お兄ちゃんは心配性(三輪隊)

中途報告、と銘打たれた分厚い冊子を渡された月見は、流れるようにセクハラをかましてきた迅の頭を豪快にその冊子でスイングする。残念ながらサイドエフェクトの無駄遣いにより当然のようにかわされてしまった。空を切る冊子。冷ややかなまなざしのまま睨み付けてくる月見に、迅は肩をすくめた。挨拶代わりのスキンシップじゃないかと軽口を叩いてみるものの、これ以上茶番を続けるならセクハラで人事部に直訴すると手痛い返しを食らってしまう。怖い怖いと笑いつつ、迅は読んでみてよと促した。マル秘と書かれている内部文書である。本来なら月見が閲覧できるものではないことくらいすぐに分かる。どう言うつもりだと訝しむ月見に、迅はきょろりとあたりを見渡す。そして鍵をかけた。

「例の事件の報告書っていったらどうする?」

月見の表情がこわばる。分厚い冊子に視線を落とし、くしゃりと端がゆがむ。

「どういうつもり?」

「必要だからさ。国常真人の扱いについて、サイドエフェクトで未来を観測しろってボスからいわれてるんだ。でも俺は未来は見えても、過去は見えない。国常真人について、書類上のこと以外はなにも知らないから、俺のサイドエフェクトは並立した未来があまりにも多すぎる。少しでも絞り込まなきゃいけない」

「私が読むのも折り込み積みってわけね。これから私がどう動こうが責任はそっちがとってくれるってことでしょう?ならいいわよ」

「痛いとこつくね。ま、そこら辺はうまくやるから安心してよ」

ぱらりとめくり始めた報告書。紙のこすれる音だけが響いている。やがて終盤にさしかかると彼女の手は止まってしまった。

「本気?」

「なにが?」

「これを作った人たちは、本気でこれが原因だと思ってるの?」

「途中経過だしなんとも。しかもそれは叩き台なんだ。これから本格的な調査が始まる。監査はいつだって時間がかかる。知ってるだろ?」

「まあね。でも気に入らないわ」

はっきりと月見はいった。どのへんが、と言いかけた言葉を遮るように彼女は言葉を続ける。それは怒りが勝っていた。

「誘導率の操作はオペレーター全員が同時に操作しないとできないのよ?いくらまとめ役をしてたからって、国常さんのいうことを馬鹿正直にやるわけないじゃない。あの支部にいたオペレーターには私よりベテランの人だって居たのよ?それなのに通常の10倍だなんて明らかに異常だわ。こんなの、普通ならありえない」

「その支部では普通だったとしたら?」

「この数値が?普通?ねえ、本気でいってるの?こんな誘導率で防衛戦してみなさいよ。いくら優秀なオペレーターだって、ボーダーだって、カバーしきれなくなるわ。けが人ばかりで機能しなくなるじゃない」

解体された支部の本部に提出される定期的な報告書をみて、月見は言い返す。誘導率と撃破したネイバーの数、そして防衛戦における成果は、むしろ優秀とされる数値を記録している。出動したボーダーの数も適正であり、何ら問題ないように思われた。

「いいたいことは分かるよ。じゃあ、ひとつだけ聞いてもいい?君から見た国常さんはそんなことをするオペレーターだったかい?」

「もちろん、答えはNOよ。絶対にありえないわ。むしろそんな異常事態になったら、きっと国常さんは私たちに相談してくれたはずだわ。そういう人だったもの」

「父親の言うことにも逆らう?」

「もちろん。公私混同はしない人だったわ。たしかに国常支部長に引き抜かれる形であの支部に転属になったのは事実だけど。あの人なら、絶対に見過ごすはずがないわ。それに、各支部における成績のランキングの低迷を憂いて、誘導率を上げるなんて暴挙するわけがない」

「それを聞いて安心したよ」

「なに、それ。私を試したの?」

「怒らないでくれよ。俺はたった一人でネイバーと対峙していた国常君のことを信じている。あの目は諦めない目だった。絶対に生き残ってやるとあがく目だった。あんな目をする子がベッドから目を覚まして、なんて言ったと思う?お姉ちゃんはっていったのさ。真っ先に心配したのがお姉さんなんだ。だから俺は」

「ならいいの。つまり、国常さんがどんなに優秀で素敵なオペレーターだったか、教えてほしいって言う訳ね」

「なんか怒ってない?」

「怒らないと思った?いちいち回りくどいのよ」

月見からの冊子攻撃を今度はあえて受けた迅である。おもいのほか、重さのある冊子だったらしい。じんわりと涙が浮かぶ程度には痛かった。

気づけば数時間経過していた。

「やっぱり国常君のこと、気になるかい?」

「あたりまえでしょ。あんなことがあったんだもの、心配に決まってる」

「じゃあ、これは一人言なんだけど」

「ずいぶん大きな一人言ね」

「ま、ここだけの話ってことで聞き流してよ。近いうちに彼はB級に上がる」

「噂は聞いてるわ」

「シフト表、真っ赤になるよ」

「待って、国常君は中学生でしょ?学校もあるのに?」

「学校終わったあとは全部真っ赤だ。とりあえず、夜間はできないって怒られるまでは既定路線だよ」

「わざわざ言うってことは、きっとやめないのね。わかった。さすがにそんな生活続けて待ち受けてる未来なんて私でもわかるわ。任せて」

「頼むよ」

月見は笑った。迅が個人的なお願いをしてくるなんて、天変地異がひっくり返ったってあり得ないと思っていた。三雲といい、国常といい、今回の新人は迅をやきもきさせるのが好きらしい。これは大きな貸しがひとつと告げれば、この報告書を流したんだからそれで帳消しにしてくれないのかと絶句された。それとこれとは話が別である。にっこりと笑って告げれば、迅は困ったように頬を掻いた。



そして1週間後。本部で国常がB級に昇格するという大ニュースが流れた。



シフトを入れるたびに呼び出しを食らい、何度も再提出を繰り返している期待新鋭の若手は、ようやく受理されたシフトの通り、防衛任務に赴いていた。A級は固定給と出来高払い、B級は出来高払いという明確な差がある給与制度である。成果を出さなければお金が手に入らないことを考えれば、B級のチームを作るか、すでにあるチームと組んで赴いた方がいい。C級からB級に昇格したばかりの国常では、A級とは実力の差がありすぎて万が一組んだとしてもほとんど成果を持って行かれてしまい、微々たる報酬しか手に入らないからだ。

しかし、国常は違った。c級の頃からある程度知名度があったためか、A級のチームから声がかかるとそっちを優先して受ける傾向にあった。理由は間違いなく難易度の違いである。B級の上位とA級の下位でもすさまじい落差があるのは、その防衛任務にも間違いなく反映されており、敵のネイバーの強さも間違いなくA級のチームと組んだ方が強かった。成果が微々たるとしても、そっちの方がいいと戦闘狂は考えたらしい。あまりにも保有ポイントが激減すると、訓練場に現れてポイントを荒稼ぎする、ほかのBチームと組むというローテーションを繰り返す日々が続いた。さすがに前代未聞のBからCへ降格だけはいやだったらしい。


「いい加減にしろ、国常。A級の俺達が来る前にネイバーに挑むやつがあるか」


無表情のまま淡々と戦果を報告してくるB級の新人に、三輪は正論をぶつける。月見から交戦情報がリアルタイムで入ってきていたのだ、怒りは蓄積している。申し訳ありません、と紡がれた言葉だったが、三輪は眉を寄せる。本気で怒られている理由がわからないようだ。がしがし頭を掻いた三輪はいう。かつて似たような目をしていたことがあるからわかるのだ。どうして、が浮かんでいる。言葉と心情が一致していない。態度に出ていればかわいげがあるのに、この新人はほんとうに鉄仮面だ。顔の筋肉が発達していないのではないかと内心疑っている。ネイバーに対する憎悪を自覚している三輪でも、365日、24時間、ずっとネイバーに対する怒りだけで生きているわけではないのだ。それすらいらいらした時期はあったし、今が目の前の新人にとってその時期なのだとはわかるが。かつての自分を思い出してしまっていけない。


「本部はネイバーをトリオンに変換できる設備が整ってんだよ。お前がいた支部と違って、そんなことしなくていいんだ。むしろすんな、邪魔だ。ほかのスタッフの仕事を盗るんじゃねえ」

「そうそう、秀次が一番心配してたもんな」

「おい」

「サナも秀次の言うこと素直に聞いとけよ。お兄ちゃんは怒ると怖いぜー」

「おいっ、陽介!」


お兄ちゃんとはなんですかと真顔で聞き返す新人に、奈良坂はこのままのお前で居てくれとばかりに頭をなでた。初めこそ、かつての自分と境遇が似すぎており、しかも周りの人間が一夜でネイバーによって全滅というトラウマになってもおかしくない過去を聞いて、余計な気を回す余りついつい口が出すぎる三輪を米屋たちは咎めていた。萎縮しやしないかと心配もしたし、悪いやつじゃないんだ、と叙々苑に誘った席で過去を語ったりして仲を取り持とうとしたこともある。

しかし、決まってこの新人は、彼らの好意を不思議そうにみて、首をかしげるのだ。三輪隊長は未熟な自分を叱咤激励しているだけである。問題があるのはこちらの方だ。なんの問題も無い。むしろこちらになにか落ち度があったにも関わらず察せない自分が悪いのだと言ってのけたのだ。さすがに彼らは顔を見合わせた。

この新人はどうやら公私混同するタイプのようだ。公があるのに、私がない。あるいは公=私と考えてしまっている。プライベートは何をしているのか聞いてみると、本部でずっと過ごしているという。さすがに彼らはぎょっとした。なんでも、もともとは危険地域に近いために安いぼろアパートに住んでいたのだが、セキュリティの問題を盾にとられ、人事部から取り上げられてしまったらしい。ほっといたらサプリメントで済ませようとするのを見とがめられ、ボーダー達が多く暮らしている食事付きのアパートに押し込められたとのこと。それでもなにもすることがないと、本部にいって時間をつぶすしかないという。

あまりの生活能力のなさに、月見がやたら世話をやく理由を悟った三輪隊である。さすがに仲間達から新人の生活実態を聞かされた三輪は、さすがにこれは駄目だと悟る。

最近シフトの再提出が多い、と国常は不思議がっている。書類上の処理は流れ作業になっていることが多いのだが、シフト等の労働環境に関してはボーダー人事部は神経をとがらせているのだから当たり前だ。ただでさえボーダーはトリオンの性質上、若い人間が多いのだ。未成年は本来親の庇護下に置かれるのがこの国の法律である。こういった労働環境におかれることだって、本人の意思と家族の許可がなければ叶わない。何かあれば大問題になる。だから人事部は人一倍気を遣っているのだ。ただでさえ遠征という任務はなにかと理由をつけて別の理由を相手に伝えることが多い。もしもがあってはいけないのだ。それにくわえて、人事部からシフト表を見せてもらった月見が三輪に横流ししているのだ。やたら防衛任務がかち合うのもすべては期待新鋭の新人に対する期待の表れでもある。

「お前もA級に上がりたいんだろ、なら俺の言うことは聞け。いいな」

ぶっきらぼうな物言いに、国常はうなずく。返事だけはいつだって一人前だから、三輪はなおイライラするのだ。

三輪は国常の姉であるオペレーターと面識はなかったが、月見が尊敬していた古参の女性だったと聞いている。ネイバーに殺された姉の末路をいつだって夢に見る三輪は、そのたびにネイバーへの復讐を誓うのだ。初めこそ、ネイバーに対する憎しみから、全てをネイバーに対する殺戮に変えようとしている、極端な思想に染まってしまったやつなのかと思っていた。知り合って数週間、国常はもっとオゾマシイ何かに魅了されていると三輪は感じている。国常は姉や父、失った支部の仲間を理由にはしない。淡々と事実を事実として受け入れた上で、生き残った自分と彼らの違いを比較し、自分は強かったから生き残ったのだと本気で考えているらしかった。だから、三輪が姉を復讐の理由としたとき、それは国常にとって逆鱗だった。姉を復讐の道具にするな、というありきたりな動機ではなく、強くなりたい動機は個人の理由だが強さの理由にはならない。それは侮辱だとわけのわからないことを言ったのだ。

なにをどうしたら、ここまでとち狂ってしまうのか、ほんとうにわからない。

ほうっておけない。そう思ったのだ。

「A級に上がりたいなら一人で突っ走るな。連携をしろ、連携を」

れんけい、と初めて知った言葉を口にするように、瞬き数回、国常は言葉を噛みしめた。

「これが終わったら反省会な」

がんばっていこーぜ、と三輪隊の面々から先輩から背中を叩かれる。戸惑いがちにうなずいた彼はその背中を追いかけた。

「そろそろ始めるわよ」

すっかり聞き慣れた月見の声がする。国常はトリガーを構えた。


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