試合が終わった後、みんなが片付けをするのを待って、栄口くんと一緒に帰ることになった。初めて、一緒に学校から帰る。その事実だけで、天にも昇れそうな勢いだった。阿部くんにもしっかり見抜かれてて、「ヘマすんなよ」だなんて忠告を戴いてしまった。

まだ六時だと言うのに、空はもう夜の準備を始めている。


「私、あんなに間近で野球の試合見たの初めてかもしれない!夏の大会は用事があって行けなかったし」
「でも、一回ボールが名字さんのところに飛んでった時、大丈夫だった?」
「あ、うん!びっくりしたけど、大丈夫だったよ!」
「そっか。よかった」
「それにしても、すごかったなあ。なんかもうみんな動きが速かったよね!ボール取ってから投げるまでとか!水谷くんもあんなに遠くに投げられるなんてすごいなあ。栄口くんも、ボールを取って、くるっと回りながらパスしちゃうし、ツーベースヒット?だっけ?千代に教えてもらったんだ!それもすごかったね!あんな速い球をあんな遠くまで飛ばしちゃうんだもん!」


ふと気付くと、しゃべっているのは私だけ。栄口くんは何も言わずに私のことを見て笑ってる。しまった!しゃべり過ぎた!

「ごっ、ごめん!ちょっとテンション上がっちゃって…。落ち着きます…」

恥ずかしくなって下を向く。栄口くん、びっくりしたかな?引かれたかな?もしそうだったらヤダなあ。ヤダどころじゃないよ。死んじゃうよ。栄口くん、今どんな顔してるんだろう。
私が顔を上げるより早く、彼は私のことを突然抱きしめた。
え!え?え!なんで!嬉しい…けど恥ずかしい!だってここ外だし!誰かに見られたりでもしたら…!


「さ、栄口くん…?」

色々な疑問を、この一言に込めてみる。栄口くんに伝わっただろうか。

「あっ、ごめん」

そう言って栄口くんは身体を放した。秋の木枯らしが身に染みる。

「あの…今から変なこと聞くね」
「え?う、うん」
「名字さんはさ、俺のこと…好き?」
「そ、そりゃもう…!」
「…そ、っか」
「う、うん…」

しまった。もっと可愛い答えを言うべきだった。なんだか空気が重い。心臓の奥がムズムズする。

「俺も…好きだよ、名字さんのこと」

栄口くんに、面と向かって好きと言われてしまった。恥ずかしい上に、嬉しい。なのに、なんで、栄口くんは寂しそうな顔してるの?何か不安?私のこと、本当は好きじゃない?嫌な予感が身体中をめぐる。何か、言わなきゃ。なんて、言えばいいんだろう。こんなにも栄口くんのことが好き。どうして、恋人になったのに伝わらないんだろう?どうして、恋人になったのに栄口くんの気持ちが伝わってこないんだろう?何か悩んでいるなら、受け止めて、力になってあげたい。だって、こんなにも、私は栄口くんが好き。大好きなの。


「さ、栄口くん…」

勇気を出して発した声は、頼りなく震えていた。栄口くんの手を握りたいと思ったのに、そこまでの勇気はなくて、結局今私が掴んでいるのは彼の服の袖。栄口くんの長い指が寒さで赤くなっている。本当は、握って温めてあげたいのに。

「本当の気持ち、言おう…?私、頼りないかもしれないけど、栄口くんが悩んでるんなら、聞いてあげたいし、力になりたい…」
「名字さん…」

栄口くんは眉を歪ませた後、もう一度私を抱きしめた。恥ずかしさよりも、切なさの方が勝る。

「俺、ちょっと、不安だったんだ。俺にはわかんない名字さんのこと、他の奴の方がよく知ってて…」
「…え、それ?栄口くんの悩んでたこと」
「うん…」
「なんだあ。そんなの、私もだよ」
「え?名字さんも?」
「うん。千代とか阿部くんとか、みんなが栄口くんのことを教えてくれるの。その度に、私ってそんなことも知らないんだなあって」
「うん…」
「でも、これから知っていけばいいんだよ。私は、栄口くんのこと、もっと、いっぱい知りたい」
「うん。俺も」

抱きしめられているおかげでお互いの顔が見えないからか、素直にスラスラと話すことができた。


「じゃあ、名字さんの好きな食べ物は?」

腕を解いて、栄口くんが茶目っ気を含みながら尋ねてくる。

「うーん、エリンギかなあ」
「エリンギ?きのこの?」
そう言って笑いだす。

「ちょっとー、笑わないでよ、ね」
「ごめん、ごめん。なんかイメージ違ったから」
「イメージ?」
「てっきりアイス、とか、オムライス、とか言うと思ってて」
「なにそれー。じゃあ、栄口くんの好きな食べ物は?」
「俺?俺はねー、ケーキ!」
今度は私が笑う番だった。

「えっ、なんで!おいしーじゃん、ケーキ!」
「美味しいけど、まさかケーキと言うとは思ってなくて」
「じゃあ何だと思った?」
「えー、枝豆、とか…」
「枝豆?」
「うん。うちのお父さん枝豆好きだから、男の人はみんな好きなのかなーって」
「あはは!お父さん!」

そう言って栄口くんは笑い続けた。笑いのツボ、わかんないなあ。


「へんっくしゅ!」

私のマヌケなくしゃみが静かな住宅街に響く。

「寒いね。早く帰ろっか?」

さっきまで爆笑していた栄口くんが途端に優しい顔付きになって、そう言った。私の手を握りながら。へっちゃらそうな顔をしてるけど、彼は今、私の手を握るのにどれだけの勇気を使ったのだろう。そう考えたら、恥ずかしさよりも可愛さの方が上回ってしまった。口元がにやけてしまう。


「ずっと、こうしたいなーって、思ってた」

ぽつりと本音が漏れてしまった。幸せな気持ちが油になって、私の心のブレーキを緩くする。
栄口くんはこっちを向いて立ち止まった。彼がにっこり口元を綻ばせるので、白い息が空気に混じって消えた。ちょっとの、静けさ。私の唇に、栄口くんのそれが優しく触れる。


「俺も、ずっと、こうしたかったよ」


私はなぜだか彼の言葉を咀嚼して理解することができなかった。そんな余裕、身体中を探しても、何処にもなかった。そんな私をよそに、栄口くんは私の頬を両手で包み込む。

「まっか」


栄口くんのその幸せそうな顔に、真っ赤になってよかった、だなんて思ってしまった。