人に依存されるというのはとてつもない快感だ。何もしなくとも承認欲求がたぷたぷと満たされ、自分はここにいていいのだとほっと息を吐ける。だから依存されるという行為自体に依存してしまって共依存なんて関係が設立されるわけだ。はて、この共依存だが、はたして依存している側とされている側、いったいどちらの方が依存度が高いと思われるだろうか。僕は断然、依存される側の人間の方がその状況に執着してしまっているものだと思っている。そういう前提が根っこにあったからこそ、僕はこうして客観的に今の状況を見れているのかもしれない。そうだ、僕は知っていた。このコミュニティの中でしか生きていなかったのに、いつまでもこれが続くわけないと知っていた。知っていて、何もしなかった。だからコミュニティの壊滅と僕の死はイコールであったはずなのに、そこはやはり、僕の意気地のなさというか、なんというか。僕は死ななかった。コミュニティが壊滅したところで、ああ知ってた、まあいつまでもこんな感じで続くわけもないよね、といったような言い訳じみたものばかりが頭に浮かんだ。こう言う時ばかり冷静な自分に嫌気がさす。そして、こうなることを見越して安牌を用意していた僕はやっぱりゴミクズなんだろうなあなんて思った。事実だから何も言えないんだけど。だからこうして僕が長男を除いたみんなに囲まれて眉をしかめられているのも、またしかりなんだろうなあと。もっとも十四松はおろおろとしていて、唯一僕の味方になってくれそう。あのクソ次男の眉間にまで谷ができているのだからこれは穏やかじゃない。知らず正座をしてしまうのも致し方ないといったところだろう。
「ねえ、一松」
 この中で一番眉間のしわが濃いチョロ松兄さんが震える声で僕を呼んだ。本当はもっと抑えようとしたのだろうけれど、それが限界だったらしい、ぶるぶると肩と連動して震える声を必死に取り繕って、僕の名前を口にする。ねえ、一松。
「お前、専門学校行ってたって本当なの」
 そらきた。僕はなんとも言えない面持ちで四人の顔をぐるりと見た。母さんかな。母さんだろうな。これで一松も働いてくれたらいいんだけどなんて言ったのかもしれない。何年も経っている約束事はもうすでに時効だと思ったのか、それとも本当にうっかり口を滑らせてしまったのか。前者だろうな。猫背が更に酷くなってもう少しで土下座の形をとれそうだ。
「そうだよ」
 十四松のあわあわが更に酷くなる。こいつは知ってたもんな。というか、十四松をけっこう利用していた感が拭えない。いやでも僕が家にいる時間は少なくなるから、それを十四松に頼みこんで二人で野球をしたり、隣町までスウィーツを食べにいった設定にしてもらってた。十四松は笑顔で快諾してくれて、ああ就職したらこいつに一番にいいもんを食わせてやんなきゃななんて思ったもんだ。もっとも就職しなかったからその案件は保留になったわけだけれど。
 チョロ松兄さんの雰囲気が一気に凶悪になる。反射的に浮かんだ腰はきっと僕を殴る構えをとるつもりだったのだろう。「チョロ松!」慌ててクソ松がその肩を掴んで無理やり尻もちをつかせたからそんな事態には至らなかったけど、チョロ松兄さんの目は未だにギラギラと憤怒の炎で燃えている。炎。炎かあ。それから連想されるのはやっぱりあのクソ長男だ。赤色だからかな。「馬鹿にしてんのか」チョロ松兄さんが震える声で呟く。馬鹿に? いったい誰を。人を馬鹿にできるような人間だなんて思ったことないですよ、自分を。クソ松は例外。しかしその例外もそろそろ外されそうだ。だってこうして三男をなだめている(なだめてんのか?)次男は、間違っても僕よりゴミなんかじゃないんだろう。どうぞお好きに、ゴミは動きませんからなんて今言ったら血祭りになりそうだ。勿論僕の血である。「一松」クソ次男を脱却させられた普通次男が僕に語りかける。その目から何かを悟ることは難しい。何考えてるかわかんねえもんなこいつ。
「マミーが言っていた、お前、専門学校、かなりいい成績で卒業して、就職も引く手あまただったと」
 そこまで話したのか。いよいよ土下座と猫背の区別がつかなくなりそうな僕に、チョロ松兄さん、いや、兄さんじゃないかも、チョロ松が、震える声で、言う。「馬鹿にしてんのか」って。いやだから、人を馬鹿にできるような人間じゃないってば僕は。
「どうして就職しなかった。お前なら簡単だったろう」
「合ってないと思ったから」
 今時アルバイトを辞める高校生の方がていのいい言い訳を思い付きそうな科白である。チョロ松の腰が浮いて、今度は十四松に阻止されていた。筋肉達磨二人に囲まれていては身動きはとれまい。だから僕は殴られる前に言いたいことを言うことにした。我ながらとんでもねークズである。
「合ってないと思ったから。俺なんかが働ける職場じゃないと思ったから。だから就職しなかった」
 高校生の言い訳のほうがつじつまがあっていようがなかろうが、これが事実である。だから僕はそのまま黙り込んで、顔をそらした。やべ、殴られてからそらしたほうがよかった。これじゃ殴られた力を流せない。フルボッコ確定かなあ、なんてぼんやりしている僕に、カラ松が言う。「違うだろ」は?
「俺たちがいたから、就職しなかったんじゃないか。俺たちが何もしていないニートだったから、お前もニートになろうとしたんじゃないのか」
 前言撤回。やっぱりクソはクソだわ。てかカラ松って誰? 「ちげーよ馬鹿」付き合ってられない。今度は僕が腰を上げる番だった。
「いいじゃん祝いの席だってのに。やめようよ。僕が資格を持ってるからなに? 関係なくない?」「関係なくない」クエスチョンマークを蹴り飛ばして、僕の言葉を反芻したのは意外にもトド松だった。これにはさすがに驚かされてぱちぱちと瞬きながら末弟の顔を見れば、心底侮蔑したような、軽蔑したような目で僕を見つめていた。場が場じゃなかったらあざーすと言いたいところである。
「一松兄さんは、ずっと僕たちのこと馬鹿にしてたんじゃないの」
 だから何度も言わすな、僕は人を馬鹿にできるような人間じゃない。僕が、僕なんかが、人を馬鹿にしていいわけがない。こんな、ゴミクズが。
「だって一松兄さんにはいつでも就職できるっていう安心感があったもんね。僕たちみたいに定職につけるかどうかも危うい状況じゃなかったわけだし」
 僕が就職できるわけないだろ。僕が、僕なんかが、「一松兄さんさあ」トド松の声が僕を切る。

「自分はゴミですって言っとけばなんとかなると思ってんの、超ムカつく」

 最後の方は空気に砕けてよく聞き取れなかった。あ? なんで僕の下にトド松がいんの? お前瞬間移動とか使えたクチ? 尊敬するわ、お前の方がよっぽど就職先なんて引く手あまたなんじゃないの? 「やめて一松兄さん!」何をやめる? 何をやめろっていうんだよ十四松。振り向けば泣きっ面に赤。え、なんでお前血なんて、「やめろ一松!」先ほどのチョロ松兄さんと同じように筋肉達磨二人に拘束されたせいで、いや、この場合おかげか? 今の状況を把握する。荒い息を整えながら視線を下にすれば、殴り傷だけで人ってそんなに出血できるんだなって感じのトド松と目が合った。「一松兄さん」たいそう喋りにくそうな様子で、末弟は言った。殴ったのは僕であるはずなのに、その目は僕に対する恐怖やら何やらを孕んでいない、強気なものだった。「いい加減、逃げんのやめたら」何からだよ。その答えを知らないほど、僕は無知じゃなかった。


「あーらら、いったそー」
 十四松に引きずられて連れて行かれたリビングで、おそ松兄さんは僕の顔を見ながらそんなことを言った。十四松がぱっかり開いた口を引き締めて、先ほどまで微塵もお祝いムードを出していなかったおそ松兄さんを見上げる。「母さんをけしかけたの、おそ松兄さんでしょ」「けしかけたなんてしっけーな」俺はただ、これで一松も就職するかもねーって言っただけだよ。そう言っておそ松兄さんは煙草に火を付ける。なるほど、全ての元凶はこいつか。「ねえ十四松、出てってくんない?」僕を殴っただけでは飽き足らずまだ暴れまくっている三男がいる二階にちらりと視線をやって、十四松に告げる。「兄さんと二人で話があるんだ」十四松は僕とにやにや笑うおそ松兄さんを交互に見たあと、何かあったらすぐに悲鳴上げてねと言ってとたとたと出て行った。素直で助かる。あと悲鳴ってなんだ悲鳴って。チョロ松兄さんに殴られて痛みを発する頬を、おそ松兄さんの手がするりと撫でた。発熱しているせいか、おそ松兄さんの肌が冷たい。
「いちまちゅー、怒ってるう?」
「……別に」
 どうせいつかはばれてたことだし。そう言って兄さんの手を引きはが、そうとして、手を握られる。「なあ、一松う」ああ、この声。この顔。反則だよ、おそ松兄さん。「お前だけは、俺と遊んでくれるよなあ」おそ松兄さんは五人に依存されていた。一人でもとんでもないのに、それを五倍した快適さ。そう簡単に手放せるわけもないし、そう簡単に溺れられるわけもない。ふひ、と口の端から笑声が漏れる。依存されることの快感。それを知らないわけがない。だってこの兄こそが、僕にその快感を教え込んだ人物に他ならないのだから。ゆらゆらと間をただよう紫煙を横切って、僕はおそ松兄さんにキスをした。ぽろり、とくわえていた煙草は見ない振り。ね、おそ松兄さん、ずっと僕と一緒にいようよ。だってそれが共依存なんだから、さ。



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24話if
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