人と違うというのを認めることは、案外簡単じゃないかい? 
 それをどう隠すかというのが、難しいだけであって。

 その話をされたとき、確かにそうだな、と俺は思いました。なぜ彼女がそのような話をしたのかは今でもよく分かっていません。ただ、日に焼けて浅黒く焼けた肌には少し浮いた肌色をしている肘の辺りから手首にかけてぐるぐる巻きにされたテーピングを見て、彼女は何かを察したのかもしれません。みいんみんみん、と蝉がやかましく鳴き続けている大学の外を見ながら、俺はそうかもしれないね、と返しました。テーピングの下の傷跡にこの子は気づいているんだろうか、とそればかりが気になりました。俺の左腕は肘から手首にかけて大小さまざまなケロイドでいっぱいです。まだかさぶたにもなっていない切り傷もあって、そしてそれをちゃんと医者にも見せていないせいでいまだに乾いた脂肪が覗いたままの切り傷もあって、それを見られたら最後、俺の大学生活は終わりを告げると分かっていました。だから怖かったのです。どうしてこんなこと。こんなに深く切って痛かったでしょう。何かつらいことがあったのなら相談してくれればよかったのに。病院にいきましょう。病院、病院、病院。病院が何をしてくれたでしょう。俺は高校のとき、頼れる存在に病気のこととこの傷跡を相談しました。その結果結局全校の先生に伝わることとなり、俺は精神病院へ通わされました。それ以来俺は怖くなりました。人というものに相談するということが、このことを他人へ教えるということがどれだけ愚かで恐ろしいことなのかということにようやく気がつきました。その後から俺はとんだ大嘘つきになりました。自傷も煙草も自殺も解離もすべてなかったことにしました。すべて治ったと嘘をつきました。そのほうがどんなにつらくてどんなに死にたくてどんなに切りたくてもずっとずっとマシでした。助けを求めたところで答えなど返ってこないということに気がついたのです。人と違うことは隠さなければいけないのです。なおそうだなんておこがましかったのです。助けて欲しがるなんて愚かだったのです。だから俺はどれだけ肉を裂いて脂肪を覗かせて肺を真っ黒にして煙草をすい続けてもそれをひた隠しにしてきました。傷はテーピングのしたにかくして、肺は肉の壁の下に隠しました。すると皆面白いくらいにだまされてくれました。俺のことを頭のおかしい精神疾患患者だと思うひとはいなくなりました。それでよかったのです。それがよかったのです。理解してもらおうというほうがおかしかったのです。だからこれでよかったのです。どれだけ死にたくてもどれだけ切りたくてもどれだけつらくても我慢するしかないのです。我慢するしかないんだよ。






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