秘密会議(草薙さんと和波姉)
「やあ、待ってたよ。そろそろ来るころだとは思ってた。てっきり藤木君も連れてくると思ったんだが、ちょっと当てが外れたかな」

「いや、そうでもない。俺もぎりぎりまで迷ったからな」

「うん?そのわりにずいぶんと来るのが早いね、ホットドックの仕込みはいいのかい?」

「いつもの公園はイベントで立ち入り禁止なんだ。新しい営業場所を探さなくちゃいけない」

「なるほど、自治体にでも届けを出した帰りという訳か。それならわざわざ待たなくてもいいね。で、今回の草薙さんは私に何の用があるのか聞かせてもらってもいいかい?SOLテクノロジー社技術部の人間としての私か?それとも管理職としての私か?はたまた和波誠也の姉としての私?」

「今回は誠也君のお姉さんとしての和波さんに話があってきたんだ」

「なるほど。つまりはロスト事件の被害者家族である草薙翔一として来たと考えていいんだね」

「そうなるな」

「そうか、なら藤木君は連れてこれないね。彼は当事者であって被害者家族である私たちとは微妙に視点が違う。今はまだ彼は気づいてないようだが」

「それを前提にしてくれると俺も助かる」

「ああ、もちろん。私も誠也に明かせない感情の一つや二つはあるさ。ここは私と草薙さんだけの秘密としよう。立ってるのもなんだし、飲み物はなにがいい?冷蔵庫に入ってるから好きなものを取ってくれ。私はこれでいい。これから乾燥の季節だからとうちの弟がおいてったものがあるからね」

「じゃあ珈琲でも貰おうかな」

「入れ立てがいいならポットも使ってくれてイイよ」

「いやアイスで」

「わかった。で、なにを聞きたいんだい?」


コップの珈琲を口につけてから、草薙は息を吐く。そして真剣な眼差しで彼女を見た。


「和波さん、アンタは誠也君の現状をどこまで理解してる?」

「理解、とは?」

「ああ、どこから切り出したらいいもんかと思って」

「まとまってない?」

「聞きたいことがありすぎてな」

「誠也に聞くにははばかられ、私に聞くには湧き出してくる疑問の収拾がつかない、か。わかった、今日は誠也には来るなとメールしとくよ。長くなりそうだしね」

「ありがとう」

「どういたしまして、いい機会だ。私も思考の整理をすべきだってことだろう」


26にはあるまじき落ち着きを備えた女性である。SOLテクノロジー社に転職してから管理者のポストに収まるまでの経歴。調べ上げた限りでは、草薙や財前のように業界の裏側に食い込み、その時形成したコネを軸に昇進したとは思えない。正真正銘実力で彼女はそれまでの地位を獲得している。たとえ弟のサイコ能力を克服させるためにプロデュエリストの道を諦めたのだとしても。その先から歩んできた道はまぎれもなく彼女だけのものだ。それだけは事実だ。


「誠也について、だったね。そうだな、草薙さんはとっくに知ってるだろうが、うちの家族から話すことにしようか」

「ああ、頼む」

「うちの父も母も海馬コーポレーションの重役に末席ながら身を置く技術者だ。海馬コーポレーションは軍需産業から今のホビー業界に進出するとき、後継者たる海馬瀬戸社長が大きく舵取りを変えたときに賛同した者を管理職に就けた。今は宇宙開発部門にいる。決闘王のデビュー作を宇宙にぶち上げる計画が持ち上がったときから、私たちはあんまり会えない。でもそれなりに好きだよ、父さんも母さんもね。うちの両親はその口だ。基本的に忙しい以外は普通の共働き、10も離れてると弟と言うよりは親戚の子供みたいな感じだった。私はアカデミアを中等、高等と進んでプロリーグに進むか、両親のように技術者になるか悩んでいてね、どちらにも通わせてもらえたから二足わらじの生活だった。誠也は寂しかったと思うよ。私たちよりお手伝いさんになついてた」

「……だから気づくのが遅れた」

「そう、だね。今となってはなんと言ってもいいわけにしか聞こえないと思う。誠也はとても賢い子なんだ。みんなに構って貰うにはどうしたらいいかよく知ってる。なにを頑張れば褒めてもらえるか、構ってもらえるか、観察眼に優れた子だったから。あの遊園地でみた誠也を動画で何度見返しても、半年ぶりに会えた父さんたちにじゃれついて、無邪気にはしゃぎまわる誠也しか私たちは思い出せない。私も父さんたちも、一応調べたが親戚筋にもサイコ能力に目覚めた人間はいなかったんだ。変なものが見える。聞こえる、怖いとおびえても許される環境ではあった。海馬コーポレーションはオカルト部があるからね。誠也が私以外に打ち明けていたら、誘拐なんかされなかったかもしれない。考えても無駄だとはわかってる。ソフトクリームが食べたいとねだられて待ってるように言わなかったら。射的がやりたいとごねる誠也に意地悪しないでいっしょにやっていたら。手を離さなかったら。無駄だとはわかってるけど、考えずにはいられないんだ」

「お手伝いさんは気づかなかったのか?」

「誠也が帰ってきたとき、一番打ちのめされたのがそれなんだ。仕方ないよって言われてしまってね。謝罪したけれどそこからの流れを寸断されてしまった。グレイ・コードは誘拐する標的を徹底的に調べ上げ、そのサイクルを前提にAIをくみ上げるそうだ。そしてその筋の専門家を結集してAIを操作する。まして体は誠也のまま、中身だけちがうなんてわかるわけない。だから気にしないでって言われた。そりゃそうだ、絶望はすでに通り過ぎた道なんだ。私は誠也の目の前で、AIを誠也として扱いながら手を繋いでソフトクリーム渡して帰ろうって笑ったんだ。なんの疑問も抱かずそのままメリーゴーランドや観覧車に乗ったんだ。誠也は私たちに裏切られながら、私たちが人質だといわれたんだ。誠也はもう諦めてる目をしてた。もう元の家族には戻れない。そう言われた気がしたよ。でも私はやだねといった」

「?」

「私の意思は私だけのものだ。決定権は私にある。私は誠也を弟として関係を構築し直すことにしたんだ。隙あらばHALに代行させて、ただでさえ事件の存在すら疑問符がつく周囲に遠慮してAIの誠也を演じようとしやがったからな、あいつは。最初の登校日から一度も学校はおろか外にも出ないで、ネットワーク空間の中でHALから教えて貰ってる状態だと知ったときには発狂するかと思った。マインドスキャンなんてサイコ能力にまで成長してるとは思わなかったんだ。6才の時には超常現象が見える程度だったのに、心が読めるまでに発展してるんだ。私の進路は研究者一本に絞られた。海馬コーポレーションの研究資料を漁ったが出てこなかった。そのときみつけたのがSOLテクノロジー社の論文だった。私は転職を決めたんだ」

「グレイ・コードが海馬コーポレーションやSOLテクノロジー社に内通者がいるとわかってたのにか?」

「マインドスキャンを克服できるだけの施設が整っているのは、世界でただひとつ、我が社だけなんだ。あの能力が制御できない限り、誠也は和波誠也として私のところに帰ってきてくれない。HALの相方である誠也、サイバースの電子霊能力を獲得した特殊な人間として囲われたままになってしまう。あの生意気なAIに出し抜かれたままなのは嫌なんでね。誠也は私の弟だ。ただでさえすべてのパーソナル情報があいつの手中にあり、5年間の絶望から救ってくれたAIを誠也は盲信してるからな。アイツのものじゃないと証明するためだ、必要経費さ。事実、誠也はこっちに来てからまともに学校生活を始めてる。なんの問題がある?」

「……すごい自信だな、2年も側にいられなかったのに」

「ああ、うん。あれだけは完全に想定外だった。あの男の妄執は私の想像以上だった。誠也は5年間の記憶を滅多に話してはくれないけど、悪夢にうなされてるときいつもでてくるのは同じ名前だった。まさかあそこまで強烈なやつだとは思わなかったよ。私はユーザーの精神を守るプログラムのキーを守護するのが精一杯だった。あとはグレイ・コードの事件の排除をこなすくらいか。誠也が助けに来てくれるほどの成長を見せてるとは思わなかった」

「和波さんの向き合いたいって気持ちに誠也君はもう一度信じてみようって気になったのかもしれないな。たった1人で必死にあがいてたから、姉を助けたいって。だからこそ俺たちは手助けする気になったんだ」

「そうだとうれしいんだがどうだろうね」

「きっとそうだ。俺から見てもわかるくらい、誠也君はアンタが大好きだよ、和波さん」

「ありがとう。第三者からみてそうならきっとそうなんだろうな。でもまだまだ足りない、あのAI以上の関係性を構築できなければ、きっと誠也は今度こそ私たちの前から姿を消してしまう。それだけが気がかりなんだ」

「さっきからHALがやたら出てくるけど、和波さん、アンタはどこまで知ってるんだ?」

「HALのことか?」

「ああ」

「目の前に自我を持つプログラムがいるとして、なにもしない研究者がどこにいる?」


にやりと笑う彼女を見て、草薙は握手を求めた。


「イグニス、サイバース、SOLテクノロジー社、ハノイの騎士についてはあらかた知ってるわけか。なにかするつもりは?」

「それはグレイ・コードに対して?」

「ああ」

「そっちが本命だね?明らかに目つきがかわった。そんなくだらないこと聞きにわざわざ来たのかい、草薙さん。そんなのあたりまえじゃないか」


彼女の目に狂気が宿る。強かに蓄積された怒りを草薙はよく知っていた。


「私達の国には証人保護プログラムはないし、今後導入されることもない。だから自分の身は自分で守らなきゃいけない。なのに誠也を守るにはSOLにいなきゃいけない。これ以上の皮肉があるか、ロスト事件の顛末をHALが逃走する道中で食い尽くしてきた工作員のデータからまざまざと見せつけられてるのに!」

「アンタの怒りはもっともだ」

「私の中の誠也は6才から11才まではカッコウのごとく赤の他人がしてたんだ。父さんたちの仕事をハッキングして奪い取る中継地として利用してきたやつを誠也として暮らしてきたんだ。なのに誠也はそんなやつのふりをしなきゃいけない。なかったことになったからだ、ふざけてるだろう?でも誠也は早く帰りたいって泣くんだ、私にできることはあのプログラムをはやく全国展開することだけなんだ。誠也が望んでることはなんだってするさ、HALの思惑に乗らざるを得ないのは気にくわないがね」

「誠也くんがこれからすることに対して咎める気は無いんだな?」

「あたりまえだろ」

彼女は笑う。

「私は私なりにするつもりだけれど、草薙さんみたいに手を組んだりはしないよ。誠也はこの件に関して私を巻き込む気はないようだし、HALがそれを良しとしない。私は嫌われているようだからな」

「アンタは根本的に俺たちとスタンスが違うんだな、和波さん。よかったらとは思ってたんだけど」

「ああ、やっぱり勧誘だったんだね、草薙さん。来てくれて悪いけど誠也を説得してからにしてくれないか。草薙さんと藤木くんをとても誠也は気に入っているみたいでね。私がなにかいうのをとても嫌がるんだよ」

「うーん、参ったな。誠也くんの説得に力を貸して欲しかったんだが」

「あはは、これに関してはノータッチにさせてくれ。求められたことはこなす準備はあるよ、それだけのことを草薙さんたちはしてくれたと誠也から聞いてる。なにをしようとしてるのか、なにをしてるのかもだいたい察してる。でもそれだけだ、ここでの話は聞かなかったことにするよ」

「アンタは冷静なんだな」

「冷静というか、興味を抱くほど親密になることに対して私は慎重なたちなんだ。誠也を守ることですら危ういんだぞ、私は。草薙さん、君たちの事情に深入りしてしまったらきっと戻れなくなる。雁字搦めになって動けなくなるのが目に見えてる。無責任なことはできない。私が興味を抱くのはリンクヴレインズのユーザーたち、誠也に関することだけで充分なんだよ、今は」

「なるほど、基本的にはSOLテクノロジー社側なんだな」

「あたりまえだろ、私はSOLテクノロジー社の技術部門を任されてるんだ。もっとも今は休職の身だがね」

「そのわりには意見を求められてるみたいだな」

「見ちゃ駄目だよ」

「わかってるよ」

書類に埋もれた棚を見て草薙は笑った。

「誠也はグレイ・コードに対して納得をもとめている。私はそう考えてる。人は誰だって明日から仕事だと考えるのは嫌だ、でも必ず楽しい休暇がやってくると根拠もなく思って生きている。いつも仕事ってわけじゃないんだと。でも違う。少なくても私と誠也は違う」

「……」

「復讐なんかして、失った5年間が戻るわけじゃないと知った風な口をきく善人もいるさ、父さんたちのような。許すことが大切なんだという人もいたさ、財前のような。でも、無理矢理忘れて生活するなんて人生はまっぴらごめんだってだけだ。誠也はその覚悟が出来てるし、後戻りできないことはHALが抱えてる生体アバターの数から察したよ。電脳死した工作員の数は尋常じゃないってこともわかってる。だから私は誠也を最後まで見捨てる気はないし、最後までそばにいるつもりだよ。なにがあってもな。少なくても誠也にとっては自分の運命への決着をつけるためにあるんだ。さて、私ばかり話すのは不公平じゃないかな、草薙さん。今度は君が話す番だ。違うかい?」

「ひとつだけまず言わせてくれ、和波さん」

「うん?」

「ほんとに残念だ」


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