「遊作ちゃん達んとこ行く前にさ、寄りたいところがあるんだけどいいかなあ?」
「なんです?」
「あー、サイバース世界の復興か?」
「いや、それより先にやらなきゃいけないだろ?あいつらのお墓、立ててやらなきゃ」
和波はかすかにこもってきこえてくるアイの声を聴き、目を伏せる。そうですね、と返すと、ありがとな、と言葉短く返ってきた。アイたちが向かったのはライトニングたちがハリボテにつくりあげた偽のサイバース世界である。ウィンディが作り上げていた空中庭園は廃墟と化していたが、かろうじて緑が残っているところがあったのだ。
木陰の葉叢の匂いにまじって漂って来る香煙の匂いをかぎながら、感に堪えたようにアイはためいきをついた。
墓が、5つ。サイバース文字で名前が刻まれた墓碑銘。うずくまった獣のように、黒い地肌だけを見せて、それらはひっそりと静まりかえっている。潮風にさらされて粉を吹いたように風化した墓石など風合いが気に入るのを見つけるのは地味に大変だったが、ウィンディたちがうるさかったんだよなとしんみりアイがいう。
墓に花や水をやる。墓を掃き清め、墓石をせっせと洗い、長いこと手を合わせる。死を築く墓地の方からは、人間の毛髪の一本一本を根元から吹きほじって行くような冷めたい風が吹いて来た。
長生きしたり、家を大きくしたりした人たちの墓は大きく、子供や赤ん坊のときに死んだものの墓は小さく、その不揃いな様子が、不断着をきた人のようで自然な表情が感じられた。
墓石を前にして、しばらく突っ立っていた。黒光りした固そうな石にはイグニスたちの面影などなかった。
柔らかな日ざしの下では、生も死も同じくらい安らかなように感じられた。
死は広大な敷地のそれぞれの地面に根を下ろしていた。それぞれの名前と時と、そしてそれぞれの過去の生を背負った死は、まるで植物園のかん木の列のように、等間隔を取ってどこまでも続いていた。彼らには風に揺れるざわめきもなく、香りもなく、闇に向ってさしのべるべき触手もなかった。彼らは時を失った樹木のように見えた。彼らは想いも、そしてそれを運ぶ言葉をも持たなかった。彼らは生きつづけるものたちにそれを委ねた。海からの潮風、木々の葉の香り、叢のコオロギ、そういった生きつづける世界の哀しみだけがあたりに充ちていた。
小鳥は、「立ち入り禁止」と書かれた柵の中に穴を掘って埋められ、誰かがゴミ箱から拾ってきたアイスの棒が土の上に刺されて、花の死体が大量に供えられた。
和波は両手を合わせ、深々と頭を垂れた。ゆっくりと流れていく滴がうれし涙に見えるのは和波の勝手な想像なのかもしれない。
「これでよし。とりあえずはこれでいい。さあ、行こうぜ。誠也はあっちの生活あるもんな」
「そーだな、なんかあったら連絡するぜアイ」
「おう」
「あれ、アイくんのこと、名前で呼ぶようになったんだね、HAL」
「まあな」
「ふふ」
「しかし慣れねえな......5年間デッキデータと融合してたから、デュエルディスクのシステムになるってのは変な感じだ」
「せっかく復活したんだから、ネオニューHALになるべきだろ」
「なにいってんだか。ま、とりあえず自由が効くのは悪くねえな」
「だろー」
「それじゃあ、オレは遊作んとこにいくぜ。じゃーな!」
「おう。またな」
「ほんとにありがとう、アイくん!」
和波たちは久しぶりに家に帰宅した。
「ただいま」
「!」
姉は目を丸くする。
「誠也!」
だきつかれた和波は目を丸くした。
「よかった」
和波は目を細める。
「またせてごめん、ただいま」
「ほんとだよ、バカタレ。もう1ヶ月たつんだぞ、まったく。もう帰って来ないかと思ってた。帰って来てくれてありがとう、誠也」
抱きしめる力が強くなる。
「うん」
和波は頷いたのだった。
「どっちがいいか決めたか?」
「まだ」
「俺様はどっちだっていいんだぜ?」
「ううーん」
和波の前にはゴーストとワナビーのアカウントが存在している。肉体を失って復元したはいいが2つあるのだ。
「言っとくけど正念場だからな、誠也。よく考えてやれよ。アイから話は聞いたろ」
「うん、わかってるよ!だからこそ迷ってるんじゃないか......」
和波はため息をついた。和波はゴーストとワナビー、2つのアカウントから蘇生した魂が融合して始めて離人症を患っている和波に一番違い状態の魂を蘇生することができる。鬼塚は鬼塚の肉体を実体化してデッキデータとデュエルデータから魂を蘇生させるだけでよかった。ダイナレスラーを使っている時期もあったがデュエルアカウントには剛鬼が残っていたため、こちらを媒介した。記憶の補完はデュエル内容の確認やアイやHALたちからの情報でことたりる。ささいな問題だ。だが和波はそうではない。どちらも同時進行で和波という人間を形成している重大なアカウント情報だったため、どちらも媒介する必要があったのだ。早い話が魂を蘇生するために肉体をふたつ実体化させないといけなかったというわけである。2つの魂はもともとどちらも和波だ。同時に蘇生さえできれば、データに変換できる以上統合はたやすかった。
「どっちもはだめ?」
「ダメにきまってんだろうが、俺がもう片方使うんだからよ」
「わあ......すっごいわくわくしてるね、HAL」
「あたりまえだろ、久しぶりなんだからよ。2年振りか?」
「そうだねえ。......あ、よく考えたら遊作君達あれじゃん。リンクセンス使えるんだから僕以外の人間がゴーストのアバターに入ったらバレちゃうじゃん。人間の時もこの体サイバースの技術で復元した肉体だから絶対バレちゃうよね。つまり、実質僕はゴーストやるしかないってことだね。ひどいなあ、HAL。ほかの選択肢ないじゃないか」
「バレたか」
「バレるさ。あーでもよかった。ゴーストがちっちゃいころな僕をモデルにしてたアカウントの方で。お姉ちゃんモデルにしてたら僕はHALを八つ裂きにしなくちゃいけないところだった」
「俺様がやるかもしれねーってのにそんな冒険するわけないだろ。いい加減頭使えよ、頭」
「む......そこまで言わなくてもいいじゃないかあ」
「事実だろ。適当なことごちゃごちゃ言ってないではやく決めろよ」
和波は散々迷ったあげく、ようやくきめたようだっあた。
「ちなみにずっとこのままじゃあないよね?」
「そりゃあな。直接遊作や鴻上了見と会わなけりゃ、俺がゴーストしたっていいわけだし」
「じゃあいいや。つまり、ゴーストとして現実世界で行き来してもいいってことだもんね。一回やってみたい」
ワクワクした様子で和波がいう。
「能天気だな、おい」
HALはぼやいている。
「それもこれもHALがデッキデータと分離してデュエルディスクのデータに入り込めたからだよね。アイくんに感謝だな」
「厳密には丸パクリさせてもらった遊作の技術力の高さにだな」
「それもそうだね、あはは。じゃあ、一回会いに行こうよHAL。アイくんいってたよね、遊作くんたちカフェナギでバイトしてるって。売り上げに貢献しなくっちゃいけないと思うんだ、ボク」
「そうだな」
「へへ、ずいぶん学校ズル休みしちゃったからね。よろしく」
「あっ......まさかテメーそのためにわざわざゴースト選んだんじゃねーだろうな」
「はやく決めろっていったのHALじゃないか。どっちだっていいんでしょ?ねえ」
にやにやと和波は笑う。HALはコノヤロウと詰め寄るのだった。
肉がかりっとしてジューシーで、トマト・ケチャップがとことん無反省で、美味しく焦げたリアルな玉葱のはさんである本物のホットドッグが目の前にある。
見えも外聞もなく、大口をあけて大きなパンにかぶりつくと、じゅっと中から肉の汁があふれてくる。
市販のものとは別物の味だ。肉汁がじゅわっと出て、ホロッと崩れるやわらかさ。犬をかたどった鉄板のうえで、ジュージューいっている。これ以上ないほど、シンプルなホットドッグとポテト、コーラをうけとりテーブルに座る。なんて最高な日だろうか。
玉ねぎは当日朝一番に仕入れたものをみじん切りに。みずみずしさと甘さを残し、飴色になるまでいためたやつと生のままひき肉と合わせて作ったあらびきソーセージが焼き上げると、肉の旨みを吸い込みながらも玉ねぎ自体の甘さも引き立つ。あふれでる肉汁がたまらない。
鉄板の上には茶色い模様のようにソーセージが並び、ちりちりという音を立てていた。
絶品だった。香料の使い方が豊富で粗っぽく、機械生産されているハムやソーセージとは味が違う。ソーセージの圧倒的な赤が映える。フレッシュな豚肉の挽き肉を、胡椒やハーブとともに腸に詰めた、ピンク色のソーセージだ。ふにゃふにゃの何とも頼りないソーセージを焼いて食べると、もちゃもちゃと上顎にくっ付くような感触がある。ソーセージが数珠繋ぎになってびっしりぶら下がっている。全部食べてみたいが財布事情が厳しい。
大きいのを両手でつかみ、バリバリはしから食べてゆくと、パンばかりのどにつかえて、両あごがくたびれてしまう上、わるくすればパンの皮で上あごをむいてしまうことさえある。でもパリッとわれるソーセージやザワークラウトは絶品だ。
「やっぱり美味しいよね、カフェナギのホットドッグ。ところでさ、ボクにはコーヒーただにならないの?一応和波誠也くんとHALと鬼塚くんを復活する手伝いしてあげたんですけどー」
真っ黒なフードを脱いで、和波誠也の姿をした6歳くらいの少年が笑う。コーヒーを飲みながら雑談していた穂村とソーセージ焼くのに集中していた遊作は目を丸くするのだ。
「ゴースト!?」
「なんでお前がここにいるんだよ!というか和波君のアバター姿でなんでここに!」
「いやあ、ヘマしちゃってさあ。ライトニングに取り込まれたあと、ボクだけ帰る肉体が確保できなかったんだよねー。だからHALたちにお願いして作ってもらったんだー。あってないようなものだったけどね」
「HALたち......和波たち、生きてるのか!?」
「正しくは蘇っただけどねー、まあ似たようなもんだよ。なにせ肉体サイバースの技術で取り戻したわけだから」
遊作と穂村の目に光が宿る。
「和波君、明日あたり来るんじゃないかな。病院とか忙しいだろうしね。だから詳しくはあっちに聞いてね。ボクにわかることなら話すけど」
「なら、遠慮なく聞くが、なぜお前だけ肉体がなかったんだ?」
「僕には和波誠也くんみたいに現実世界で待っててくれる人がいなかったみたいでね。帰ってこようにも肉体がなくなったあとなんだ。どうしようもなくない?」
「ゴースト......」
「だからゴーストなんだよ、ボク」
2人のいたわりの眼差しが疲れを解きほぐすように染み込んでくる。目には見えない好意が、かげろうのように周囲に燃えたっている。菓子のように包みくるめた優しさにゴーストは目を細めた。
和波誠也を誰もが求めていて、誘拐されたあとの和波誠也は誰も必要としてくれなかったのだから間違いではない。ゴーストはわらう。
遊作の無愛想な所々に句読点のように小さく挟む優しさも、後光が差すように、お日さまに照らされたみたいに気持ちがあったかくなる穂村のやさしさも居心地がよかった。
だからこそどんどん素直になってゆく心の交流が怖かった。優しいのが、まるでペットに慕われるように怖い。嫌われる恐れをまったく身につけていない肉体の存在感から逃げ出したかった。
いつかのお別れを意識しているからか、ゴーストには一生分の優しさをゆるやかに発散しているように感じる。空気を暖めてはそっと送り出しているように見えた。
優しい目で彼らはといかけてくる。哀れまれているような気がした。そういう目だった。慈愛に満ちていた。
何かしてやりたい。 どうして人は人に対してそう思うのだろう。何もしてやれないのに。 海が海であるだけで、よせてはかえし、時には荒れ、ただそこに息づいているだけで人にさまざまな感情を喚起させるみたいに、ただそこにいるだけの人として生きていきたい。がっかりさせたり、恐れさせたり、慰めたり。 でも、もっと何かしたい。そう思うことを止めることができない。
マインドスキャンを使っても、みんな同じことについて考えているようだから使うだけ無駄だ。
ゴーストは雑談に興じながらホットドッグを追加注文した。
「ところで、今はどうしてるんだ?」
「行くとこないからね、和波くんとこに居候させてもらってるよ。フィーアちゃんみたいに施設送りにされそうになったから回避したところさ」
「どうみても6歳だろ......」
「和波はいいっていったのか?」
「おねーさんの方は即答してくれたからね、和波くんに拒否権はないんだよきっと」
「まさか和波がこないのお前と暮らす準備があるからじゃ......?」
「よくわかったね、大正解だよ!」
「今すぐ帰って引越しの準備した方がいいよ、ゴースト」
2人は呆れながら告げたのだった。