「君のことが好きだ」

「私も大好き」

「世界で一番愛してる」

「私も、この世で一番あなたのことを愛してる」

「俺たち、死ぬまで一緒にいような」

「うん。あなた以外の人となんて考えられない。私たち、永遠に一緒にいようね」




マンネリな月9の恋人たちの甘い台詞がテレビから流れる。
俺は相変わらずパソコンに向かって仕事をし、名前はソファに座って最近ハマっている足が細くなるストレッチだかをやっている。どうせすぐやらなくなるくせに。名前は一週間坊主だ。



「ねぇー、臨也ー」

「んー?」


彼女は、器用にもストレッチをしながらもしっかりとテレビを見ながら俺に声を掛けた。俺は、デスクトップから目を離さずにそれに応える。



「臨也は私のこと好き?」

「…?好きだよ?」

「ふーん。私も好きだよ」

「ふぅん」

「死ぬまで一緒にいようね」

「えっ…」


俺は驚いて手に持っていた資料をバラバラと床に落としてしまった。そんなことには目もくれず名前を凝視してみるが、彼女は未だ入念にストレッチをしているだけだった。

『死ぬまで一緒にいようね』?無神論者なのはもちろん、超現実主義者の名前がそんなことを言うなんておかしい。「えー、それってあり得なくない?」が口癖で、そこからはただひたすら夢が無くて無機質で冷たいバッサリとした持論を語り出すのが彼女のはずなのに。『死ぬまで一緒にいようね』。そんなぼんやりとフワフワしている言葉をよりにもよって彼女が使うなんて。


俺たちがこのまま一生一緒にいる確率はどれほどだろうか?もっと言えば、俺たちがこのままずっと愛し合って、結婚して、子どもができて、孫ができて、年老いて、寿命か病気か交通事故か誰かに殺されるかして死ぬ時まで一緒にいる確率はどのくらいだ?一緒にいるというのは物理的にか?精神的にか?俺が名前を愛さなくなるのはいつだ?名前が俺を愛さなくなるのはいつだ?




「どうしたの、そんな驚いて」

「いやぁ、リアリストの君がそんなロマンチックな台詞を吐くとはねぇ。テレビの影響って偉大だなあ」

「ロマンチック?そう?私は普通の事を言ったつもりだったんだけどな」

「ふーん?それにしては夢のある言葉だね」

「だって、私が今ここで首を吊って死んだら、それは死ぬまで一緒に居たってことでしょう?」

「……そういう意味?」


俺はまた度肝を抜かれた。そうか、そうか。彼女の言っていた死ぬというのは遠い未来のぼんやりとした死ではなく、もっと具体的な、もっと現実的な死のことだったのだ。俺はなぜだかそれに深く安堵感を覚えた。やはり彼女はどこまで行っても彼女だ。素晴らしい。彼女は変化する。そして変化しない。彼女は予測不能、統御不能、しかし同時に彼女は不変なのである。



「やっぱり君は俺が思ってた様な素晴らしい人間だよ」

「何それ、気持ち悪い」

「褒めてるのに。…まあ、ただ、俺の目の前で死ぬと決めるのはやめてほしいなあ。ほら、俺って愛情深い男だろう?目の前で名前が死んだら、多大な自責の念にさいなまれて夜も眠れないと思うんだよねぇ」

「…考えとく」

「それはありがとう」




俺たちがこのまま一生一緒にいる確率はどれほどだろうか?もっと言えば、俺たちがこのままずっと愛し合って、結婚して、子どもができて、孫ができて、年老いて、寿命か病気か交通事故か誰かに殺されるかして死ぬ時まで一緒にいる確率はどのくらいだ?…まあ、いいや。考えるのはやめにしよう。今から答えなんて出やしない。第一、名前がウェディングドレスを着て隣りで俺がタキシードを着てるところなんて想像つかないもんね。ただ今みたいに、適当に触れ合って、適当に甘い言葉を囁いて、適当にセックスをして、適当に嫉妬して、適当に束縛して、適当に喧嘩して、適当に愛し合って…。そんな適度な心地よい関係が続けばいい。…彼女の主義に従って言うのなら、現時点ではそれが最善だと考えている、だ。






「ねぇ、臨也」

「ん?」

「世界中で今まで会ったことのある知人の中で今のところ一番愛してるよ」




全く彼女の言う通りだ。