「栄口ダメかも」



トイレに行こうと教室を出ると、トイレから帰ってきた阿部くんにばったり会った。彼とは同じクラスなわけだが、今日初めて会ったのでおはようと挨拶をすると、阿部くんは気まずそうに「はよ…」と言って、随分歯切れが悪く先程の言葉を吐き出したのだった。私は意味がわからず尋ね直した。


「だから、栄口ダメかも」
「ダメって何が?」
「栄口、その…お前が俺のこと……好きだって勘違いしてる…」
「……………」
「…名字?」
「……あ、…ああ、そうなんだ!どうしようねアハハ」
「…わり」
「ううん、阿部くんは全然悪くないから謝らないでよ!私、ろくに栄口くんと話せたことないし、まさかそんな相手から好かれてるなんて誰だって思わないよ。だから気にしないで、阿部くん!」
「…名字…」
「もう、阿部くんらしくない顔やめてよー。あ、私トイレ行くんだった。じゃあ、またね」



そう言って足早に立ち去る。トイレに行く気失せましたけど…まじで…。


そっか。栄口くんは何にもわかってないんだ。まあ、当然なんだけども。別に私、栄口くんのことが好きなの〜みたいなのを匂わせる会話をしたこともないし、自分からメールをしたこともないし、廊下で会っても声かけないし。そんなんでわかるわけないよね。わかったら多分その人エスパーだよ。絶対。しょうがない。私が全部いけないんだ。私が招いた、当然の結果だ。それに、栄口くんと付き合いたいわけじゃないって言ってたじゃない。付き合う気が無いなら、私が誰を好きかなんて勘違いされててもいいじゃないか。…阿部くんにはとても申し訳ないけれど。

そう。
しょうがないんだ。
しょうがない、
しょうがない、
しょうがない。


私は、こうやってまた逃げる。


栄口くんを好きなの、もうやめようかな。…なーんて。勘違いされただけでこんなに悲しいなんて、耐えられないよ。








「あっ、名字さーん!」

なんという偶然か、栄口くんが向こうから駆けてくる。そんな馬鹿な!タイミングが良過ぎるじゃん…!




「丁度名字さんに話したいことがあったんだ!」
「……栄口、くん…」
「今度の土曜日って何か予定ある?部活で練習試合やるからさ、あ、もちろん場所は西浦で」
「………」
「もし暇なら見に来てほしーなあって、思っ………名字さん?」
「………」
「……なんで、泣いてるの」
「……泣いてないよ」
「…泣いてるよ」
「………手で目を隠してるだけだよ」
「じゃあ、手をどかしてみてよ」
「無理だよ」
「…なんで?どうしたの…?俺、なんか気に障ること言っちゃったかな?だとしたら…ごめん……」




ごめん。
ごめん?
何にごめん…?


「阿部くんとくっつけてあげられそうになくてごめん」?「わけわかんないよごめん」?「私のことを好きになれなくてごめん」?「正直うざいんだよねごめん」?「興味なくてごめん」?「眼中に無くてごめん」?「これからも可能性なんてないからごめん」?


…ああ、だめだ。自分の勝手な妄想に傷付いた。馬鹿みたいだ。何を泣くことがあるのだろう。されて当然の誤解をされただけじゃないか。だけど現に、私は今こうやって栄口くんの前で涙を流してしまっている。


もう嫌だ。何もかも。
こんなところで泣いている自分も、全然悪くないのに謝る栄口くんも、面白がってただけなのに本気で応援してくれてる阿部くんも、何かに期待してた自分も、何かを信じてた自分も、何かを計算した気になってた自分も、好きだって気付いてほしかった自分も、気付いてほしくなかった自分も、チキンな自分も。
嫌だ。全部嫌だ。重い。逃げたい。逃げたい。しょうがない。どうしようもない。


私は、今私の抱える全ての問題を放り投げた。
そうだ。いつもこうしてきたんじゃないか。嫌なことから、目を逸らして、隠れてきたじゃないか。




おんなじことを、すればいいだけ。



「あっ、どこ行くの名字さーんっ!」

走って逃げる私を、栄口くんの呼び声が追いかける。
私は聞こえない振りをした。









結果が見えないから
私はまた目を伏せる