雨音とカエルの声が合唱する静かなコンサート会場と化したハイラル湖で、私は傘を片手に岸辺に腰かけてその綺麗なハーモニーに耳を傾けていた。

 雨が降ると、この湖に私の他に人はいなくなる。
 神殿参りに来る人も、川下りを終えたお客さんも。大砲屋のトビーさんでさえ、雨が降るとラッカさんのトリトリップのある高台へと大砲で飛んでいく。湖が枯れた時にはここに残っていたのに、だ。湖が枯れるより雨が降る方が彼にとっては商売あがったりらしい。
 大和撫子のようにお淑やかに降り続く雨をみんなは避けるけれど、私はそんな日に外へ繰り出す。この広い湖を全部独り占めしている気分はそうは味わえない。武道館のライブを特等席で一人で鑑賞しているような優越感。と共に、ひとりぼっちの感傷的な気分にも浸らせてくれる貴重な時間だ。

 このところ、ハイリア湖には雨が降り続いている。


「……梅雨かな」
「つゆ?」


 雨音に紛れるはずだった独り言を拾われた。
 人はいなくても、人ならざる者はいるんだった。
 湖の水面が盛り上がり、人の形を形成していく。にじんだ絵具が元に戻っていくように色付いて、黒い勇者の姿を取る。
 体のほとんどを水が構成している彼──勇者の影の名前を持つ魔物は、落ちる雨など全く気にせずに私の隣に腰を下した。傘をさして雨粒を跳ね返す私とは対照的に、彼はすべてを受け止めて自身の一部として吸収しているように見えた。


「春と夏の間の雨が多い時期のことだけど」


 と言ってから、梅雨は日本特有の季節だったかなと思いなおす。近場の東アジア圏くらいなら似たような現象はあるかもしれないけれど、地勢すらわからない異世界ハイラルにおいては季節の存在すら怪しい。
 ゲーム内でヘナさんの釣り堀のところには季節の移り変わりはあったけれど、ハイラル全体の気象現象として春夏秋冬は存在するのだろうか。まして、季節という区分にすら入れてもらえない雨季という現象があるのかは余計にわからなかった。

 雨の多い季節、ハイラルにはないの?と聞けば、彼は遠くを見つめたまま表情を動かさずに淡々と答えた。


「さあな。俺は生まれてまだ一年と経ってない」


 だから俺は何も知らない、と自虐を含んだような言い方をした彼は、少し感傷に浸っているように見えた。服の黒い色が一部実体になり切れずに頭の中にまで回ったようだった。
 私と同じようにこの天気にあてられたのかもしれない。良かれ悪しかれ、今日はそんな気分に浸るにはもってこいの天気だった。


「ダーク、コーヒーって知ってる?」


 立ち上がって唐突にそう切り出した私に、ダークは少しだけ驚いたように目を開いた。何もない水面に枯葉が落ちて波紋が広がるみたいに、小さいけれど確かにわかる変化だった。
 彼がわかりやすく感情を表に出すのは少ないので、こういう些細でもよくわかる感情を見られると嬉しくなる。


「お前が前に飲んでた……」
「そうそれ。一緒に飲まない?イリアに教わったかぼちゃクッキーもつけてあげるから」
「魔物に食事は必要ないし、味がわからない」
「こういうのは気分だからさ。雰囲気を楽しむんだよ」


 コーヒーブレイクと洒落こもう、と言ってダークに手を差し出す。彼はしばらく何か考えるようにその手を見つめていたけれど、結局手は取らずに立ち上がって、私より先に歩き出した。
 そっけない態度に苦笑しながら、私も彼の後を追って家路に付く。

 傘の下から覗き込むダークの横顔はいつもの考えが読めない表情に戻っていたけれど、前よりほんの少しだけ柔らかくなったような気がした。さっきの枯葉が彼の中に沈んで溶けて、彼の体の色の一部になったのかもしれなかった。


「不味い物は出すなよ」
「味はわからないのに?」
「わからないから。不味いものは食べたくない」
「贅沢」


 空を見上げれば、分厚い灰色の雲が切れ目なく敷かれている。
 まだまだ雨が止む気配はなさそうだった。


16.06.15
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