は漫画家になるくらいだから漫画がとっても好きで、数え切れないほど読んだけど、やっぱり現実とは違う。特に性描写。初めて本物を体験した時はもう全てが違ったね。ま、処女捨てる時は気持ち良くなくて当たり前なんだけど。なーんにも漫画みたいに綺麗なものは無かった。思ってたより気持ち悪いなって思った」
「それ俺も含まれてる?」
「んー?どうかなあ?……まあ、とびきり上手くはないよね。大きくもなく」
「ころす」


イラついた勢いで、名前を押し倒してみる。両手を頭の上に固定する。うわ、なんかそそる。


「“いっ、いずみくんやめてよ…!こんなとこ、誰かに見られたりでもしたらっ…”“いいじゃねーか。お前のそのいやらしい顔もっとみんなに見てもらえよ”“あっ…ゃ、んっ…”“あんなに嫌がってたのに身体はこんなにも素直だぞ?”」
「おい、やめろよその一人二役。ちんこ萎えた」
「あら、ごめんなさい」
「………」
「さーて仕事に戻らねば」


名前はそう言うとスルスルと俺の下から抜け出して、またあの汚い仕事机に向かった。作業、始めんのかな。じゃあ俺邪魔になるから帰らねーと。もうすぐアシスタントの人が来る時間だしな。「俺そろそろ帰るわ」と名前に声を掛けて、玄関で靴を履く。ドアに手を掛けたところで、トタトタとフローリングを鳴らしながら名前が出てきた。「こ、孝介」何か忘れ物でもしたかな?



「漫画家なのにこういうこと言っていいのかわかんないけど、私は今はもう漫画や小説だけじゃ酔えなくなっちゃったよ」
「名前?」
「孝介がいなきゃ、ドキドキなんてできない」
「……」
「……」
「……」
「だから、また映画行こうね」
「…おう」
「私、孝介の映画のセンス大好きだから、次のも楽しみにしてるね」
「わかった。とびきりの探しとく」



ドアノブをひねって押すと、小さな隙間から漏れる夕日に思わず目をつぶった。別れの挨拶を告げようとして振り返ると、名前が裸足のまま玄関口まで降りてきて背伸びをしながらキスをした。俺は瞬きをふたつ。名前は笑う。



「またね」



久しぶりにキュンとした。まるで、少女漫画の主人公にでもなったみたいだ。俺をそんな気分にさせるなんて、さすが名前大先生。次回も期待してます。