「君沢を助けなかった理由だっけ?聞きたいって言ってたよな」
カンナが右肩を強く掴む。
『伸二』と呼ぶべきなのだろうか。
(いや、俺にはもう呼べない)
「………」
綺麗だった瞳は血走り、あまり眠れていないのかな、なんて無言のまま漠然と思った。
そんな俺に苛立ったのか、カンナは荒々しく言葉を続ける。
「簡単だよ、お前も言っただろ。『生きる目的があるから死ねない』って。俺には生きる目的なんてない」
「……」
「ずっと前に無くしたんだ。君沢と別れてから…君沢、アイツと一緒に生きることが俺の生きる目的だった」
「!!」
両肩を捕まれ、激しく揺さぶられる。
カンナはこちらを見ず、俯いたまま。
肩に食い込む爪が痛い。
「それを裏切ったのはアイツだ!アイツだけ俺の唯一だったのにアイツは俺を身代わりにしか思ってなかった。俺は生きる目的を失ったのに、父親との共演を生きる目的に羽ばたこうとしていた」
「それ、は……」
(お前が、別れを切り出して一方的に切り捨てたからじゃないか)
(愛人でもよかった)
(俺はお前の側にいられれば、それで幸せだったのに)
そんなことは言えるはずもなく。
溜まったものを吐き出すように一人話し続けたカンナはふっと息をつくと疲れたような瞳でこちらを見た。
「しかも次の相手は俺の大嫌いな匡一。明確な裏切りだろ…?だったら俺だってアイツから生きる目的を奪ったっていいじゃないか」
ゆっくりと俺の手をとって指を撫で、そのつけ根に口づける。
「…アイツの指、俺が折ったんだ…すんなり折れて。アイツのピアノ好きだったのに、おれが、アイツの夢を潰した…」
震える喉仏。
俺の手の甲にカンナの涙が一滴、流れ落ちる。
「死ぬなんて思ってなか、ったんだ。アイツの生きる目的を奪えばアイツは大学とか、ずっと側にいられると…」
(そんなこと今さら言われたって…!)
俺は死んでしまった。
悲しいのか苦しいのか怒っているのかさえわからない行き場のない憤りが腹の底を燻る。
「…でも先輩は君沢忍を見殺しにした。君沢忍はそのことを許さない」
もうあの頃には戻れないのだから。
「罪は償わないと、ね。カンナガワ先輩」
涙で濡れる頬を優しく掌で挟み、にっこりと微笑む。
「…?」
不思議そうにこちらを見つめるカンナの瞳には酷く歪んだ天草忍が映っていた。
「――先輩は、俺が癒してあげましょうか…?」
覆水不返