どこから来たのかと言う質問に沖縄と答えた瞬間、相手の顔は目に見えて凍りついた。謝罪だか労りだか慰めだかの言葉を相手が吐き出す前に「と言っても一年以上帰ってませんから」と無愛想に言う。これは相手の心情を軽くするための甘言ではなく本当のことであった。あの日本国にしては暑いあの土地を、僕は一年以上踏みしめていなかった。僕が踏みしめるのはもっぱら硬い甲板で、ピアノのペダルだった。音楽教師をしていた母の英才教育のおかげでこうして食にありつけているわけだが、その母とも半年以上手紙のやり取りをしていない。満州に行ったという父と兄は無事だろうか。まだ六つにもなっていない妹は泣いて母を困らせていないだろうか。そんな心配は自然と湧いてくるのに、その答えを聞くために文を送ったことは一度としてない。母からくるものを事務的に返していただけであったが、それも前述した通り半年程前を最後にぱたりと途絶えている。何故途絶えたのか、僕はきっと知ることができるのだ、恐らく簡単に。確かにここは船の上であって、御国の命があれば北だろうが南だろうがどこへだろうが馳せ参じるが、少し前の、まだ狂信的なまでに祖国の勝利を信じてやまなかった時なら僕のピアノは皆から賞賛され喜ばれるものであったが、今では僕がピアノを撫でるだけで舌打ちをする輩もいる。皆分かっているのだ。呑気にピアノを弾いて、歌を歌っている場合などではないと。そんなこと、三度しか銃を握ったことのない僕でも理解したのだから、目の前の少し年上の、それでもまだ年若いと称せるこの戦艦のエースは僕が気づくより早く、皆が気づくよりも早くそのことを察していたはずだ。まるで勝てない相手を突いて勝った気になってピアノの音に乱舞していた他の者を、いったい彼はどんな面持ちで見守っていたのだろう。そしてどんな気持ちで、引き金を引いていたのだろう。鍵盤しか叩いてこなかった僕には、到底解せない感覚だ。「なあ君、夜は空いているか」彼は真面目くさった顔でピアノを撫でながらそんなことを嘯いた。まるで初夜を迎えた花婿のような声音にぽかんとしてから、嗚呼そうか、僕がピアノを弾けるのは今日で最後なのだと気がついてしまった。「構いませんよ」最後にショパンを弾いていいでしょうかと尋ねれば仕置きされるぞと苦笑される。かまやしない。きっと今日、ショパンを弾いて、彼の部屋に呼ばれた次の日の朝、僕はこの戦艦のほとんどを占める兵隊と変わらない扱いになるのだ。鍵盤にそっと指を載せると、それに重ねるように彼の無骨な掌が僕のなまっちろい爪をなぞった。沖縄に帰りたいか、と彼は僕に言った。帰ったところで僕の知る沖縄はもうないのだと答えれば、彼は悲しそうに、苦しそうに、それでいて愛おしそうに僕の指を撫ぜて、僕の薄い唇に接吻を落とした。こうして僕という戦艦のピアニストは、ようやく一介の兵士に成れたのであった。

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