死体と触れあえば兄の心が分かると思っていた。物言わぬ身体となった兄のことを、理解できると。少なくとも大学に入ることへの動機はそれだった。十五年前の自分に三十秒でも会えることができるのならば、その能天気な頭をひっぱたいてこう罵ってやりたいもんだ。そんなことは無駄だ、と。たとえ幾人の冷たくなった遺体に触ってメスを入れたって、兄の心情なんてこれっぽっちも分かるはずがないだろう、と。当たり前だ、メスを入れるのは身体であって心ではない。もちろん心にメスを入れる科も、心に絆創膏を貼る仕事もこの世には溢れかえっていた。それでも僕がかたくなにこの監察医という物好きしかやらなそうな職に就いたのは、やはりもう脈打つこともなくなった青白いというより赤みが抜けて黄色くなったニンゲンと触れあえば、あの兄、一松兄さんのことが爪の先くらいは分かるのではと言う希望からだった。願望ともいう。
 監察医っていうとどうしても刑事ドラマとかのせいで殺人事件とかで産みだされた(殺されたのに産みだされただなんて、とんだ皮肉だ)死体を解剖しこれがどーのであーでみたいなことを想像する人が多いけれど、実際は事故とかで亡くなった身元不明の人たちの方が圧倒的に多いのだ。もっと限った話で言えば、自殺した人間の身体を見ることが一番多い。そしてそれが、僕がこの道を志そうと思った動機である。とてもじゃないが、志望理由としてはあまりにもエキセントリックでマッドサイエンスなものだから、僕はこれを口外したことがなかった。しかしやはり特殊な職なせいか、何故この仕事を選んだのかはよく訊かれる。ある人は好奇心、ある人は自分の理由と照合、ある人は好奇の目で、そんなことを質問される。そんなときはいつものへらり、という擬態語がぴったりな笑顔で言うのだ。「なんとなくだよ」って。
 兄弟たちは何も言わない。きっとなんとなく察しているのだ。あの日を境に、僕たちは決定的に変わってしまった。変化してしまった。変貌してしまった。
 カラ松兄さんは自分探しの旅と言って家を出て行って一年に一、二回しか顔を出さなくなってしまったし、チョロ松兄さんは一般企業に就職して悲願の脱ニートと一人暮らしを達成した。トド松もバイトを増やして、家を出てしまった。女の子のところにいたり、普通に男友達のところに居候したりで、根なし草な生活をしているらしい。おそ松兄さんは。

 おそ松兄さんは、何をしているんだろう。

 あの日から三年以内に皆家を出てしまって、その上あの家は売られて別に小さな一軒家を買って父さんと母さんもそこで暮らし始めたから、その際当然おそ松兄さんも(僕も実家から大学に通おうと思っていたので、少なくなってしまったけど両親と兄弟と仲良くやっていくんだと思っていた)その家に暮らすと思っていたのに、ふらりとどこかに行ってしまった。ほぼ毎日顔を出して住み着いているかと思えば、年単位で帰ってこないこともある。何をしているかは、誰も知らない。何年か前にカラ松兄さんがそれとなく訊いていたけれど、なんだかはぐらかされて結局何をしているのかは分からずじまいだった。ある意味、今一番神出鬼没なキャラ付けになっている。カラ松兄さんは自分探しの旅と言っても何かと手紙やら絵葉書(外国のおみやげ風なものであったり、現地の人だとか動物だとか植物だとかと一緒にカラ松兄さんが映っている写真がプリントされたものが送られてくることもある)は送ってくるので、なんとなく何をしているのかは分かるのだが(……分かるのかな? 十年単位の世界旅行とすら思える。というかお金はどうしてるんだろう)おそ松兄さんに至っては本当に、ふらっと、コンビニから帰路についたかのように玄関を開けるので、本当にびっくりするのだ。そんな様子のおそ松兄さんに、母さんと父さんは何も言わない。元気ならなんでもいいと、この前ぽつりとこぼしていた。その言葉に、僕はどうしようもなく胸が締め付けられる思いだった。胸どころの話ではない、心臓を有刺鉄線でぐるぐる巻きにされた掌で握りつぶされたかのようだった。僕は仕事のスケジュールをカレンダーに書くふりをして、そうだねと笑うことしかできなかった。あの時、僕はちゃんと笑えていたのだろうか。
 仕事をしていていつも思う。この人はどんな思いで死んだんだろうって。どんなことを考えながら、この選択をしたのだろう。
 自殺で一番多いのは首つりだ。老若男女問わずモテモテな方法。アイドルだったら各テレビ局に引っ張りだこなはずなのに、悲しいことに(……悲しい、のかな)彼らの役割はあの世とこの世の橋渡しだった。なんだかんだいって、首つり死体ってのは醜い。そもそも死体でも美しいっていうのは、本当に老衰か限られた病だけなんだけど、どっちにしろお葬式とかは死に化粧をしてもらうんだから、死んだ直後の状態なんてどうでもいいんだろう。
 でもいかがなものかな、とおにぎりを包むビニールを破きながら思う。
 樹海だとか人が滅多にこない場所でもない限り、死体と言うものはたいてい発見される。そりゃあ海に捨てられたり(誤解しているようだけれど、海に捨てると案外死体と言うのは見つからないのだ。打ち上げられる人たちは、ある意味運がいい。空っぽの棺ほど、見ていて虚しくなるものはない)地面に埋められたり骨の髄まで焼いて灰にしてしまえば見つかるも何もないのだけれど、首つり死体は少なくともそのどれにも当てはまりそうにはない。血管が圧迫されてパンパンに赤く腫れた顔を引きずりながら海へと投身することも、だらりと下げられた血の気のない腕が穴を掘ることも、折れた頸椎を焼くよう指令する脳みそも、たいていはないだろう。あったとしたらどんなギャグアニメだ。死が軽視されすぎだ。土管からにょきにょき生えてくる髭面のおじさんよりも命が軽い。口笛を吹いたらその風圧で飛んで行ってしまいそうだ。

 内容が内容なだけに、どちらかといえばアニメというよりサイコホラーなゲームっぽいけれど……。

 そよそよと風に吹かれるカーテンが頬を撫でるのに目を細めて、窓の外を眺める。この位置から見える中庭には木蓮の花が咲いていた。その花を見て、ああもう十五年も経つんだなと思った。十五年も経ってしまった。十五年。赤ん坊がおぎゃあと産まれてから高校受験でひいひい言い始めてしまう年月を、僕は、僕たちは過ごしてしまった。僕たちが高校を卒業してどこの大学にも専門学校にも進学せず、かといって就職するでもなく家で自堕落に生活していた年月よりも、よっぽど多くの時間が経過してしまった。過ぎ去ってしまった。
 本当に経過したのだろうか。首を傾げる。口角に張り付いた米粒を舌で舐め取って、ビニールをゴミ箱に捨てる。僕だけしかものを捨てる人間がいないゴミ箱はいやに綺麗だ。看護師さんがちゃんと片付けてくれているのも助けているのだろうけれど。
 あの日以来、僕たちの時間は本当に経過しているのだろうか。各々新たな人生を歩んでいるように見えるけれど、それは暗にあの日の出来事を塗りつぶすためにもがいているようにも見えた。そしておそらく、おそ松兄さんはそれを避けるために新たな実家に住もうとしない。塗りつぶさないために、劣化させないために、必死にあの頃の自分を保とうと躍起になっているのだろう。
 ……案外、一松兄さんを一番に思っていたのは、あの長兄なのかもしれない。何を考えているか分からない人ではあったけれど、何も考えていない人ではないのだ。
「ね、一松兄さんもそう思うでしょ?」
 木蓮の白から、病室の白に視線を移す。
「そうかな、あの人は案外、考えていることが分かりやすいけど」自分が楽しけりゃそれでいいんでしょ、と卑屈に言うべき人物は、動かずにじっとそこに鎮座していた。
 いや、鎮座という表現はいささか語弊かもしれない。

 松野一松という僕の兄は、十五年もの間ずっと、白いシーツの上で横になったまま、そのベッドに腰掛けたことなど一度もないのだから。












 一松兄さんが首を吊った日は、馬鹿に天気がよかった。まさしく春麗という感じで、ぽかぽかと温かかったのを覚えている。宙ぶらりんになった一松兄さんを見つけたのは、野球から帰ってきて銭湯に行く前に顔でも洗おうと洗面所兼脱衣所に行った僕だった。曇りガラス越しにぶらぶらと揺れる一松兄さんのおぼろげな姿は、きっと死ぬまで脳裏に焼き付いて離れないのだろう。浴室で吊ったのは、首つり死体は内臓やら汚物やらが垂れ流されるとネットでまことしやかに囁かれていたからかもしれない。片付けが大変なところは避けたんだろうとなんとなく思った。なんでそういうところで変に冷静なのだろう、この兄は。
 そこからはよく覚えていない。
 必死に心肺蘇生をして、救急車を呼んで、医者に言われた科白が植物状態。笑えない。本当に。

 そこから僕たちはどうしようもなく歪んでしまった。どうしようもなく崩れてしまった。どうしようもなく、壊れてしまったのだ。修正のしようもなく、ばらばらに。

 どうして一松兄さんが自殺を図ったのか、分かりそうで分からなかった。確かに一松兄さんは世捨て人っぽい感じもあるし、自己否定が激しい性格ではあったけれど、はたしてそれが死にまで至ることだったのかどうかは、誰にも分からなかった。分かるのは本人だけなのだろう。
 一松兄さんが眠り続けてから、皆おかしくなった。もともとおかしかったのに、それが根本からひっくり返された。根本を塗り替えられた(……塗り替えられた?)(違う、)

(ぶっ壊されたんだ。)

「ねえ兄さん」
 随分と痩せこけてしまった頬を撫でる。ここまで肺炎も何もせずに生き延びられるなんて、一松兄さんは運がいい。……一松兄さん的には、運が悪いのかもしれないのだけれど。
 さまざまな遺体に触れていて思う。ああこの人は苦しんだんだな、ああこの人は楽に逝けたんだなっていうのが、簡単に分かってしまう。さすがに飛び降り自殺とかでぐちゃぐちゃになった死体に苦しいも何もないが(地面に叩きつけられるまでの時間は五秒間だという。ある意味その五秒間が、一番苦しいのかもしれない)、首つり死体は違う。顔がパンパンに腫れていたらああこの人は苦しんだんだなと思うし、大して腫れてなかったらこの人は楽に逝けたんだなと思う。
 一松兄さんは、どうなんだろう。発見が早かったから顔が鬱血することも汚物が垂れ流されるわけでもなかったから、一松兄さんの空中ブランコ(使い方は間違っているし多分劇団の人に怒られる)は恐ろしく、美しかった。
 この世のものではないのではと思うほど。
「一松兄さん」
 随分伸びた兄さんの前髪をかき分ける。あらわになった額に自分のそれをこつりとぶつける。どこかひんやりとした体温は剥製を思わせた。

「早く目を覚ましてよ」

 兄さんが死のうとした理由は、分かりそうで分からない。でもまあそれはつまり、なんとなくは分かるということだ。

 兄さんはきっと、この世界で生きるにはあまりに優しくて賢すぎた。いつまでもこのぬるま湯みたいな状況が続くわけがないと、一松兄さんは分かっていた。分かってしまっていた。いつかは皆目が覚めたかのようにあるべき道へと戻っていくのだろうと。産まれたときから一緒だった兄弟がばらばらになることは、時間の問題だと。それがたとえ当たり前のことで常識的なことだろうと、兄さんには耐えられなかった。いやきっと当たり前で常識的なことだから、兄さんは耐えられなかったんだ。ジョウシキだとかフツウだとかいうものに、兄さんは殺された。セケンという重圧に潰された。

 そして、首を吊った。

 それをきっかけにして兄弟がそれぞれ自立したのはある意味皮肉としか言いようがない――僕も大学を出て監察医という職についている以上、一松兄さんが目を覚ましたら滅多刺しにされるのだろうけれど。
 一松兄さんの手に触れて苦笑した。「……ははっ」細い腕だ。これじゃあ持ち上げるのだって困難だろう。いくらリハビリテーション科の人たちが頑張ったところで限界はこれなのだろう。そっと手に取る。かすかに触れる手首から、どくんどくんと脈を感じた。
 滅多刺しにでも串刺しにでもされていい。
 目を覚ましてくれるのならばどんな罰も受けるよ。
 だから、


「リハビリして、ご飯食べて、元気になって、そしたら、」


 そしたら今度こそ、一緒にシンジュウしようね。
 びゅう、と風ではためいたカーテンが花瓶を倒し中身を床にぶちまける。一輪だけしかさされていなかった真っ赤な花が、僕たちをじっとりとねめつけていた。この異端者が、と。







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