ーーーーーー哀しい夢を見た。


布団の中にいても底冷えするような冬の朝。
身動ぎし頬に擦れた枕が凍るようにしっとり冷たく、そっと触れた目尻にも濡れた跡が残っていた。



(おれ、泣いてたのか………?)



涙を流したことなどいつぶりだろう。
視界にぼんやりと映る見慣れた天井。どくり、どくりと心臓だけが鼓動しながらその存在を強く主張する。



(これは、現実?)

(今までのが、夢?)



慌てて起き上がると、ズキンとこめかみが痛んだ。
それでも手探りで探し出した携帯電話を充電器から引っこ抜き、表れた着信履歴を指でなぞる。


君沢忍、君沢忍、きみさわ……


画面にいっぱいに連なる名前に心から安堵しつつ、震える指先でそのボタンを押した。


トゥルルルル、トゥルルルル


呼出音が続き、じっれたく思いながらも留守番サービスに切り替わる直前で電話が通じる。



『しん、じ………? どうしたんだよ、こんなに朝早く…』



寝起きらしい掠れた忍の声。

懐かしくすら感じるその声が耳の鼓膜を震わせ、壊れた人形みたいにまた涙が頬を伝った。



「しの、ぶ………?」

『………なに? どうしたんだよ、具合でも悪いのか』



最初は朝早くに起こされて不機嫌そうだったが、俺の不自然さに気づいたのか心配そうに容態を尋ねてくれる。
やっと身体中に血液が巡ったように体温を取り戻し、慌てて涙を袖口で拭った。



「会いたい……今から会えないか?」

『別にいいけど……』



『会いたい』なんてストレートな言葉をかけたことがなかった。

忍はかなり戸惑っているようだったが、訳を尋ねたりはしなかった。



「部屋は梛野いるんだろ? 食堂行く?」

「…いや、迎えに行く」

「……わかった。すぐ着替える」



慌てて用意を済まし、部屋を訪れると、ひょっこり扉から顔を出した忍の姿さは当たり前ながら金髪に碧眼。
髪が寝癖であちらこちらに散らばり、眠そうに欠伸を噛み締めていても、その絶対的な美しさは変わらない。



「…………〜〜〜ッッ」

「ちょ、」



感極まって思わず腰を引き寄せ、その身体を力一杯抱き締めてしまった。
華奢な腰に、角張った肩。
懐かしくすら感じる甘い体臭を肺いっぱいに吸い込んだ。



ーーーーー忍だ。生きている、俺の忍だ。



忍はがっちりホールドされた腕の中で、慌てたようにジタバタと暴れる。照れているんだな。



「ほんとに、しのぶなんだな?!」

「いきなり何すんだよ伸二! 寝ぼけてんのか?」

「てめーら、いちゃつくなら他のとこでやれ!!」



余りに煩くしたせいか、不機嫌を顕にした平井に蹴飛ばされてすごすごと退散する。
こういうとき、同室だったらよかったのにとしみじみ思った。



「どこ行く? 食堂? それとも外出る?」

「…………………」



当たり前だが、忍は何も変わらない。
じっと見つめた右手は綺麗なまま。
恐る恐る手を伸ばすと、忍の方からぎゅっと握ってくれた。



「どうかしたのか?」

「ピアノ……」

「え?」

「おまえの、ピアノが聞きたい」

「……いいけど…お前が音楽に興味持つなんて珍しいな。雪降る?」

「12月なんだから雪ぐらい降るだろ」

「じゃあ槍」

「…………………」



そんなたわいもない会話を重ね、朝飯も食べてなかったので購買で買ったパンを齧りながら職員室に向かった。

生徒会役員の権限をフルに活用して音楽室の鍵をくすねると、二人でこっそり侵入して、邪魔が入らないよう内側から鍵をかけた。



「何かリクエストは?」

「お前が好きなのでいいよ。いつもみたいに練習してろ」

「いつもみたいって…」



ちょっと困ったように首を傾げながらも忍は鍵盤を叩き始めた。

真っ赤な鼻のサンタクロースから、キラキラ星、ホワイトクリスマスと…そうか、もうそんな時期か。



(もっと前から聴いとけばよかったな)



それだけ、ずっと一緒にいたのだから。


ーーーーーそして、これからも一緒にいるのだから。


何時間でも何十時間でも聴いていられる気がしたが、忍はふうと息をついて手を膝に置くと、こちらの様子を伺った。



「伸二?」



先ほどの美しく清廉された音達を紡いだ右手。

楽器の音は弾く人物を体現するというが、本当かもしれない。



「…………………」



ゆっくりと忍の隣に歩み寄り、震える手でそれを掴む。そして自ら頬へと持っていった。
華奢で細い、簡単に折れてしまいそうな指には、確かに果てしない夢が詰まっているらしい。



「…………そろそろ、何があったか聞いていい?」



忍はきらきらとしたビー玉のような瞳でじっとこちらを見上げる。
大好きなその美しい瞳で見つめられることが、今は自分にはとても息苦しく感じた。



「………嫌な夢を、みたんだ」

「いやな?」



今の忍は何も知らない。穢れてもいない。
言っていいものか迷い、ごくりと喉を鳴らす。

それでも俺は言わなくてはならない気がした。



「お前を、見殺しにする夢」

「………」

「この指を折って、苦しむお前を、俺は見殺しにするんだ」



ーーーーー言い切った。


覚悟していたはずなのに、身体が言うことを聞かず、情けないくらいに震えている。

断罪される気持ちで、忍の顔を見ることができないでいると、もう片方の手が俺の方へ伸びてきた。



「……………伸二」



するりと右頬に触れ、顔をぶにゅりと潰れるくらい強く挟まれる。
じっと覗き込んできた蒼いまっすぐな瞳は穏やかに俺を見つめていた。



「伸二は俺の手を折ったりしないよ」

「…………ッ」

「俺を見殺しにもしない」

「け、ど……」



(したんだ。色んな勘違いをしていたけれど、俺はお前と別れてて、兄貴や田中と一緒に、お前を死に追いやった)

(そんな、自分が信じられないんだ)



青褪めた俺の額と忍の額がこつりと合わさった。



「馬鹿だなぁ。そんなことしたら、地獄の底から甦ってまた伸二に会いに行ってやるよ」

「………あい、に…?」

「ああ、道連れにしてやる。俺のいない人生なんて、つまんなくてやってられないだろ?」



忍は眩しいくらいの笑顔でにっこり笑った。
まるで天使が目の前にいるようだった。
その微笑みが俺の腐った重苦しい何かを溶かしてくれるように、心にじんわりと染み渡る。


俺から、この手を離すことはない。

離したいと言っても、勿論離してやる気など毛頭ない。



「………ばーか。自信過剰すぎるだろ」

「は? なに、お前が夢なんかで落ち込んでるから慰めてやってんのに!」



軽口を叩けば、忍は呆れたように口を尖らせた。

その唇にキスがしたいと思った。



「慰めるなら……今日は忍が上に乗れよ」

「は? そ、そんなことできるわけないだろ!!」



言葉の意味を理解したのか、真っ赤になる忍が可愛くて愛しくて仕方がない。

触れられる温もりがある。

片膝を折り、騎士が姫に贈るよう慌てる忍の右手の甲を取って優しく口づけを贈った。



「…うそ。今日はずっとお前のピアノ聞いていたい」

「………今日のお前、マジで変だ」



少しぐらい嬉しがってくれてもいいのに。
忍は心底呆れたような表情で席についたが、耳の後ろが赤く染まっていることを見逃しはしなかった。



(素直じゃねぇな)



くすりと微笑みながら、すっと背筋を伸ばし指を構える忍の後ろ姿を眺めた。



俺は、もう、道を間違えたりはしない。


あんな未来は、決して訪れない。




「なぁ、忍。おれ、クリスマスプレゼント欲しいものがあるんだけど」







分岐点



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