パチンコ屋のあの雰囲気が好きだ。あらゆるところから鉛玉を弾く音がし、じゃらじゃらと何かが流れ出していくあの騒々しさが、僕は大好きだった。あのどこを歩いても漂う煙草臭さも堪らない。僕は煙草のにおいが大好きなのだ。煙草のにおいがないと落ち着かない癖に、僕は人目を気にして香水をし家に消臭剤を置く。我ながら頭のおかしなやつである。自覚があるから許してくれよ、と誰にともなく呟いてみる。勿論こんな騒々しさの中、マスク越しともなれば僕の声は口から零れ出た瞬間に正確な周波数を刻むことができずずたずたにされてそこら辺に放られる。誰か特定の人に言ったわけではないから、僕としてはどうでもいいのだけれど。
 お気に入りのアニメの台が開いていたので、そこに座り込み千円札を吸いこませる。ボタンを押せば、じゃらじゃらと玉が出てきたのでいつもの調子で手首でダイヤを固定し、煙草を吹かす。今日の僕は真っ黒なジャージにクロックス、その上マスクをしてボサボサの頭をしているからどっからどう見ても不良にしか見えない。ジャージのサイズが大きいこともあって、僕の性別をもあやふやなものにしているだろう。それでいいと思った。金がない時は女の子らしい、しかしどこか幼さを持った格好をしてあたふたと台の前でもたついていれば、隣にいるおっさんが厭らしい笑みを浮かべながらこうやるんだよと教えてくれるついでに札を入れてくれる。それに僕は初々しい笑顔でありがとうございますと言うのだ。もっともかなりの騒音の中だから、ほとんどお互い怒鳴り合うような形になるのだけれど。
 しかし今日はそんな気分でここに来たわけではない。若い女の子と話せることに悦びを見出す変態を嘲りに来たわけでも、カモにしたわけでもない。ただこの騒音の中に身を置くために、僕はここに来たのだ。
 0.5パチだから千円でも当たらなくしてそれなりにその台を陣取ることができる。各台の上に掲げられた数字が何を意味するのか、僕は未だに分からなかった。別にそれでいい。僕は金を稼ぎに来ているわけでもないのだ。いうなれば、ゲームセンターで音ゲーをしにきたようなもの。運がよければお金が多くなって返ってくる音楽ゲーム。そんな感覚で、僕はパチンコ屋に赴いている。パチプロや音ゲーマーからお叱りを頂きそうな理由であることに自覚はあるが、だがこのパチンコ屋に来ている人間の一握りだって、そんなプロ意識を持った人間はいないのだろう。ただ金を鉄球にするためだけに、ここに来ている。理由はどうあれ、皆やっていることはおんなじだ。
 台に附属されている穴に吸い柄を添えればまるで掃除機のようにそれは暗い筒の中に吸い込まれていった。相変わらず、サービスだけは旺盛だ。女子トイレだと無料で生理用ナプキンを使えるようにもなっているし。そのトイレにパチンコで人生を棒に振るななんて書いてあるもんだから、初めてそれを見たときには笑ってしまったもんだ。違うよ、僕たちは棒に振る為にここに来たんじゃない、人生を鉄球にする為に来たんだ。なんの飾り気もない、体重を乗せたら身を貫くような棒になんかにしにきちゃいない。乗せられた重みをぐらぐらと揺らつかせる、そんな球体にしに来ているのだ。
 目を瞑る。ボタンを押すタイミングになれば騒々しくそれを急かされるのだから、そうしたらまた瞼を持ち上げればいい。鼓膜を破らんばかりの騒音に、僕は静かに耳を傾けた。
 そう、これが、この感覚が僕は好きなのだ。この騒々しさが、騒音が僕は大好きなのだ。まるで自分がどこにいるんだか分からない、そこに存在しているのかすらあやふやになる、この空間を愛していた。静かな空間は駄目だ、人と対話する空間も駄目だ、それでは僕という存在を明確に浮き彫りにしてしまう。ちゃんとこの世に存在していると、呆気なく証明してしまう。
 二十歳を超えてこんな調子では先が思いやられる。でもそんな未来でさえ、この空間はあやふやに輪郭をふやけさせ不明瞭なものにしてくれる。だから僕は、鉄球を弾きに来ているというよりむしろ己の存在をあやふやにさせるために来ていた。この、自分だけ取り残されたかのような騒々しさを求めて足を運ぶ。千円でそれを体感できるともなれば安いものだ。当たれば多くなって返ってくるわけだし、いいこと尽くめだ。
 昔は、今とは正反対に自分という存在を明確にしようと奮闘していたようにも思う。思う、と頭で浮かべてから、はたしてそうだっただろうかと首を傾げる。本当に僕はあの時、自分を確立しようと我武者羅になっていただろうか。むしろその存在をいかにうまく消せるかに命をかけていた気がする。比喩表現ではなく、本当に何度か死のうとしていたし。それら全てが失敗しているからこそ、僕は今ここで鉛玉を弾いているのだけれど。
 あの時、初めて縄でできたわっかに首を通した時。ようやく終われると思った。僕という存在を、ようやく消せるのかと歓喜した。しかしそれは未遂に終わり、担任教師から勢いのある張り手を貰い受けるだけの結果となった。あとに残ったのは、うっすら鬱血している首元と張り倒された頬の痛みだけである。僕はそれをぼんやりと、僕の頬を張った女性を、薄ぼんやりと見上げていた。彼女は震えていた。勿論生徒を殴ったことで今後の自分の教師生命が終わってしまうかもしれない、なんていう恐怖からではないことくらいは、いくら僕でも察しがついた。これでも察しはいい方だ。よすぎてこうなったとも言える。
 死ぬなと言われた。死ぬな、死なないで、死んじゃ駄目だよ。そんなことを、僕は色んな人から言われた。それに僕は首を傾げるのだ。どうせ皆最後には死というゴールに辿り着くというのに、どうして近道をしてそのゴールテープを切ろうとする僕を罵倒するのか、阻止しようとするのか。分からなかった。今でも分からない。
 でも今の僕と昔の僕では明確な違いがある。それは見た目だとかそんな簡単な違いではなく、もっと根っこの部分での話だ。僕はあの時のように、死を祝福だとは思えない。むしろ死は忌むべき恐怖の対象だと感じていた。この心境を昔の僕が見たら仰天することだろう。だってあの頃は、どうやったら周りに迷惑をかけずにひっそりと死ねるかばかり考えていたのだから。まあ若気の至りってやつ。いったいよねえ。
 でも今の僕は死が怖い。怖くて恐くて仕方がない。できれば不老不死になりたいとすら思っている。だって死ぬっていうことは、何にもなくなってしまうってことだ。今まで何億人もの人間が死の世界へと旅立っているのに、その世界のことを僕たちは何も知らない、そんな未知の世界。そんなところに、何があるのか、何かがあるのかすら分からないところに足を踏み入れる勇気は、今の僕にはなかった。昔の僕は勇敢だったなあ。勇敢を通り越して蛮勇とも言える。
 もっともあの時死んでいれば僕はこうして鉛玉を弾くことも、病院で大金を払って大仰な病名を貰い受けることもなかったのだろう。そう考えるたび、僕はあの時やはり死んでおくべきだったのではないのかと思ってしまうのだ。しかしそれを否定する気持ちも、勿論ある。あの時死んでいたら僕は数多ある小説を読み漁ることもできなかったし、食べたこともない美味な食事を口にすることも叶わなかった。そう考えると、やっぱり生きててよかったなあと思うのだ。生きてて、よかった。数年前なら決して言葉にも、思想にもしなかった言葉である。今の現状を進歩と呼ぶか、劣化と呼ぶかは人によるだろう。僕にだって分からない。きっと精神科の先生にも、あの時僕の自殺を止めた人間にだって分からない。
 それでも、それでも今、僕は生きていてよかったと思う。こうしてニコチンに舌鼓を打ちながら鉛玉を弾く生活を、僕はそれなりに気に入っていた。
 顔を上げる。台を覆う硝子に、死んだ目をした僕と、その真後ろ、いや斜め後ろ、ちょうど僕の右肩の後ろに、僕と同じ顔をした、それでもどこか幼さと危うさを残した数年前の僕の亡霊がいる。しっかり硝子に映り込んでいるのに、いつだってこいつは僕以外の人間に認知されなかった。これが幻覚であるのか、それとも実在の存在なのか、僕は判別がつかなかった。それでいいと思う。
「ねえ、俺」
 そんな過去の亡霊に、僕は語りかける。煙草をふかす僕をうらみがましい目で睨み続ける彼女に、僕は笑う。喪服のようだと揶揄されていた制服をまとう彼女に、笑いかける。それが笑いだったのか、哂いだったのか、嗤いだったのかは、僕にも、そして彼女にも分からないことなのだろう。
「今僕は、それなりに幸せだよ」
 すぽん、と吸い柄が真っ暗な穴に吸い込まれる。それは彼女の真っ黒な目を彷彿させて、僕はますます喉を震わせてわらってしまうのだった。
 彼女が口を動かして何か言う。でもそれが僕の鼓膜を揺らすことはない。だって彼女は認知されていないから。ただの、僕の過去の亡霊であるだけなのだから。
 過去の僕、いやこの場合俺と言うべきか、俺が僕をじっとりとねめつける。無表情で、まるで人形のように青白い顔を引っ提げて、彼女は僕に言う。今度は緩慢な動きだったから、唇の動きだけで相手が何を言っているか敏い僕は分かってしまった。分かってしまった上で、分からない振りをした。口にくわえた新たな煙草に火を付ける。
「死にてーなら勝手に死ねよブス」
 じゅっと煙草の断末魔が響くも、それはすぐに周りの騒音に掻き消されて粉々になっていった。紫煙を吐き出す僕を未だに睨みつける彼女に、僕は嗤う。成人してから身に付けた、底意地の悪い穢らわしい笑みを、彼女に向ける。
「死にたくないならせいぜい生き延びろ、ってね」
 とある歌の歌詞を引用して、僕は今度こそパチンコ台へと視線を戻した。彼女と目が合うことは、もうなかった。



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