いつも通りの朝をいつも通りに迎えることは、さして難しいことではない。澄んだ声が広い部屋に響く中、波江は落ちてくる長髪を耳に掛ける。資料に目を落としつつ紅茶を啜った。与えられる情報をインプットして整理、メモを取る必要がない程度に有能なことは目の前の男はもちろん、自分自身もよく知っている。



共通点はY



締めの言葉を終え、くるりと半回転する彼はどことなく子どもっぽい。内面を知る者は首を傾げるかもしれないが、波江には動作の一つ一つがただの駄々っ子のように思われて仕方がなかった。
例えば、何かをなぞるように軽やかに舞うその腕。白くきめ細やかな皮膚はどこか禁欲的な気もするが、ちらりと覗いた赤紫色の"痣"がそれを反転させる。
わずかに目を附せた。


「どうしたの、それ。」


首を傾げた彼はきょとんとしていたが、波江の視線を追って気が付いたのか、「あぁ」と呟くなり棚へと向かう。曰く、「包帯でも巻いとく」だそうだ。

理由なんてもの特にはない。だが波江は、今ならパキンと音をたてて折れてしまいそうなその手首を掴んだ。
面倒事は、というか弟に関しないことには興味などさらさらないのに、黙っていることは憚られた。自分がしてやらないといけない気がした。こちらが察してやらないと無茶をするなど、やはりこいつは子どもだなと思いながら、拒まれないのをいいことに座らせた身体は嫌に華奢だ。

訝しげな顔を向けられる。


「……手が届くところばかりじゃ、ないんでしょう。かしなさい」


溜め息混じりの言葉に滲んだ情に男は目を円くする。
肩の骨はこんなにも細かったかと思う。なんだか庇護欲が生まれそうだ。
まったく本当に、面倒くさい奴。


この事務所に常備してある医薬品、及びそれに準ずるものはほぼ波江が取り揃えたものである。以前は些細な怪我でも闇医者の元へ赴いていたらしいが、波江が来てからその回数も減りつつあった。

横目に彼を盗み見る。存外困ったような目をしていた。ばつが悪い、ともいえようか。服を捲った背中に浮かぶ朱や紫は所謂鬱血痕だの打撲痕だのというもので、これを人によってはキスマークなどとも呼ぶのだろう。が、彼に与えられたそれはおおよそ、愛し合って生まれるとは思えぬものばかりであった。歯形に痣、手首にしっかりとついた拘束の痕。女相手でないことなど知っていたが、ひどすぎやしないか。まあ相手が────とまで考えて頭を振る。顔見知り同士の爛れた関係など、想像したくもない。

テキパキと包帯や消毒をしていく波江の下で、臨也は居心地悪そうに目を泳がせている。
なるほどもしかして、今までバレていないとでも思っていたのか。この男に限ってそれはないだろうと思ったが、確認しようとして覗き込んだら目を思いきり逸らしたので、推測は強ち間違いではないらしい。鼻で笑ってやりたい気分になる。馬鹿な男、女の勘や洞察力を随分と侮っている。
それだけが理由でないとはわかっているが、そういうことにしておく。


隠しきれない首筋の痕に触れると、金髪のバーテン服が波江の脳裏を掠める。

────あなたは所有したいだけなのかしらね。
──────臨也の、細い首。



手当ての終わりを告げると、男は礼を述べながら首や手首をさする。どうやら他人に触られることが嫌いらしいとは薄々気付いていたが、こうも露骨に、しかも無意識で示されるのはなかなか不愉快であるものの、波江は憮然とした態度を崩さない。
そのかわりに白樺の指が彼の髪を引く。


「ねえ、貴方知ってる?向上心のない者はばか、なのよ」


えぐるつもりなどほんの少ししかなかった。が、よく回る口はなにも返さない。
しん。静寂の中で紅い瞳が揺らいだ気がした。




「ばかだ。俺はばかだ。」




ひとりごとのように小さく落とされた言葉は、期待通りの定型文。
小さく嘆息する。本当にね、と返す。消えてしまいそうな背中にかける言葉など波江は持ち合わせていない。
部屋に立ち込めていた緊張がふつりと解かれたのは、コーヒーの香りがキッチンから流れてきた時だった。臨也はにやりと笑って波江を仰ぎ見、先程までのやりとりを、たまにはこういうのもいいねと取り繕った。


「…痛々しいのよ、貴方。逆にみっともないからやめなさい」

「なんの話?ていうか意外だなあ、波江さん純文学なんて読むんだ。専門書ばっか読んでそーなのに。」

「勝手なイメージ作るのはやめて頂戴。これくらい一般教養よ」

けらけらと笑う臨也を睨む。泣きそうな横顔してるくせにとは思ったが、波江にはこれ以上突っ込む気も慰める気もなかったから、やめた。






















(120317)

おかんな波江さんがすき。それだけです。

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