「天草、今日は何かないのか?」
あの事件以来、会う度食べ物をねだってくるようになった田中。
カンナと同様放課後俺が弾くピアノをぼんやり聞いたあと、不遜な態度で右手を差し出す。
田中とコンタクトを取れるのは俺としても願ってもないことなので、仕方なくポケットに常備していた菓子を出した。
「どうぞ」
今日は円形のチョコチップクッキーだ。
田中は無表情のままもぐもぐとそれを食すと、今度は自身のポケットからなにやらチューブらしきものを取り出した。
「え…?」
「手、出して」
「?」
真顔でそう言われて戸惑う。
出してと言われて出すには目の前の男は危険過ぎた。
なにせ、彼は俺の指を折った張本人なのだから。
田中は躊躇う俺の右手を取ると、条件反射のようにその手は震えた。
「……ッ」
「そんな警戒するなよ。別に折るわけじゃない」
「信じられるか…!」
田中はそんな俺を無視して指を優しく撫でると、片手で器用にチューブから押し出した白いクリームをその指に乗せた。
ふんわりとその場にメンソールが薫る。
「はんど、くりーむ?」
「そう。父親がよく使ってるやつだから、お前にも効くんじゃない?寒くなって乾燥してきたし」
(父さん…)
父親が使ってるものだとわかると、俺は抵抗出来なくなってしまった。
されるがまま田中は指先から甲を通り手首まで丹念にクリームを塗り込める。
爪郭、甘皮、指の間
白が透明に変わるまで丁寧にマッサージされ、まるで指を愛撫されているみたい。
「しつ、こい…っ」
「そうか?」
「…なんで、急にこんなこと」
「欲しいなら優しくしろと言ったのはお前だろ」
「…俺が、欲しくなったの?」
「別に。でも興味はあるのかもしれない。あんな風に怒鳴られたのは初めてだったから」
そう言うと田中はハンドクリームをポケットに仕舞った。
「俺はまだ許したわけじゃない…っ、手に入らないなら壊してやろう、なんて。俺がまた手に入らないなら殺すつもりか?」
「………」
「何もお前だけじゃないんだ。欲しいものなんて、手に入らない奴の方が多い」
(俺だって……)
命すら、失ってしまったのに
「それでもがむしゃらにでも足掻いて、なんとかなるかもって頑張って生きてるんだ…」
「……馬鹿だね」
田中はぽつりと呟くと、忍の悔しくて零すまいと思っていた涙を、指で掬ってそのまま口に含んだ。
しょっぱい――…
その言葉は冬の寒さに溶けて消え、俺の耳まで届かなかった――…
感情のない君へ