それは、俺がまだ臨也の野郎なんかとは出会っていなかった中学二年の頃。

好きな女子がいた。そいつは、同じクラスの学級委員の女子だった。女子には慕われ、男子からはよくいじられていて人気…というか間違いなく好かれていた。だから、ドジなくせして学級委員なんてポストをやっていたのだ。まあ、皆と同じように彼女に投票した俺が言うのもなんだが。


彼女は、それはそれは穏やかだった。サラサラの髪をなびかせて、まるで白いコスモスのように笑った。彼女はとても清らかで、それゆえに時々こちらをドキリとさせた。分かりやすい例を挙げるとすると、全然車が走っていなくても、どんなに横断歩道が小さくても、どれだけ多くの人が信号を無視して横断歩道を渡ろうとも、彼女は絶対に信号を待つだろう。「信号は守るものでしょう?」と、そんな当たり前な事を当たり前の様に信号無視した人たちに言うのだ。べつに、彼女はその人たちに怒っているわけではない。ただ、自分の思ったことを素直に言っただけ。そう、彼女はどこまでも愚直な人間だった。その曇り無き精神は、現代の傾向に無意識に流されてしまっていた俺たちには、ナイフのように胸に刺さった。彼女が、苦しいほどに眩しかった。



その頃の俺はというと、日常に喧嘩という文字がゴロゴロ転がっていて、陰口を言われたり、恐れられたりしていた。それでも最初は仲の良い友人もいたが、度重なる喧嘩に巻き込まれるのが嫌で、次第に寄ってこなくなった。そして、進んで関わってこようとする奴はいなくなった。




ある日のこと。
廊下で二人の男子生徒と名字が話していたところに出くわした。


「ねぇ、あのアンケート、今日までに生徒会に提出だから出してほしいんだけど…」
「あぁー?アンケートォ?知らないな。つか書いてない」
「俺もだ」
「でも、全員出さないと先生に怒られちゃうし…」
「でも、怒られるのは名字だろ?俺たちはセーフ!なんちゃって!」
「アハハハハッ。ひっどい奴だなあ!」
「あ、あはは…は……」

名字が引きつりながら笑う。


お前が怒られなきゃいいのか?てめぇのせいで名字が怒られんのはいいのか?
冗談じゃねえ!そんなの、いいはずがねえ!


俺は気付いたら、近くにあった掃除道具入れをそいつらに向かって投げていた。



ガッシャッーン!


けたたましい音が鳴った。それを合図にしたかのように、廊下ならず、教室の中までもが静まった。


「う、うわあ!平和島静雄だ…!」

ギリギリで避けたらしい男子生徒二人は、尻餅をついたまま叫ぶとそのままどこかへ走って逃げていった。名字は、それを茫然と眺めている。やがて、その目線は俺に向けられた。


あぁ、俺はまたやっちまった。どうせ名字にも心底怖がられたに違いない。俺の恋はまたもや独り善がりなままで終わった。ただ、助けたかっただけなのに。ただ、好きだっただけなのに。ただ、愛したかっただけなのに。
ただ、愛されたかっただけなのに。




「…平和島、くん!大丈夫?あんなもの投げて怪我とかしなかった?」


「え…?」


予想だにしなかった名字の言葉に、自然と声が漏れた。


「ああ、血が出てる…!」

的外れなことを言う名字は、血が垂れる俺の指先に手を延ばしてきた。俺は、反射で手を引っ込めてしまった。触れたらまた、壊してしまいそうだ。そう思わずにはいられないほど、名字は華奢な少女だった。


「、ごめん。ちょっと図々しかったかな?もし平和島くんの気に障ったのならごめんね」

彼女はすまなそうに笑った。あぁ、違うんだ。違うんだよ。俺なんだよ。俺がダメなんだよ。


「……わりぃ…」


「え?」
「…俺が、名字たちの会話聞いちまって、その…ムカついた、から挙げ句今みたいなめんどくせえ状況になったわけだし…。わりぃな」

上手く説明できない分、言葉は出てきた。壁にめり込んでへしゃげているかつての掃除道具入れをちらっと見やる。

「……、平和島くんの理由を聞いても尚、私は平和島くんが謝る必要はないと思う。私、悪いこともされてないのに謝られたくないよ」
「え?」
「だって、平和島くんはきっと私のことやさっきの二人のことを考えて取った行動でしょう?ただ苛々しててその当て付けに私たちにあんなものを投げたわけじゃないでしょう?だから、私は平和島くんに謝ってほしいなんて思ってないよ」
「う、そりゃそうだけど…」
「そんなの、地球のため、みんなのためにボランティアをしてくれている人に『ボランティア活動をしてごめんなさい』って言わせるようなものだよ」
「……?(名字コイツ馬鹿だろ)」
「むしろ、学級委員としての統率力が欠けている不甲斐ない私のほうが謝りたい気分だよ。だから、平和島くんは私に謝らなくてもいいんだよ」

彼女は、お得意のコスモスの様な笑みを披露した。当然、俺は釘付けだ。


「平和島くんは、何一つ私に悪いことはしていない。だから、簡単に謝っちゃ駄目だ」
「名字…」
「うん。平和島くんがした悪いことといえば、学校の備品を壊したことくらいだよ」
「……あ」
「一緒に先生に謝りに行こう!」


壊したのは俺なのに何故名字も一緒に行くのかわからなかったが、その笑顔に負けて、俺はただ無言で頷くことしかできなかった。






   ;・○o・;○;・o○・;
   ○o・..・*・..・o○







「悪かったな…。名字まで説教されちまって」
「いいよ」



「…俺、こんな力なんて要らないのに…」

ひとりでにボソッと呟いた言葉は、名字にも聞こえてしまったらしい。名字は一瞬表情が固まって、それからまたパッと笑った。

「私、好きだよ!」

「え?」
「私は平和島くん好きだよ」
「え!?」
「私、力持ちな人好きなんだ!お父さんみたいで」


俺が力持ち?俺の力はそんな可愛いものでは決してない。それを目の当たりにして、それでも名字はこう言ってくれるのだ。俺が好きだと。俺の力が好きだと。なんだかそれだけで、俺はとてつもなく嬉しかった。



「名字」
「ん?」
「お、俺も名字が…その、好き…だ。いつも優しくて、自分に正直な名字が好きだ」




「ありがとう!平和島くんにそんな風に言ってもらえるなんて嬉しいな!」なんて言う名字の頭を照れ隠しのつもりでグシャグシャと撫でる。笑いながら乱れた髪を直す名字。あーあ、名字は俺がどういう意味でそう言ったか、わかってねえんだろうなあ。









今日はここまで



(今回は、ここまでにしといてやる)