レモンを三つ用意する。塩をこすりつけて、ワックスを落とすために良く洗い、水気をふき取ってから輪切りにする。この時、あまり厚くしないのが、カリカリとした食感を出すのと皮に含まれる苦味を抑えるためのポイント。百円ショップで購入したそれっぽい瓶に先程輪切りにしたレモンを入れ、その上から蜂蜜をかけ、そのまた上にレモンを乗せ、蜂蜜をかけ…を繰り返し、レモン全体が漬かる程度に蜂蜜を入れる。そうすると、レモンにしっかりと蜂蜜の味が染み込む。瓶の中になるべく空気が入らないように、ギリギリまで蜂蜜を入れます。そして、それをそのまま四日間冷蔵庫の中に置く。これが私のレモンの蜂蜜漬けの作り方。一度試しに部活に作っていったら思いのほか好評で、今では私の名物差し入れとなるまでに。特に田島先輩と阿部先輩が気に入ってくれていて、嬉しい限りだ。まさか、自分がマネージャーになって、マネージャーの代表格とも言えるレモンの蜂蜜漬けなんてものを作るとは思ってもみなかったけど。



「はーい、みんなー!レモンの差し入れでーす!」

私が声を掛けると、休憩中の部員さんたちがいっせいに駆けてきた。

「おー!一ヶ月ぶりの名字のレモンだー!」
「ちょっと田島先輩!一人でそんなに食べたらみんなのぶんがなくなっちゃいますよ!」

そう言っても、レモンをつまむ手は止まらない。他のみんなも手を伸ばし、あれよあれよとタッパーに移し変えてきたレモンがなくなっていく。これは!嬉しいけど…!まだ阿部先輩に食べてもらってない…!


「あ、あの!阿部先輩はどこに…?」

みんなから残り二つとなってしまったレモンが入ったタッパーを取り上げて尋ねてみる。蜂蜜の付いた指先を舐めながら花井先輩が言った。

「阿部?そういや、さっき女子に呼ばれて水道の方に行ったな」
「女子?」
「ほら、いつもの取り巻き」
「あぁ…」

我が西浦高校の野球部は今年で創部二年目なのだが一年目からその成績は目を見張るものがあり、また彼らの人柄も影響してか、学校の人気者となっていた。中でも、熱心な女の子はわざわざ休日の練習試合を見に来たり、目当ての先輩に(一年生はまだそれほどはやしたてられてはいない)差し入れなどを渡したりなどということが日常茶飯事である。私がマネージャー業に慣れてきた頃には、もうどの女の子がどの先輩目当てで応援しに来ているかが一目でわかるほど頻繁にグラウンドに足を運んでいた。


「私、阿部先輩にレモン届けてきます!」

そう言って水道の方に足を向けたが、その足取りとは正反対に動悸は激しく、タッパーを支える手にも感覚がなかった。もしかして、またあの髪の毛の長い先輩かな…。勝手に嫉妬してモヤモヤする頭を左右に振る。いけない。こんなこと、私が思っていいことじゃない。何様のつもりだ、私。私はただのマネージャー。だからこうやって他の人たちよりも先輩たちの近くにいられる。ただ、それだけ。





「阿部くん、これ作ってきたから食べてよ」

水道の手前の道具倉庫に差し掛かったら、ふいに聞こえてきた声。やっぱりあの髪の長い先輩だ…。モヤモヤとした気持ちを隠すように、物陰に隠れた。


「あー、いつもサンキューな」
「いいのいいの。こっちが好きで作ってるんだから」
「ありがたいんだけど、さ…」
「受け取れないの…?」
「悪い。それ、レモンのハチミツ漬けだろ?」
「うん。嫌いだった?」
「いや、好きなんだけど。俺のレモン、もう用意してあると思うからさ」


うっすらと二人の会話が聞こえてくる。なんだか、すごく悪いことをしている気分。いつのまにか話し声が聞こえなくなったから、きっとどこかに行ってしまったんだろうと思って倉庫の壁から顔を覗かせると、視界がおかしい。目の前に練習着。目線を上に上げていくと……


「……阿部先輩…」

私の引き攣った顔とは正反対に笑ってみせる先輩。


「盗み聞きなんて名字さんも中々いい趣味してんじゃん」
「違いますよ!これはまったくの偶然で…!」
「へぇ?まあ、いいけど。話全部聞いてた?」
「いえ、ハチミツがどうとかしか聞き取れなかったのでそこらへんの心配は無用です」
「あそ。で、なんか用?」
「あっ、これ!レモン作ってきました!」

持っていたタッパーの蓋を開けて差し出す。情けなく残っている二切れのレモン。そのひとつをつまんで口に運ぶ阿部先輩。

「ん、うまいじゃん」
「そうですか!よかった…」
「もっと食いたいくらいうまい」
「作っても作っても田島先輩がほとんど食べちゃうんですよ」
「あいつ、ほんとに名字さんのレモン好きだよなあ」
「嬉しいんですけどね…」

レモンをつまんでいた指先をペロッと舐めて、ちょっと考えるようにしてから先輩が言った。


「俺も好きだよ」



…しまった。
フリーズした。
レモンのことだ。


「ありがとうございます!作ったかいがあるってもんですよ〜」
「名字さんは?」
「はい?」
「名字さんはどうなの?」
「え?」

話が噛み合わない。

「名字さんは俺のこと好きかって聞いてんの!」
「…え、あ…はい」
「ふうん」
「あっ、や、あの!違くて!その…!」
「なんだよ。ちげーの?」

どうしてしまったんだろう。こんなこと、普段の先輩なら冗談でも言わない。阿部先輩のことが好きだなんて、事実だけど誤解だ。もっとちゃんと伝えたいから、今の変なやりとりは誤解、なかったことにしておきたい。あまりにも突然だったから相槌をうってしまった。もっともらしい言い訳。それなのに、阿部先輩がいつもと違ってそんな優しそうな目をするから、いつも私はこんな時どうやって言って回避してきたのかを思い出せない。


「違く…ないです…」
「なら、いい」

阿部先輩はそう言って笑った。私は何も言えずにそれをただ見つめていた。なんだ、この、もどかしくて、恥ずかしくて、たまらなく愛おしい気持ちは。


「今度俺にだけ作ってきてくれよ」

曖昧に頷いた私に先輩は最後のレモンを取り、私の口に押し込む。私が非難の声をあげると、眉を下げて楽しそうに笑った。


「すげえ甘くてうまいだろ?」

そう言い残して去っていく背中に、私は小さくつぶやいた。


「甘酸っぱいじゃないですか、先輩のうそつき」