「いっ……!」
遊作は思わず顔をゆがめた。傍らに置いてあるデュエルディスクからにゅっと黒い人型の生命体が顔を出す。紫色のラインが走り、目と思われる黄色いまん丸が2つ心配そうに見上げてきた。
『おいおいおーい、大丈夫かよ、遊作−!うっわ、痛そう!めっちゃ血出てるじゃん!ティッシュ、ティッシュ!』
質量保存の法則をどこまでも無視して触手を伸ばしたアイは、近くにおいてあったポケットティッシュを投げてよこす。遊作はあわてて止血する。どんどん赤が広がっていく。
「うるさい、静かにしろ。和波に聞こえるだろ」
『えー、なんだよ、遊作。せっかく俺が心配してやってんのに!』
「大げさだな、ちょっと切っただけだ」
『だからゆっくり落ちついてやれって草薙言ってたのに』
「……わかってる」
『わかっててもできてないじゃーん』
「………」
遊作は草薙を呼んだ。
「おー、またやらかしたか。今度は浅いけど爪と指の先もってかれたな。何度も言ってるけど、猫の手な、猫の手。こうやったら包丁と当たったとき高くなるから指切らないだろ?」
「なるほど」
「まあ何事も経験だよな、経験。最初よか細かく切れるようになったんだし、いい調子じゃないか。がんばれよ」
「ありがとう、がんばる」
「おう、がんばれ」
慣れた様子で絆創膏をはってくれた草薙は数日すれば血は止まるだろう、と教えてくれた。最初はざっくりやったせいで1週間ほどかかったが、今回は浅い方らしい。爪が伸びるまでは人差し指の先は痛みそうだ。変に削れてしまった先を見て遊作はためいきだ。絆創膏が増えたらまたやったのかとデュエル部の面々に笑われるのは目に見えていた。またplaymakerを休まないといけない。playmakerのときは黒のアバターを使っている、指を見られる訳ではないが痛みは残る。デュエル中に何度もこんなピンポイントすぎる怪我を意識させるような挙動を見せれば、島たちに見られてる以上一発でバレてしまう。そんなまぬけなことだけは避けたいのだった。
「今週はなに作ったんだ?」
「オムライスだった」
「へえ、結構本格的なのをするんだな」
「高校だからよく作るやつを先生がピックアップしてるんだ、調理実習こんな多いとは思わなかった」
「座学がほとんどないな、がんばれよ」
「うん」
半分座学、半分調理実習である。時間が限られるため1品だけだ、まだましだが後半になると例の1人で全部やらないといけない調理実習が待ち受けている。これが評価につながるんだからたまったもんじゃない。遊作の包丁さばきを見てさすがにコレはと思ったらしい、草薙は閉店後隅の方で野菜を千切りしている遊作を見ては指導するようになった。
「せっかく習ったんだ、オムライス作ればいいのに」
「まだ千切りができない……」
「いや、無理して包丁で切らなくてもスライサー使えばいいだろ?」
「うちの学校、スライサーで千切りできないんだよ」
「あー、どのみち包丁がいるやつか」
「そう」
「学校だもんな、仕方ねえか。しっかしな、遊作。なんでここでやるんだよ、家でやれ、家で」
「ゴミ出しとか面倒なんだよ」
「おいこら家庭ゴミ持ち込み禁止だぞ」
「草薙さんにも食べて貰ってるんだからいいだろ」
「うっ……まあそれ言われるとなあ」
あはは、と草薙は苦笑いした。コールスローはちょっとばかし遊作には難しい料理だったかもしれない。それでも草薙が考えてくれたから、とかたくなに遊作はメニューを変更しようとはしなかった。先に和波達に話してしまったからというのもあるのだろう、見栄はっちゃってこいつ、と草薙からすればにやにや案件だった。なに笑ってるんだよ、と遊作が怒るので口には出さないけれど。
他の作業はだいぶもたつかなくなってきた。まだまだ分厚い千切りにマヨネーズソースを和える。何度か味見をして塩こしょうで味を調えた。
「昨日よりはだいぶサマになったじゃないか、よかったな」
「指1つ犠牲になったけどな」
「あはは、誰でもはじめはそうだよ、心配すんな。遊作は飲み込み早いほうなんだから、昔から」
「……ありがとう」
「おう。さーて、そろそろ和波君呼ぶか?」
「ああ」
草薙は後片付けをしている和波が一息ついているのを確認して、一度こっちにくるように言った。
「お疲れ様です」
「はい、お疲れさん。のど渇いただろ、ほら」
「あ、ありがとうございます」
「昨日に続いて遊作のコールスローだ、だいぶ薄くなってきたよな、和波君」
「できたんですね、藤木君。お疲れ様です。おー、昨日より細いですね。おいしそう!」
「まあ、な」
それとなく指を隠す。また怪我が治るまで風呂の世話をしてやるから家に泊まれと言われてはたまったもんじゃない、ここのところ毎日指を怪我しているというのに。和波はにこにこしながら分けられたサラダを見ている。手を洗ってくると奥に消えた和波を見送り、遊作は息を吐いた。
「へー、playmakerサマもやればできるじゃん」
「うるさい」
じとめで返されてもアイは何処吹く風だ。最初こそ薄切りからおぼつかなかったのを知っている身としては、ようやく均等に切れるようになったのをずっと見ているのだ。成長というやつだ。playmakerとしてある程度はじめからできていた遊作を見慣れているせいか、基礎からつまずく遊作を見るのはとてもたのしいようである。からかわれる遊作からすれば文句の一つも言いたくなるというものだ。
「俺もたべたーい」
「また写メ送れだってさ、遊作」
「またか」
「そーだよ、HALみたいにほんとに食べられない俺にそれくらいの慈悲は頂戴よ!!」
「AIに味覚なんてあるのか」
「ばっかにすんな、HALにわかって俺にわかんないことあるわけないだろ!俺が本体だぞ!」
「どうだか」
ぼやきながら遊作は端末でできたばかりの試作品を撮影する。そしてデュエルディスクに送信した。
「おー、昨日より食べやすい!!すげーじゃん、遊作!」
「適当なこというなよ」
「あ、わかる?でも昨日よりはいけてるぜ!グレイ・コードやハノイの騎士のウィルスに比べりゃ雲泥の差だ!」
「それってかなりの絶品ってことですよね、アイくん」
「そうともいうぜ!ま、俺は遊作のデータしか知らないけどな!!頼むよ、遊作!調理実習のときはみんなのデータも送ってくれよな!」
「断る」
「なんで!?」
「必要ないだろ」
「なんでだよー!」
自分より上手だとわかっている葵や和波の料理データなんて食わせたら舌が肥えてしまうのは明白だ。ささやかな抵抗をみた草薙と和波は顔を見合わせて笑った。
「食べてもいいですか?」
「ああ」
「やった、いただきます!」
「今日のまかないも食べてけよ、和波君。どうせ遅くなったらスーパーだろ?」
「ありがとうございます、助かります!今の時間からご飯作るのさすがにつかれるんですよね……HALは食わせろってうるさいんだけど」
「和波君の代行を5年もしてたら味まで覚えちゃうのか、ほんとに凄いなイグニスって」
「ですね。ん、やっぱおいしいですね、これ。僕、こっちの方が好きです。レモンでさっぱりしてる」
コールスローを食べながら和波はうなずいた。どんなできだろうとにこにこしながら食べてくれるので、毒味役としては最適だった。できたばかりのホットドックを頬張り始めた和波の前に、遊作の分がおかれる。いーなあ、とどんどん大きくなるアイのうらやましいの声。見せつけるようにわざとらしく遊作は食べ始めた。コールスローがどんな失敗作だろうがメインのホットドックはいつだっておいしいのだ。
そして、数ヶ月後。
『やっぱりやっちゃったな、遊作』
「……」
調理実習当日、やっぱりキャベツの千切りで指を切ってしまった遊作は、持ってきていた絆創膏でさっさと処置をする。ちらと向かいのテーブルをみると和波は目玉焼きを作っているようでずっとフライパンと向かいっぱなしだ。葵もお味噌汁を作り始めたようでこちらに気づいている様子はない。ほっとした遊作は作業を再開した。
鍋に油を入れてひき肉とタマネギを入れて炒め、トマトと缶詰から開けた豆半分、遊作しか使わないから独占状態のチリソースを加えて煮る。別の鍋にコンソメスープを作り、多めに切ってあるキャベツの千切りを流用して、ソーセージを切る。そして煮立ってきたら缶詰の豆、キャベツとソーセージを入れて煮て、塩こしょう。焼いていたパンにソーセージを入れてチリソースをかける。
気づけばもう数人になってしまったが、遊作はなんとか時間内に終わらせることができた。朝からチリドックとか重くないかと葵に言われたが、基本的に朝と昼を兼ねているのだかまわなかった。さすがに草薙さんのところのチリドックはパクれないのでそれっぽいものを考えてもらったのだ。けっこう上手にできた気がする。
『おおお、一番上手にできたんじゃね!?』
興奮気味なアイに遊作はちょっと得意げだ。他の生徒達も端末で撮影しているのだ、遊作がぱしゃぱしゃしたところで咎めるやつは誰もいなかった。3つにわけて完成だ。ようやく席に着いた遊作にお疲れ様ですと和波は笑った。藤木君はパン派なのねと葵は笑う。葵と和波はご飯派のようだ。
先生の総評を聞いたとき、ちょうど4時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。余った食材は持って帰っていいと言われた遊作は、草薙に渡そうとチリソースを手にする。結構野菜が余っている。分量を間違えた生徒がいるようだ。冷蔵庫に入れておくから名前を書いたビニル袋を忘れず持ち帰るように、と先生が注意する。そしてちょっと豪華な昼食が始まった。
「みんなおいしそうですね」
ニコニコ和波が笑う。前にはご飯、ナスの味噌汁、ほうれん草のおひたし、ベーコンエッグ、煮物がおいてある。
「あ、ゆで卵忘れた」
「これ、藤木くんのだったのね」
「だから余ってたんですね」
「そうだな、付け合せまで気が回ってなかった」
笑う葵の前にはご飯、お吸い物、漬物、焼き魚、卵焼き、きんぴらが並んでいる。
「財前さんすごい、ほんとに朝食って感じですね」
「うん、兄さんが食べたいっていってたから」
「和波も朝食っぽいんじゃないか?」
「僕の簡単なのしかないですもん、具も少ないし、あはは。でも藤木くんのいいですね、おいしそう。朝食だからボリューム足りないんですよね」
「たしかに足りないよな」
「はい」
いただきます、と合掌したあと葵が小分けにしたおかずをさしだした。
「ありがとうございます、えーっととりわけなきゃ」
和波が席を立つ。遊作も三等分したホットドックとコールスローをおいた。
「和波、一人分でいいぞ。HALと変わる前にどっちがうまいか点数つけてくれ。100点満点で」
「ちなみに藤木くんは50点ハンデがあるからね」
「え゛、そんな、それくらいあげますよ僕の」
「それじゃ勝負にならないわ、頑張ってつくったのに」
「異論は認めないからな、ほらはやく食べろ。冷めるだろ」
「えええ」
どっちが勝ったかはまた別の話である。