「やあやあ、精が出るね。バイト君」
「お、お姉ちゃん!?なんでここにいるのさ、大丈夫なの!?」
「ふふ、大丈夫さ。今日は調子がいいからね、数時間だけなら外出許可が下りたのさ。どうせならかわいい弟の日常生活でも覗いてみたいと思うだろ?」
「なんでいってくれないんだよ!そんなことしなくったって、ボクは!」
「わかってないなあ、誠也。こっそり後をつけるから楽しいんじゃないか」
「もー、なにそれ。お姉ちゃんのばか。知らない」
すっかり不機嫌になってしまった和波は、意地悪な顔をして笑っている眼鏡の女性から離れてホットドック屋の開店準備に戻ってしまった。折りたたみ式のテーブルや椅子を並べ、ポップが新しくなったばかりの看板を立てる。慣れた様子でてきぱきこなす弟を見る彼女の目は何処までも優しい。長い間の入院生活によりリハビリは長い期間かかりそうだが、久しぶりに見た彼女はずいぶんと元気そうに見えた。
「久しぶりだな、和波さん」
トレーラーから声をかけられた彼女は顔を上げると、やあ、と笑いかける。そして車いすを押した。
「やあ、草薙さん。いつぞやぶりだね。いつも誠也が世話になってるよ」
「いやいや、それはこっちの台詞だ。誠也君がいなかったら、今頃休業ばっかになってただろうしな」
「あはは、それこそ噂になりそうだね。滅多に開店しないホットドック屋、営業日には必ず出没する藤木君」
「それは困るな……、とせっかくだし、和波さん。うちの売り上げに貢献していってくれよ」
「もちろん、一度食べてみたいと思っていたんだ、誠也がいつも話してくれるから。おすすめは何がある?誠也に聞こうと思ったんだがフラれてしまってね」
「あー、あとでご機嫌とってくれよ、和波さん?さすがに俺の仕事増やされちゃ困るぜ」
「大丈夫、任せてくれ。これでも誠也の姉だからね」
ウインク一つ、草薙から進められたセットを注文した彼女は、テーブルクロスを広げ始めた弟を見る。草薙となにかおしゃべりしていることには気づいているらしく、気になっていたのかじっと見ていたようだ。ひらひら彼女が手を振ると弾かれたようにそっぽむいてしまう。どうやらまだ怒っているようだ。肩をすくめた彼女は小さく笑った。
「お、藤木君じゃないか。今帰りかい?」
「和波のお姉さん……ああ、はい。こんにちは」
「はい、こんにちは」
「大丈夫なんですか?」
「うん、この通りさ、大丈夫。今日は調子がいいから外出許可が出たんだ。数時間後にはリハビリが入ってるから長居はできないがね」
「おかえり、遊作。今日はどうだった?」
「抜き打ちでテストがあったくらいだな。デュエル部の先輩に聞いてなかったら詰んでた」
「おー、それは間一髪だったね。おつかれ」
「よかったな」
「ああ。ところで草薙さん、さっき和波のこと名前で呼んだ?」
「ん?ああ、誠也君てか?だって和波さんがいるのに、和波君じゃ紛らわしいだろ?和波さんを名前で呼ぶのは順番的に違うと思ってな?」
「私は別に和波君のお姉さんでいいけどね」
「んー、でも長いだろ?」
「あはは、たしかにそうだ。今みたいにのんびりした時ならいいけど、有事の時には短い方がいい。誠也も喜ぶと思うよ、そこまで仲良くなる友達はいなかったみたいだから」
「……そうか」
「HALが誠也って呼び始めたのも、たしか誠也がお願いしたからじゃなかったか。私はいつも肝心なときに何もしてやれないけど、キミは違うだろ、藤木君」
そんなこと、と言いかけたものの、彼女はちいさく首を振った。
「おっと、すまない。しんみりさせてしまったね。せっかくのご飯がおいしくなくなってしまう」
「ところで勝手に食べていいのか?」
「痛いとこつくね、もちろん無許可さ」
あっはっは、と笑いながら彼女はセットを受け取る。お持ち帰り用の箱に入れてくれた草薙の配慮で、車椅子でも運ぶことができる。ありがとう、と笑った彼女は、近くのテーブルに向かう。遊作は椅子をよけた。
「遊作は何にする?」
「いつものやつ」
「あいよ」
草薙が調理に取りかかり始めたころ、セッティングが終わったらしい和波が戻ってきた。
「あ、お帰りなさい、藤木君」
「ああ、ただいま」
「誠也君もおつかれ。ほら、お姉さんが来てるんだ。ちゃんと接客しろよ」
「え、でも」
「いいからいいから。遊作、そいつ持ってってくれ」
「わかった。誠也、いくぞ。お代は俺がもつから」
「えっ……ちょ、藤木君!?」
なんとなく和波とお姉さんが喧嘩しているところは見たくなかった遊作である。いきなり2人から名前で呼ばれて、一瞬面食らった和波だったがなにか言葉を発する前に連れて行かれてしまう。えええええ、という声が遠ざかっていく。いってらっしゃーい、とにやにやしながら草薙は仕込み作業を再開した。
「ごちそうさまでした」
「はいよ、ありがとな。また来てくれよ」
「うん、今度はチリドッグが食べたいな」
「まだお姉ちゃんには早いよ、体がびっくりしちゃうから駄目」
「そこをなんとか、誠也君」
「だめ。この前も勝手にドーナッツ食べて怒られてたじゃないか」
「ひどいなあ」
「ほら、帰ろう、お姉ちゃん」
「こらこら、アルバイトサボるんじゃないよ、キミ。私は自分の力でここまでこれたんだ。帰るまでが私の今日のノルマなんだよ」
「なにそれ、遠足みたいな?」
「まあそんなところだよ。こうでもしないと代わり映えのしない入院生活に気が滅入っていけない」
「……まあ、お姉ちゃんがそういうなら」
「うんうん、そういうわけだからね」
「帰ったら電話してね」
「過保護だなあ、私の弟君は。……ふふ、ありがとね」
それじゃ、と彼女は車いすのまま公園を後にした。
「あーもう、びっくりした。お姉ちゃんいきなり来るんだもん、なんだよもう」
「あはは、でもよかったじゃないか、元気そうで」
「まあ、そうですけど……ああもう、また先生に怒られるんだろうなあ……」
和波がしっかりしている理由がなんとなくわかった気がした遊作と草薙だった。
「まあまあ、和波さんも心配なんだよ、誠也君が」
「そう……でしょうか?なんか僕で遊びたいだけな気が……」
「たしかにそうかもな。誠也をおちょくって楽しんでた気がする」
「ですよね、藤木君!……て、あ、僕も名前で呼んだ方がいいです?ありがとうございます」
どこか照れくさそうに笑っている和波を見て、遊作はどっちでも、と返した。
そして、翌日のことである。
(……遅いな)
いつもなら遊作がくるよりずっと早く登校しているはずの和波の姿がない。ホームルーム開始まであと5分である。これで間に合わなければ遅刻だ。島がさっきからスマホを弄っている。そのタイムラインを覗いてみると、どうやら和波は寝坊してしまったようだ。この前発売されたばかりのカードに、《代行天使》や《星杯》とよく合うものがあったようで、そのデッキ調整を一生懸命やっていたら深夜をとうに過ぎていたらしい。がんばれーとやる気のない声援がとんでいる。
(あと3分)
豪快に扉が開く。ぜいはあいいながら飛び込んできた和波は、あわてて開いている席に座った。そして鞄からタブレットを取り出す。
「あ」
「どうした、和波。忘れ物か?」
「デュエルディスク、忘れてきちゃいました」
「おいおい、またかよ和波。今日部活どうすんだよ」
「どうしましょう」
二重で疲れてきたのか、深い深いため息をこぼした。
(大丈夫か、誠也)
和波は顔を上げる。
『大丈夫じゃないです』
端末にメッセージが送られてくる。いつもついてくる絵文字もスタンプもないメッセージである。シンプルな文面は不安を煽る。
(草薙さんに取りに行ってもらうか?)
『でも僕がいないとマンション入れないし……どうしよう、休もうかなあ』
(やっぱりきついのか)
『あのときはplaymakerである君とお近づきになるためっていう目的があったから、覚悟できたんです。今は違いますよ』
こうしている間にもこの教室内にいる人間達の思考回路がリアルタイムで流れ込んできているのだろう。どんどん和波の調子が悪くなっていくのがわかる。授業中だ、目を閉じるわけにも耳をふさぐわけにもいかない。意識を集中するにしても、和波の場合は心の声と実際の言葉が同じように聞こえるのだ、同時音声はずっとさらされ続けたストレスの日々を思い出してしまうようで、明らかに様子がおかしい。
「誠也、大丈夫か?」
「藤木く、」
デュエル部の部員と幽霊部員以上の関係だと悟られないように、という不可侵協定を破ったのは遊作の方だった。名前で呼ばれて驚く和波を見下ろし、遊作は先生を見る。
「先生、和波の体調が悪そうなので保健室つれてきますね」
「ああ、気をつけろよ」
「はい、わかりました。立てるか、誠也」
「あ、は、はい、ありがとうございます」
歩くのもふらついているのは明らかだ。心配そうな眼差しに見送られて、和波は保健室に向かった。デュエルディスクがないだけでここまで症状が悪化するのだ。やっぱり制御できない超能力などない方がいいに決まっているのかもしれない。そのうち人がまばらな廊下に出て、ようやく和波はまともに呼吸ができるようになったようだ。ほっとしたように和波は息を吐いた。
保健室に連れて行った遊作は、和波がなにかいう前にどれだけ体調が悪そうなのか説明する。やすむかと聞かれ、和波はうなずく。それでも体調不良が続くなら帰って病院に行った方がいいと保健室の先生はいう。ベッドに横になった和波に、遊作は笑う。
「誠也、今日はもう帰った方がいい。迎えは草薙さんに頼もう」
「え、でも、僕」
「この状態になったとき、数時間で戻るものなのか?」
「……今まで、戻ったことないです」
「じゃあ駄目だ。一応、草薙さんには昼休み頃来るよういっとくから。鞄はもってきてやる。あれだけだな?」
「はい、ありがとうございます、遊作君」
「ああ、それまで寝てろ」
「はい」
カーテンが閉まる寸前、和波は笑った気がした。