「しのぶ……」

「ちょ、はしもとッ」



どうしたんだろう、と思った。


いつもの橋本とは違う。


以前橋本を怒らせて口をきかなくなった時のような。

黙りこくった橋本に、俺は押し込むように部屋に入れたれた後、後ろから抱き締められた。



(うれしい、けど)



大好きな人に抱き締められるなんて、母親以来かもしれない。


心臓はばくばく。


でも状況が状況だ。


橋本は多分俺を好きだから、という理由で俺を抱き締めている訳ではない。



「橋本、離せってば。どうしたんだよ、いきなり」

「忍、カンナさんと付き合うの?」



耳元で紡がれる低い声。

入院していて知らなかった事実を貴志がペろりと話してしまった。



「ねぇ、付き合うの?」

「ちょ、んっ」



反論しようにも耳にかかる熱い息だとか、俺の上半身をまさぐる大きい手だとか。

おそらく無意識だろう。

こんな状況に嫌でも身体が反応してしまう。


そうだ、こいつはタラシだった。



「っ、やめろってば!!」

「ッ」



思いっきり肘鉄を食らわせ、橋本と距離を取ると、慌ててはだけたワイシャツのボタンを閉める。

橋本は打たれた腹を押さえながら自嘲気味に俺を仰ぎ見た。


背筋がぞくりとする。


普段の橋本からは考えられないような、冷たい目。



「忍はずるいよね。そんな穢れなんて知らない目してるくせに。ちゃんと男を知ってるんだ」

「ッっ」



顎に手をあてられて値踏みされるように見つめられる。

そのまま強い力で腰を引かれて唇が寄ってきたので思わず顔を背けた。



「やめろよ、お前に関係ないだろ…」

「…関係ないって……」



(あ、傷つけた)



悲しそうに歪む端正な顔。

大好きな橋本を傷つけることは俺の本意ではなくて、胸が締めつけられる。


(苦しい)


(橋本ももしかしたら俺を好きでいてくれている?)



そんな希望がじんわりと胸をくすぐるが、天草忍でいられるのは後半年。

今ここでカンナに近づけなければこのまま死んで、忘れ去られてしまう。


(忘れないで)


そう叫んでしまいたい。



(好きなんだ)


(お前のこと、大好きなんだ)



そんなこと、言える訳もなく。



「……橋本は、君沢先輩が好きなんだろ?」

「……うん」

「俺を代わりにしたいのか?」

「そんなことない!」



そうはっきり言われて、胸の奥がじんと痺れた。


君沢忍も天草忍も認めてくれる唯一の人。



「……忘れないであげて。橋本に忘れられたら、あの人、本当一人になっちゃう」

「………しのぶ」

「俺はやらなきゃいけないことがあるんだ。そのためには炭川先輩に近づかなきゃいけない。理由は、今は聞かないで。……いつか話すから」

「………うん。…忍がそう言うなら聞かないよ。本当はものすごく聞きたいけど」



くすりと笑った橋本はいつもの橋本だった。



「俺は何かできない?忍の力になりたい…」

「じゃあ…」



そのまま両手を伸ばした。






“一緒に眠って――…”







帰るなら君のもとへ


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