「おむかえ、」
「お迎え?」
こくん、と男の子はうなずいた。思わず遊作は男の子をまじまじと見つめる。
「今日、おむかえくるんだ。とーか、だから」
いち、に、さん、と数え間違いがないことを証明するように何度も指折り数えて、グーが二つできた。男の子は遊作にぐーを二つみせながら、にへら、とうれしそうに笑うのだ。依然として半透明ながらしっかりと人間らしい生活サイクルを保っていた男の子から告げられた、突然の別れである。徐々にその輪郭が薄くなっていくのか、それとも幽霊らしくなっていくのか。どちらかはわからないけれど、見えなくなる時がきたらきっとそれがお別れになる。でも、まだまだ先になるだろう。ユーレイになるってことは未練があるってことだ。男の子にどうしてユーレイなんだと聞いたことはない。ユーレイって言葉を出すたびに、男の子はぐずぐず泣き出してユーレイじゃないと泣き喚いてモニタに引きこもってしまうから。ユーレイなのにユーレイじゃないとかたくなに主張するだけのものが男の子にはあって、そのために成仏しないでここにいるんだと思っていた。ぼんやりと考えていた遊作は唐突すぎるお別れ宣言に目を見開く。
「ほんとなのか?」
「うん」
こくり、とうなずいた男の子に遊作は戸惑いを隠せない。もっと一緒にいるものだと思っていた。何処をいくにもてこてこ後ろをついてくる男の子は遊作やあいつを慕ってやまないし、一人になることをいやがっていた。遊作やあいつが視界から消えると泣くのだ。この施設で男の子に構ってくれるのが二人だけだとしっているから。ただ男の子の持つ電子機器への影響を考えたとき、どうしてもついてこられると一部の白衣の男たちにばれてしまう可能性があった。彼らは男の子がまだ生きていると思っているようで、ユーレイになっているとは思いもしないのだ。男の子の体をいずれは探し出してあげなくちゃいけないな、と遊作はあいつと話していた。まだ事情を聴けずじまいだった。あいつがひきとめている間に遊作が別の実験場に連れていかれたときは、そのままモニタに閉じこもってしまったらしいから。遊作がなだめてなだめてごめんと謝って、ようやく男の子は出てきたのだ。もうここまでくるとだいぶほだされていた。
「そ、か」
「うん」
「あいつには話した?」
「んーん、まだ」
「そっか」
「うん」
「大事なこと、話してくれてありがとう」
「うん」
男の子は顔を上げた。
「くる?」
「え」
「一緒にくる?」
遊作は言葉に詰まった。どういう意味だ、と浮かんできた言葉は飲み込まれた。この男の子は自分がどういう状況なのかわかってるような振る舞いをする。自分がとっくに死んでいる存在なのだとわかりきっている言動、行動、しぐさをする。でも怒るのだ、ユーレイと呼ばれると。そんな男の子が、突然お迎えが来ると口走り、一緒に来てと遊作にお願いする。その意味がわからないほど、見た目のわりに幼い子供ではないと思っていたけれど、違うのだろうか。
「だめ?」
遊作は首を振った。
「どして?」
「やることがあるんだ、ここで、まだ。やらなきゃいけないことが」
「ぜったい?」
「うん、絶対」
「いま?」
「うん、今。今じゃないとだめなんだ」
男の子はそれはもう不思議そうな顔をする。
「知りたいんだ、どうしてここに閉じ込められてるのか。どうして、こんなことしなくちゃいけないのか。だって、僕は、なにも覚えてないから。それがわかるまでは、僕は、ここから出ないよ」
目を覚ました瞬間がこの空間だった。この端末をつけるよう言われ、スピードデュエルをやらされた。名前しか思い出せなかった。何度記憶を探っても、5年より前の記憶がみじんも浮かんでこない。それに気づいた瞬間から遊作はずっとずっとこわかったのだ。自分が何者なのかわからない。どこから来たのかも、どんな家族がいるのかも、どういう子供だったのかも、なにもかもが真っ白に塗りつぶされた状態だった。藤木遊作って名前だって、ほんとの名前かすらあやしいところがあるのだ。アイデンティティのよりどころがないのだ。ここから出ても記憶がないのは致命的である。しりたい、だけが遊作が今まで生きてきた光でもあった。
「しり、たい?」
男の子は繰り返す。
「うん、知りたい。僕は知りたい。僕のこと、ここのこと、たくさんのことを知りたいんだ」
「ほんとにしりたい?」
「え?」
男の子の口調が少しだけ変わった気がする。遊作は戸惑いつつもうなずいた。
「ぜんぶわかったら、いっしょにきてくれる?」
「ぜんぶって?」
「ぜんぶ。ね、はる」
「はる?」
「ん、はる。ぼくのおむかえ。おかえり、はる」
モニタに呼びかける男の子に反応して、モニタのひとつが発光する。遊作ははじかれたようにそのモニタを見た。男の子はモニタに向かって一生懸命話し始める。遊作が初めて見る表情ばかりがくるくると変わっていく。ニコニコ笑いながら遊作を時折見てはおしゃべりするのだ。10日間、あったことを一生懸命しゃべっている。おいていかれたような気分になった。そして、遊作は初めて男の子が怖いと思った。遊作には見えない何かに向かって話しかけている。お迎えにきたという、はる、というやつはモニタの中にいるらしい。
「ねえ、だめ?このふたり、うそつきじゃないよ?あ、じかんかかる?もっと?え、いいの!?」
虚空に問いかけてぱっと笑顔になった。薄ら寒くなってくるのは、はる、と呼んでいる存在がなにものかわからないからだ。
「ね、いこうよ、ゆうさく君!」
男の子は遊作の手を取った。遊作はぞわっとした。どうして男の子は自分の手を取れているんだろう、そしてどうして自分は普通に触れるんだろう。あの世に連れて行かれるきがして、遊作は思わず手を払う。
「??」
男の子はかたくなに動こうとしない遊作に首をかしげる。
「ゆうさく君も、はるといっしょならいけるよ。ね、いこう!ここからでよう!あのこといっしょに!!」
「ゆうさく君も───なんでしょ、だったら、!」
その先を遊作はおもいだせない。ただ、とんでもないことを言われたということはわかる。遊作はその手を振り払っていた。びっくりして見上げてくる男の子に、遊作は声を荒げた。
「違う、僕は、ぼくは、──じゃない!──だよ!キミといっしょにしないで!!!」
その言葉は男の子をひどく傷つけたようだった。男の子も一番言われたくなかった言葉のようで、じわっと涙がうかんでくる。男の子は救いを求めるようにごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返すが、遊作はさっきの失言がとんでもない地雷だったのか、男の子の言葉が入ってこない。
「え、そんな、でもっ」
はる、という存在は遊作にそれほど好感度をいだいていないようだ。あっさりこっちに来いと男の子を呼んでいるようだ。時間がないとでも急かしているのか、ちらちら見ながら男の子はどうしようと顔に書いてある。
「僕は、──なんかじゃ、ない。僕は──だ」
ひどく冷たい目をしている自覚がある。いいよ、こっちこそユーレイって言ってごめんね、っていう言葉がのど元まで出かかっているのに出てこない。男の子は何度も謝ったが、そのときの遊作はどうしても許すことができなかった。それからどれくらいのやり取りをしただろう。ここにあいつがいれば、もっともっと事態は緩やかにいい方向に行ったかもしれない、と強く思う。今となってはどうしようもないけれど。そして、男の子は、はる、といっしょにいくことにしたようで、しどろもどろになりながらいった。
「あと、ななにち」
「え?」
「あと、7日、待ってって。そしたら、でられるよって、HALが。また、ね」
男の子は消えてしまった。
あれ、あの子は、と不思議そうにモニタをのぞき込むあいつが帰って来た時、遊作はまたねって言われたとだけ返した。何も語らず、ただずっと静かにたたずんでいた遊作を見て、男の子が別れを告げて成仏したのだと思ったらしいあいつは、元気だしなよと励ましの言葉をかけてくれた。7日。なんの根拠もない7日。遊作たちがここから解放されるまであと1週間。男の子が言い残した言葉が事実だと知ったのは、その7日後の話である。
遊作は目を覚ます。久しぶりに見た悪夢だ。救出される直前の出来事だった。
遊作は飛び起きた。不快なのは夢見のせいに違いない。じっとりと汗が滲み、すっかり寝巻きが濡れている。いつになく息が上がっている。心臓がばくばくうるさい。無意識のうちに掴んだシーツはくしゃくしゃになっていた。気づけばもう朝である。やけに時計の音がうるさい。息を吐いて遊作はそのままずるずるとベッドに逆戻りする。オレンジの豆電球すら眩しくてためいきをついた。
俺があんな夢を見るのはゴーストのせいだ。
「うーん、そうだねえ。せっかくだから、これからログインするときはゴーストって名乗ることにしようかと思うんだけどさ。ボクにゴーストって名前つけてくれたの、キミなんだよ?藤木遊作君」
あんなことをいうから。
ここまできて、遊作ははたと我に帰る。あの男の子は、お迎えをはるといってなかったか。なによりも男の子が見せてくれたスキルに今遊作は強烈なデジャヴを感じている。相手の手札、エクストラゾーン、除外ゾーン、墓地、そしてバトルフィールドにある表側だろうが裏側だろうが容赦なく表示されるカードの効果たち。今の遊作は何故今まで思い出せなかったのかわからないほどに熟知している。あのスキルはマインドスキャン、もともとサイコデュエリストの下地があってグレイコードに誘拐された和波が発現してしまったサイコ能力だ。
まさかまさかまさか。
ぶわっと汗が噴き出すのがわかる。震えが止まらない。遊作は顔を覆った。
「おれは、AIじゃないっ……!」
「思い出したのにまだいうんだ、そんな小さなこと」
遊作はぎょっとして隣を見る。
「わ、和波、なんでここに」
「なんでって、藤木君がいったんでしょう?聞きたいことがあるから来てくれって」
「え」
「覚えてません、昨日?メッセージが送られてきたんですけど」
端末を投げてよこす和波のいつもとは明らかに異なる雰囲気に気おされつつ、ベッドに転がった端末を拾い上げ、遊作は画面を滑らせる。そこには遊作から送られたメッセージがあった。
「なんて顔してるんですか、藤木君。君が望んでたことが知れてよかったじゃないですか」
「ちがう、ちがう、俺は」
「おれは?」
「おれ、は」
「ボクをユーレイだって決めつけたから、てっきり覚えててくれると思ったのに。ユーレイさんだって名乗ってるのに忘れちゃってるんですもん、藤木君。ちょーっと、おふざけがすぎるんじゃありません?」
「和波」
「あの時、ボク、いったよね?君はAIだからボクみたいにサイバースのデータに変換する必要すらないんだ。はじめっから、君はサイバースのAIなんだからって。一緒に帰ろうっていったのに僕の手、取ってくれなかったよね。真実がわかったら出るっていってたのに。うそつき」
「ごめん、俺は、そういうつもりじゃ」
「ああうん、ごめん、責めてるつもりじゃないんだ。あの時はボクもボクでちゃんと藤木君に伝えられないことたくさんあったしね。僕はただ、事実をそのまま伝えることが時に人を傷つけるってことをしらなかったんだ。その時のこと謝りたかっただけなんだ。でも君は忘れてる。ひどいことしたと思ってるよ、でもごめん、これしか方法がなかったから」
「……」
「でもさ、お互い様じゃない。お前と一緒にするなっていったのは君でしょう、なにが違うの?AIから自我に目覚めてサイバースの力で実体を得た君と、今の僕で。ねえ、藤木君、教えてくれないかな」