パチンコ屋で働き始めて二年になる。俺がバイトしているパチンコ屋は少なくともネットで噂されるような過酷な職場ではなくて、危惧していた耳がおかしくなるほどの騒音もそれほどでもなかった。そのことを報告したら、だってお前は普段から爆音で音楽聴いてるじゃん、って苦笑された。確かにそうかもしれない。店長もいい人で、高卒でフリーターな俺に優しくしてくれて、ときどき余った景品とかを分けてくれる。狙われてるんじゃないの、だなんて同居人だけじゃなくて同じ職場の人にまで笑われるほど、俺は優遇されている。どう見ても高校生にしか見えない客に何も言わなかったりまけてあげたりするあたり、もしかしたら店長はロリコンなのかもしれない。
 高校時代から使っている自転車をこぎながら暗い夜道を滑る。ここら辺は寂れた田舎で、ついこの前まで美容院だってなかった。だから街灯も少し狭い道になるとほとんどなくて、この状況で自転車の電灯が切れたら真っ暗なんだろうなと思わせた。真っ暗。まっくら。俺とあいつの歩いている人生みたいで、なんだか笑える。
 寂れた田舎にお似合いの寂れたマンション。2LDKで六万円の物件だ。正社員にならないか、だなんて店長に誘われているから、その話を引き受けたらもっと高いマンションに越そうかと思ってる。けっこう節約して暮らしてるから、貯金はたんまりあった。いつでもどこにでも逃げられるように。
 安っぽい階段を上って自分の部屋の扉に鍵を差し込んで中に入る。もう二時を過ぎているから寝ているだろうと思っていたのに、リビングにはテレビがつけっぱなしになってソファに座る人物の影を作っていた。光源がテレビしかない真っ暗な部屋で、あいつはぼんやりニュースを見ている。

「珍しいね、寝てなかったの」

 もらってきたジュースとお菓子をキッチンに置くと、こいつはねえ、と振り返らずに言った。

「もう二年経つんだね」

 そこで俺はなんでこんな時間までこいつが起きているのか理解した。テレビ画面を見れば忘れもしない日付を映し出している。毎年毎年、といってもこの二年間、少なくともこいつの脳みそからはこびり付いて離れなかった日付だ。俺はバイトの忙しさもあってけっこうすぐ忘れてしまうんだけど、こいつは絶対忘れなかった。当たり前なのかもしれない。でも俺にとっては当たり前じゃなかった。たかだか、人を殺した日だなんて。

「あと十三年逃げ切ればいいんだよ」

 あと十三年。十三年後、俺は三十三になっている。こいつもだ。俺はその時も、パチンコ屋で働いて、こいつが家事をして、一緒に暮らしているんだろうか。なんとなく口が寂しくなって、どうしようもなく煙草が吸いたくなる。こいつが煙草の匂いを嫌うから、自分の部屋でしか吸わないけど。

「それにお前は死んだことになってるから滅多なことじゃ見つからないしさ。大丈夫だよ」

 何が大丈夫なんだ。こいつが心配しているのは、不安に思っているのはそんなことじゃない。それが分かっていながらも、俺がその本当に気にしていることを指摘するのは余りにも白々しかった。だって、こいつを逃がすために俺だって人を一人殺しているのだ。そんなこともあったね、みたいな、学生時代の思い出みたいな感じでしか人殺しを記憶していない俺が、こいつの心情を労わるのは嘘くさい。
 こいつは俺を他者中心的な性格だという。自己中の反対。だがしかしそれは違うと思う。俺はこいつより自己中だ。だって自分のためなら人を殺してもいいと思ってる。こいつが逃げやすくなるためにと偽った焼死体を一つ拵えるくらい当たり前だと思ってる。でもそれはどうしようもなくぶっ壊れた発想だということは理解していた。多分、俺が理解はできても共感できないことにこいつは苦しんでいる。
 人を殺してしまったとこいつが顔面蒼白で俺のところに転がり込んできたとき。俺が守らなきゃいけないと思った。だからこそこいつに遺書を書かせて、素行の悪そうな馬鹿っぽいこいつに体格が似ている人間を捕まえて酒を飲ませて空家に突っ込んで燃やした。潰れて歯型とかが分からなくなるように祈りながら燃やした。結果警察がニュースで桂川は自殺したと報道していたから、多分そうなったんだろう。

 大学進学をやめた俺に対して両親は何も言わなかった。あいつと俺の仲が良かったことを知っていたからだろう、何も言わずにいってらっしゃい、とだけいって送り出した。そうやって俺はこいつを連れて逃げ出した。こいつは俺なんかよりよっぽど怯えていた。当たり前か、自分は死んだことにされたんだから。いや違う、人を殺したことについてか。
 金が貯まったら外国に逃げようと思っていた。でもこいつは戸籍上死んだことになっている。ドラマや映画みたいに、戸籍やパスポートを違法に作れるところがあればいいんだけど。そしたら外国に逃げられる。きっとこいつも堂々と外を歩けるようになるだろう。


「ごめんな」


 それが淡い夢だということは痛いほど理解していた。もしも本当に外国に行けたとしてもこいつは堂々とだなんて歩こうとしない。いつまでも人を殺した罪悪感に苦しみ続ける。なあお前はいつまでそうやってんの。たかだか人一人殺しただけだぜ。外国に逃げて、全部忘れて、楽しくやろうよ。それが無理だということは、分かりきっているけれど。


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