私と栄口くんが付き合い始めて、早一ヶ月。本当に月日が経つのは早い。早すぎる。もたもたしている私たちを置いて、月日だけがスピードを上げて走り去ってしまう。この一ヶ月、私は何をしたというのだろうか。報告したら、千代もすごい喜んでくれたし、阿部くんもよかったな、と言って頭を軽く撫でてくれた。前より栄口くんと普通に話せるようにもなった。おやすみのメールもする。でも、それだけ。それだけなのだ。一緒に帰ることも、手を繋ぐことも、キスだって、まだ。そういう類の経験がない私でも、付き合って一ヶ月でここまで何もないっていうのは、ちょっとおかしいのではないかと思ってしまう。付き合って三日で…なんていう友達の話も聞いたことがある。なんだか、ただの仲の良い友達みたいで、悲しい。ちゃんと、恋人のはずなのに。そんなことを思っているのは、私だけなのだろうか。そう思うと、一層もどかしい。



そんな時、栄口くんから今週末の練習試合を見に来ないかと誘われた。私は嬉しくて、二つ返事で承諾した。


「阿部よりかっこいいところ見せるから!」

その時の栄口くんの一言を思い出す。付き合う前から、彼は私が阿部くんのことが好きなのだと誤解していた節がある。たしかに、男っ気の全くない私が唯一仲良くしている男の子が阿部くんなのだ。そう誤解しても無理はない。クラスの女の子にも、いつだったか阿部くんと付き合っているのではないかという主旨の質問をされた覚えがあるので、栄口くんにそう思われても仕方ないと言えば仕方ない。しかし、勘違いだとわかった今も、何かと阿部くんを引き合いに出してくる。栄口くんは普段はそんなところはまったく見せないが、内心阿部くんに対して敵対心…とまではいかないものの、なんだかちょっとしたライバル心なるものを燃やしているようなのだ。私にとって、阿部くんは女の子の友達と同じような感覚なので、そんなに気にすることはないのだけど。でも、それが栄口くんが私のことが好きっていう証明のように最近は思うのだ。私のことが好きじゃなかったら、きっと阿部くんを意識する必要もないだろう。阿部くんよりも、自分を見てほしい。栄口くんのそういう思いの現れなのではないだろうか、なんて。だから阿部くん、ちょっとの間、憎まれ役になってね。…なんて言ったら、頭叩かれるかなあ…。




私服で行こうか迷ったが、これはデートじゃないんだと自分に言い聞かせて、結局いつもの制服で行くことにした。私なんかが練習試合を見に行っていいんだろうかと思ったが、西浦の野球部には先輩がいないのが救いだった。それでも、他の部員の人に変な顔をされたらすぐにでも帰ろうと思って、いつも通っている通学路に着いた。

フェンスのドアを開けて、グラウンドに入る。私がいつも使っているグラウンドとは違って、土が真っ黒だ。ちょうど近くに、千代の後ろ姿を見つけてそばに行く。差し入れにと思って途中で買ってきた二リットルのポカリ二本を入れた袋が、ガサガサと揺れて邪魔をする。その音に気が付いた千代が振り返った。

「名前!おはよう!って言ってももうお昼過ぎだね。栄口くんから話は聞いてるよー」
「あ、そうなんだ。今日はお邪魔します」
「いえいえ。あ、じゃあ今から栄口くん呼ぶね」
「えっ!いいよ、いいよ!準備とかあるだろうし…!」

千代は私に構わず、「栄口くーん!名前来たよー!」だなんて叫ぶものだから、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまった。何を、喋れば、いいんだろう!「こんにちは」とか?でもそれってなんか余所余所しくない?「試合頑張ってね!」とか?そんなの、私に言われなくても頑張るよね。うん。


「名字さん!来てくれたんだ」

あたふたしているうちに、栄口くんが来て、私の前で微笑む。私も嬉しくなって、つい笑顔がこぼれた。

「うん!」
「わざわざありがとう。ここは暑いだろうから、あそこの屋根のあるベンチで見るといいよ」
「うん、わかった。見てるね」

見てるね、って何よ。と自分でも突っ込んでしまったが、栄口くんが笑ってくれたので良しとする。私の世界は、だいたい栄口くんを中心に回っている。


「そのポカリは?」
「あ、差し入れにと思って…」
「そんなこと気にしなくて良かったのに!ありがとう。重いでしょ?俺が運ぶよ」
「え、あ、ありが、とう」

私が先程まで持っていた袋は、栄口くんにするりと持っていかれてしまった。重かったのは事実で、助かったのだけれど、栄口くんに持ってもらえていいなあ、なんて袋に嫉妬する始末。本当に最近の私は欲張りだ。大好きだった栄口くんの彼女になれたのさえ奇跡なのに。


「よっ。まじで来たんだな」

そう言って現れたのは阿部くんだ。

「うん、栄口くんが誘ってくれて」
「ふーん」
「えへへ、へへ、へへへ」

誘われた時のことを思い出したら、自然と口元が緩んでしまう。

「…おっまえ、ほんとに栄口のことになるとだらしない顔するよな」
「だ、だらしなくなんかないよ!」

怒ってみせるが、阿部くんはそんなのどこ吹く風。余裕そうな顔付きを浮かべている。私には、そんな余裕、全身を絞っても出てこないだろうなあ、なんて思ってしまった。

「はいはい、落ち着けよ。もうすぐ試合始まっから」

阿部くんは私の頭に手を乗せて、ポンと一回叩いて去っていった。阿部くんは私の頭をどうにかするのが好きだ。彼曰く、私の頭がちょうどいい高さのところにあるかららしい。遠回しにチビだと言われていることに、私はすぐに気が付いた。阿部くんは、憎まれ役というより、憎まれ者だ。……なんて怖いから本人には言えないけど。