「……やめろよッッ」
鼻につく悪臭に思わず目の前の身体を突き飛ばした。
「ったいな…」
目の前の人物は拒まれたことがカンに障ったのか、端正な顔を僅かに歪ませる。
セーブルアンテロープ
満月の夜にだけセーブルアンテロープに変身する俺、風間格はライオンに変身する彼、高坂藤緒に家族を人質に喰われている。
喰われるというか抱かれているというか、もう行為のことは思い出したくないが、定期的に家に呼び出されては身体を貪られていた。
今日もいつも通り彼の自室でベッドに押し倒され、真っ赤な舌が覗く唇が近づいてきた時だった。
(くさい)
血と肉と臓物。
普段嗅ぎ慣れないその臭いが彼の口から香ったのだ。
耐えられる訳がない。
未だ、町の人隠しは続いている。
「なに、何か不満でもあるの?」
彼は獲物を前にした興奮を抑え込むように自身の唇を舐める。
「お前……人、食ったのか」
「ああ。そりゃ食べるさ。お前だって食事くらいするだろ?」
何を当たり前の事を言うんだ、とばかりに再度唇を寄せてくる高坂に思わず顔を背けた。
「やだ…ッ」
高坂は舌打ちをすると、苛立った様子で俺の顎を掴み、正面を向かせる。
「生意気言うなよ。お前も食ってやろうか?」
「……ッっ」
(こわい)
高坂から滲み出る殺気に全身の毛が逆立ち、身体は小刻みに震える。
食うモノと食われるモノ。
そう、俺は高坂の気まぐれで生かされているだけ。
高坂の気まぐれでいつでもただの肉塊になる。
「…っく…」
彼の牙が剥き出しの鎖骨に触れる。
涙が止まらなかった。
(情けない)
彼が微笑んだりするから。
優しく触れたり、キスをしたりするから。
忘れそうになるんだ。
(自分が被食者だって)
「……ッ…?」
暫く経っても触れられた牙が喉に突き刺さることはなく、恐る恐る瞼を開けると、何処か不満そうに眉を寄せる高坂がいた。
「…そんなに俺が怖い?」
「……、今日は、帰るっ」
「帰さないよ。帰るっていうなら、今からお前の家族襲ってやる」
「…ッっ」
(そんなこと言ったって)
(高坂の気まぐれで遊ばれるくらいなら)
「…かえる!!!!」
彼を押し退けて部屋を飛び出した。
彼は俺の家族を食べるって言った。
(本当のこと言って夜逃げしてやる)
全速力で家に帰ると、穏やかな顔をした母親が迎え入れてくれた。
「おかえり」
「母さん!大変だ。早く逃げよう!俺のクラスメートが」
「おかえり。格くん」
「なんで、お前…」
「先帰っちゃうんだもん。今日泊めてくれるって言ったじゃない?」
「そうそう。さっき見えたのよ。高坂くんっていうの?礼儀正しくていい子ねぇ」
唖然とした。
(なんでこいつがここに?!)
「いい匂いがしたからさ。すぐわかっちゃった」
にっこりと微笑む高坂。
「部屋、案内してくれるよね?」
俺は頷くしかなかった。
□□□□□
「なんでお前がここにっ」
「ライオンの姿になれば一走りさ。お前おせぇのな」
(仕方ないだろう、牛なんだから!)
家族を人質に取られてる以上、もう高坂に逆らうことは出来ない。
絶望を感じた時、格のベッドで遊んでいた高坂はいきなりこう告げた。
「料理、作れる?」
「………は?」
「ヒトなんてまずいし。お前がウマい料理作ってくれるなら人間食わないよ。俺の家族だって」
「料理、全く出来ないんだよウチ」と言う高坂に一気に緊張が崩れた。
その場にへたり込む。
「いいの、それで?」
「お前、俺が人間食うのが嫌なんだろ?いちいち臍曲げられるのも面倒だし」
ふん、と鼻を鳴らした高坂に腕を引かれるままベッドへと二人身を落とす。
今度は抵抗しなかった。
「ちゃんと肉入れて作れよ」
「うん」
「3日に一回でいいから泊まり込みでウチで作れ」
「……うん?」
そうして母から教わり料理を必死に覚え、泊まり込みでご飯を作るうちに、高坂の家族に気に入られ、ますます悲惨な運命に巻き込まれるのはまた別のお話――…
憎き鷹には餌を飼え