「鬼ごっこしない?」



今日で晴れて祓魔師となった私は、幼馴染みの雪くんの元へ一人前の祓魔師と認定されたことを報告しに行った。雪くんは案の定とっても喜んでくれて、私の頭を撫でた。昔から、雪くんは私の頭を撫でるのが好きだ。褒めてくれる時はいつもそう。撫でられるのは少し恥かしいけど、そんなの全然関係無いくらいに私は幸せにされてしまうのだ。雪くんの手は、すごい。


「鬼ごっこ?」
「うん。昔、よく燐と三人でやってたでしょう?」
「そうだけど…なんで今?」
「いーじゃん、いーじゃん。私も今日から祓魔師。子どもみたいな甘い考えは捨てなきゃ。だから、最後に…」
「鬼ごっこ?…まあ、名前さんがしたいって言うならいいんだけど…」



私の父は祓魔師で、一時期藤本神父と共に仕事をしていた。そしてその時、私は雪くんと燐に出会ったのだ。利口で泣き虫な雪くん。乱暴で優しい燐。私の中で二人はとても大切な存在になっていった。特に雪くん。雪くんには、私は知らないうちに恋愛感情を抱いていた。内に秘めた闘志、人一倍の努力、人を包み込む優しさ。その寡黙な背中をいつしか追いかけるようになったのだ。でも、何年経っても追い付けない。腕を伸ばして触れることさえできない。



私はただひたすらに雪くんを追いかけ、雪くんは後ろを振り返ることもせずに燐の背中を追っている。




「ジャンケンで私が負けたから私が鬼ね。十秒数えるから、隠れても逃げても、とにかく私にタッチされなきゃ勝ち!」
「わかった」



いーち
にーい
さーん
しーい
ごーお
ろーく
なーな
はーち
きゅーう
じゅう!



私はそわそわする気持ちを抑えて、雪くんたちが住むボロい寮を散策し始めた。階段の踊り場へ続く廊下に出ると、角から雪くんの黒い服の裾が見えている。みーつけた!抜き足差し足で踊り場に向かう。



「……わっ!」

驚かせようとしたのに、私を見た雪くんは私がこうやって来ることがわかってたみたいに優しく微笑んだ。どうして、そんな優しい顔するの?つらいよ…


「おっと、逃げなきゃ」
「あっ、そうだった鬼ごっこなんだからタッチしなきゃ…ていうか、雪くん超全力疾走…!」


普通、鬼ごっこで大の大人(彼はまだ高校生だけれど、実力は十分に備わっている)が全力で走るか…?と、少々雪くんの意外な面に驚きあきれる。


私だって、祓魔師になったんだ。そう思って追いかけても、中々雪くんの背中は近付いてこない。届かない背中。いつもそうだ。追いかけても追いかけても触れられない。昔みたいに、待ってはくれない。手を引いてはくれない。雪くんの上下に揺れる一回りも二回りも大きな背中が、憎い。瞬きをしていたら、いつの間にか泡になって消えてしまいそうだと思えた。そうか、やっぱり、私は彼に追い付けないのだな。心の中をある種の諦めと悲しさが満たす。足場の古い床板の軋む音が、私の足に合わせてキイキイと耳障りなほどに鳴った。


昔から、燐には守られてばかりだった。私と雪くんにとっては紛れもないヒーローで、それはそれは憧れだった。燐がいない時には、私が雪くんを守ったことだってあった。三人は、手を繋いで一緒に生きていたのである。

では、今はどうか。私たちは成長し、変わった。燐の後ろに雪くん、雪くんの後ろに私。目線は、合わない。

もう手を取り合うことは無いのだろうか。
もう横に並びゆくことは無いのだろうか。

もう…




「もう、昔みたいにできないなんてやだよ…」



涙で視界がぼやけ、私は歩みを止めた。私は“鬼”で、“鬼”はずっと追いかけていなければいけないはずなのに。




一人残された廊下の真ん中で声も出さず泣いていると、逃げたはずの雪くんがこちらに歩いてきた。



「名前さん、どうしたの?」
「………」
「どこか痛いの?」
「もう嫌だよ」
「名前さん…?」
「もう“鬼”なんて嫌だよ。燐がどんどん私の知らない世界に行っちゃうのも、雪くんが名前さんなんて呼ぶのも…」
「…名前、さん……」
「私は変わってないよ。何も変わってない。燐は私のヒーローで、雪くんは私の憧れ。置いてけぼりくらうなんて、嫌、だよ…」


本当は、そんなのただのわがまま。人が変わっていくことなんて当然なのに、私は輝かしい過去を引き合いに出して、変わっていくことを非難してキャンキャン言ってる。答えなんてものは、自分が一番よく知っているのに。変わるという恐怖が、私の目を覆う。





「名前ちゃん、もう大丈夫だよ」


懐かしい呼び声にはっとすると、昔とは比べ物にならないくらいのたくましい腕に包まれる。



「雪、くん…?」
「昔、まだ僕が小さかった頃、名前ちゃんに言ったよね。医者になったら名前ちゃんの病気は全部僕が治してあげるって」
「うん…」
「兄さんは、今でも兄さんだよ。僕だって、今も変わらず奥村雪男だ。なんにも、怖がることなんてないんだよ」
「……うん」
「おまじないしてあげる」
「え?」


雪くんは私の頭の上に手を置いて、こう言った。



『ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでけ〜!』



それはまるで昔に戻った様で、今私の心が言い表せないほどの幸せで溢れかえっているのは、果たして頭を撫でられたからか、昔に戻ったみたいだったからか、それとも…?
鼻をすすりながら雪くんを見上げると、しっかり男性の顔つきになって私に微笑んでいる。これでよく、変わってないなんて言えるよなあ。






終わらない鬼ごっこ


「あ、タッチ(ポンッ」
「えぇ、今…!?」