死んだ方がいいんじゃない、っていう幻聴がいつも頭の中で響いている。最初こそそんな科白が聴皮質(……なの、かなあ。幻聴だからもっと別のところを使っているのかも)を刺激するのが嫌で嫌で、怖くて怖くてお医者様に頼ったりもしたけれど、今となってはその声ともお友達になってしまった。もう慣れてしまった。
 死んだ方がいいんじゃない。知ってるよ。リセットボタンがあればいいのに。でもこれは三次元だから。現実だから。あるのはリセットボタンじゃなくて電源ボタン。押した瞬間に全てがばちんと音を立ててなくなる、そんな世界。ほんとクソったれな世界。
 前世で人を殺した末に死刑にされたんじゃないのかってくらい、俺の人生はうまくいかないものになっていた。そりゃ世の中もっと大変な人もいるんだろうけれど、結局それだって他人の話。冷静だ客観的だなんだって言われてても俺だって人間よ? それも結構普通の感性持った。俺は特別な人間なんかじゃない。すごい人間なんかじゃない。ただの情けないほどに弱い、一人じゃ生きていけないようなそんな人間。
 お姉ちゃんはしっかりしてるから平気だよね。平気なわけあるか。今にもぽっきり折れちまいそうだよ。
 お前は冷静だから大丈夫だよね。大丈夫じゃないよ。大丈夫な人間は鬱にも統合失調症にもならないよ。
 あんたはちゃんとしてるから。してねーよ。してるやつは自傷なんてしない。
 それ、本心なの? 俺にも分かりません。耳を塞ぐ。俺は今まで散々嘘を吐いて吐いて吐きすぎるほどに吐いてきたからもう何が本当で何が嘘なのか分かんなくなっていた。
 悲しいの? 悲しい。けど同時に悲しくない。
 辛いの? 辛い。でも同時に辛くない。そんな相反した思いがいつだって俺の脳みそにはあった。だからもうどれがほんとか分からない。どれがほんとでどれがうそなのか分からない。だって俺はそんな差異が分からなくなるほどに嘘を吐きすぎてしまったから。
 でもしょうがないじゃん。親に階段から突き落とされましたなんて言ったらみんな困るでしょ。親にそんなの自分の娘じゃないなんて罵られたって言ったら困るでしょ。手首切ってますなんて言ったら困るでしょ。ほんとは平気でも大丈夫でもなんでもなくって首に縄を通すほどに疲れてるんですって言ったらみんな困るでしょ。ほんとは誰かに慰めてもらいたい認めてもらいたい褒めてもらいたいなんて言ったらみんな困るでしょ。だから嘘を吐いたんだよ。全部全部嘘だよみんなが思ってる想像してる認識してる俺は全部嘘だよ偽りだよまがいものだよ。
 でも本当にそうなのかな。俺はもう嘘を吐きすぎてしまって何がほんとか分からないから、皆が認識してる俺の方が本当なのかも。で、俺が思ってる自分自身の方が嘘っこ。納得。じゃあ親に虐待されたり罵倒されたり自傷したりした事実はいったい何になるのだろう。それも嘘偽りまやかしで全部なかったことになるんだろうか。なかったことにしたかったよ。でもできなかった。できなかったくせに死ねなかったから今ここにいる。情けな。
 今更コッチの俺を見せたところでみんな困ってしまう。グロテスクなほどにケロイドが刻まれた腕を見せたら困ってしまう。最初はみんな同情するかもね。力になるよって言ってくれるかもね。助けてあげるって救いの手を差し伸べようとするかもね。でもそれこそ全部嘘偽りまやかしフィクションじゃない? 人は一人で助かるだけなんだって。だから俺が助かる気を起こさないとなんにも起こらないんだって。おかしいな、俺は誰かに助けて欲しくて救って欲しくて一緒にいて欲しくて堪らなかったはずなのに。まあ無理なんですけどね。現実問題。
 多分俺は人より重い。いや体重の話じゃなくて。思いが重い。誰かと一緒に心中できることが至福だと思ってるそんなメンヘラ野郎。でもそれを人にひけらかすのが怖くって何でもない風をしているとんだ卑屈野郎。だって怖いじゃん。だって恐いじゃん。みんなそんなこと言ったら離れてくんでしょ。実際離れていかれたし。
 だったらもういいじゃん。メンヘラ自傷自殺未遂常習犯野郎の俺なんかより、冷静で客観的でドライな僕の方をみんな求めてるんでしょ。俺の固有名詞を呼ぶことは俺じゃなくて僕を差してるんでしょ。じゃあ俺はどうすればいいんだよ。このまま黙って自傷続けてメンヘラ気質に浸ってろってか。はは、正論すぎる。
 俺の思いは重すぎる。僕の思いはなさすぎる。ていうかあいつ重みとかあんの。なさそう。あいつは何もかもを諦めてるからあんな風に生きられるんだ。でも俺はまだそこまで行きついてない。生きついてない。誰かに一緒にいて欲しいし慰めて欲しいし認めてもらいたいし褒めてもらいたい。でも無理。そんなの無理。
 俺への同情は全部まやかしだ。可哀想っていうのも全部嘘。ていうか可哀想って思う時点で相手のこと格下に思ってるしね。自分より格上のやつが酷い目に合ってたら可哀想って感情じゃなくってざまあみろっていう感情の方が噴き出るわけだし。
 俺はみんなの格下。ちゃんとここまで育ったのにどこで道を間違えたのかメンヘラ野郎になってしまった。でもそれを表に出せない面倒くさい方のメンヘラ。メンヘラを全面フューチャーできる人たちが羨ましい。俺は無理。だって怖いから。皆が認識してる僕と俺とのギャップに引かれて離れて行かれるのが死ぬほど恐ろしいから。だからこのままでいいんだよ。いいわけあるか。
 平気? 平気じゃねえよ。
 大丈夫? 大丈夫じゃねえよ。
 全部全部全部全部嘘だ偽りだまやかしだ。でも自分で捲いた種だからどうしようもない。自己責任ってやつ。自業自得。笑えねえ。
 俺は冷静じゃないよ。(僕は冷静だけれど)
 俺は客観的じゃないよ。(僕は客観的だけれど)
 俺は全然しっかりしてなくて弱くて脆くてそのくせ強がってるメンヘラ野郎だよ。もうやんなっちゃうね、でも死ねない。怖いから。とんだ産業廃棄物なもんである。
 どんな人間だって傷つくし悲しむし苦しむよ。少なくとも俺はそれに当てはまってるよ。でもそんなのを表に出したらみんな同情して無責任な慈悲の手を差し伸べるんでしょ。で、俺がその手を取る前にその手を引っ込めるんでしょ。自分じゃ手に負えないって。自分じゃお前を助けられないって申し訳なさそうな顔して俺を突き放すんでしょ。突き落とすんでしょ。あの時落下した階段と一緒。痛かったなああの時は、アハハハ、階段って背中から落ちると痛いんだよ、知ってた?
 結局同情とか可哀想だとか助けたいだとかそういう感情って自分の優越感をかさましさせるためのシステムでしかないんだよね。こいつを同情できるほど自分には余裕がある、こいつを可哀想だと思えるほど自分は幸せだ、助けたいと思えるほど優しい人間だって。余裕があって幸せで優しい自分を再確認するためだけのそんな馬鹿みたいなシステム。それである程度自分が余裕のある幸せで優しい人間だって分かったら相手の手を離すんだ。いやそもそも掴んでもなかったかも。そいつを視界からシャットアウトして自分の日常に戻る。残された方? 知らねえよ。そいつらには知ったこっちゃないんだろうよ。
 思いが重い。でも俺はそういう生き方しかできない。どうしろってんだよ。手首じゃなくて頸動脈切れってか。なかなか的を射た発言である。でも俺は怖いから。俺は弱いから。そんなことできないから今日も今日とて手首を切るんだよ。それで全部僕に任せて内側に引きこもる。
 僕は強いから(本当にそうなんだろうか)
 僕はしっかりしてるから(……本当に、そうなんだろうか)
 だから俺は僕に全てを任せてしまう。あーあ、他の人間と変わらないんだよね俺も。結局自己中心的で偽善的な人間と一緒。だって人間ってそういう生き物だし。仕方ないよね。
「だから任せたよ」
 そう言えば、僕は少し眉を潜めてから大きく溜息。やだなあやめてよ。お前にまで捨てられたら、見限られたら俺本当に一人ぼっちになっちゃうじゃん。僕がいるから俺は今までやってこれたんだよ。誤魔化して誤魔化して今まで生きてこれたんだよ。だからそんな顔しないでよ。
「お前だけは俺から離れて行かないよね」
 離れられるわけないじゃん、という溜息。うん、それが心地いい。だって他人なんて怖くて怖くて仕方ないんだから。(でもそのぬくもりを求めてる自分はそうとう終わってる)



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