近頃煙草の量が異常に増えた。一日で三つもソフトパックを潰した時は流石にまずいと思い、くわえていた火のついていない煙草をそっとくしゃくしゃにしたケースにしまい込んだものの、三分もしないうちにそれに火を付け紫煙を吸いこんでいた。ちょっと減らした方がいいんじゃない、というような視線をばしばし背中から感じて、それに振り向くことなくひらひらと手を振って見せた。相手からの反応はどうしようといった可愛らしいものだった。うん、どうしようだよね、僕自身どうしようって感じだよ。一カ月に消費する煙草の量とその費用を考えて少しだけ気が滅入る。
 何がどうして突然こんなにもヘビースモーカーになってしまったのか全くもって見当がつかなかった。最近特に嫌なことがあったわけでも苛々しているわけでもない。だというのに摂取するニコチンとカフェインの量ばかりが多くなって行って、これじゃあ僕の肺と胃のお先は真っ黒だなと自嘲した。持ち主の人生も真っ暗だからおそろいだね、ピースピース。一人で宙に向かってダブルピースをする僕に刺さる視線のなんと冷たいこと。最近墓参りをサボっているからだろうか。車も何もない僕にとっちゃあそこに行くのはなかなか骨が折れるのだ。
 そう考えて、そう言えば僕はこいつの好きな食べ物一つ知らないな、と少し後ろで僕を眺めていた彼女に向かってようやく振り返る。紫色のワンピースに黒く長い髪。棺桶に入っていたこの子は真っ白なワンピースを着飾られていた。お嫁さんみたいだ、とぼんやり思ったのを覚えている。僕は泣けなかった。隣でわんわん泣く母親を宥めるのに精いっぱいで、それどころじゃなかったし、そもそもなんとなく現実味がなかったのだ。つい先日まで隣で一緒に駆けずり回っていた相手がその心臓を止めて死んだなんてタチの悪い冗談だとしか思えなかった。結局それはドッキリでも冗談でも何でもなく、あいつは骨となって静かに墓の下に眠ることになった。もっともそれは肉体の話であって、魂とでもいうべき意識は僕の傍にいる。なんで僕なのかは分からない。あの時泣かなかったからかなあ、と推測してみる。
 悲しかった、と思う。いやそりゃ悲しいでしょ、親友といってもおかしくない存在が死んだら。それも自分と同じ病気で死んだともなればなんで僕じゃなくてあいつを連れて行ったと恨んだことだろう。その時の記憶を手繰っていくうちに、思い出したくもない、脳みその奥の奥の奥にしまいこんでいた腐りきったどろりとしたものが指に絡みついて、ひょっこりと顔を出した。それに思い切り眉間に皺を寄せる。
 運命だったんだよ。
 そう言ったのは誰だったのだろう。でもあの時、僕はそう言われた。立ち尽くす僕に、彼女の肌から伝わる死の冷たさに打ちのめされた僕に、誰かは言った。これは、運命なんだよって。運命ってなんだよ、中二病か。今の僕がその現状にタイムスリップできたならばそんなことをのたまった相手をたこ殴りにして病院送りにしていたことだろう。
 運命? 運命? ああそれってディスティニーとか、そういうあれ? おいおい笑わせんなよ、お前らそんなの信じてるわけ? 運命とか赤い糸とか信じちゃってる系? イッタイわー。肋折れそう。つーか折れた。慰謝料払え。
 運命なんかじゃない。あいつはただ死んだだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。死に他の要素を付けたして堪るか。死んだんだよ、死んだだけ。それだけなんだよ。それに理由を見つけようとすんな。なんでだとかどうしてだとか考えんな。死んだ、はい彼女は死にました。それだけで終わりなんだよ。馬鹿じゃねえのか。いや馬鹿だわ、ごめん、馬鹿に馬鹿って言ったら傷つくよなあ。
 運命なんかじゃねーよ。自分で選んで、自分で進んだ結果があれなんだよ。僕だって似たようなもんだ。自分で決めて、自分で進んで今ここにいる。そうして大層な病名をもらってヘビースモーカーになった。誰の責任でもないし誰のせいでもない。僕が選んだんだ、そこに介入しようとすんな。加害者面すんな、被害者面すんな。この世にいる人間ってのは皆加害者で被害者なんだよ。自分だけが不幸だと思うな。自分だけが幸福だと思うな。そんな独りよがりの自慰行為に浸ってんじゃねえよ反吐が出る。
 ぼきり、と持っていたマッチが折れる。とっくの昔に役目を果たしたそいつは沈黙したままその様を受け入れた。僕の暴力を受け入れた。後ろで佇むあいつも、こうやって落ちぶれていく僕を見つめることを決めた。そう、自分で決めたんだよ。だからそれを悲劇にしようとすんな。悲劇でも喜劇でも惨劇でもなんでもない、これはただの僕という一個人の人生でしかないんだから。
 フィルター一歩手前になった煙草を灰皿で押し潰す。そして新しい煙草をくわえながら、死ぬなら肺がんがいいなあとぼんやり思った。



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