彼の背中に微かな違和感を覚えたのはいつ頃だったかー
長身ではあるが、海賊としては決して体躯に恵まれてる方だとは言い難いこの男の病的にまで薄い背中はいつだって美しく、自分の劣情を煽った。
一切の無駄をそげ落としたかのような肩甲骨から背中、それから腰に至るまでのラインはひどく扇情的で、
その肩口に甘く歯を立て薄い皮膚を犬歯で引き裂きながら後ろから男を貫けば腹の底が疼くような堪らない声で甘く鳴く。
そんな逢瀬を幾度となく繰り返し、気がつけば夜伽の相手は彼一人となっていった。
互いの立場の相違から、はっきりと恋仲だと明言できるような関係ではなく、だからと言って唯の妄りな関係とも断言するには自分たちは余りにも長い時間を共有しすぎてしまったのではないかと稀に畏怖する。
「……テメェの背中…微妙に変わった気がすんだよなァ……」
寝ころぶ自分に背を向けるように寝具の端に腰かけ、ミネラルウォーターの瓶を煽る男にぽつりと漏らせば何処が?と返され一瞬言葉に詰まる。
何が、もしくは何処がという具体的な指摘があるわけではない。
体重の増減といった類でもない。
その自分を煽ってやまない美しいラインが変わった訳でもない。
しかし、確実に以前見ていた背中とは…―正確には、初めてこの男の背中を見たときから何かが変わっているという違和感。
その背中をじっと見つめながら暫し考え込んでいたが、やがて思い当たる節を見つけたのかああ…と納得したように一人ごちる。
「…わかった」
「何が」
「お前の背中」
「うん?」
「トライバルの模様が微妙に変わって……いや、これは広がってるっていうのか?」
そう言いながら伸ばした手の先にあるのは自分の噛み跡が残る男の背中。
脊柱の少し横――おそらく心臓の真裏に当たるであろう位置から左側の肩甲骨へ抜けるように彫られた入れ墨。
一見すれば何かを象ったようにも見えるそれは近くでみれば細かなトライバルの集合体である事がわかる。恐らく百合であろう一輪の花と何か単語を表したような記号の組み合わせを一組とし、それらが幾重にも連なり一つの形を形成しようとしている。
まだ製作途中なのか、成そうとしているものが何かは明確にはわからないが想像力をフル回転させて考えればなんとなく翼のように見えなくもない。
「……そうだな初めてテメェに俺の裸晒した時からだと……4つ、いや5つは増えたか」
「彫り物にゃ興味ねえからわかんねーがそんなに時間をかけて入れるモンなのか?」
「いや、そんな事はねぇ。コレは別に誰かに見せる訳でもねーからなァ…まあそれ言いだすと他の普通の刺青も別に見せる訳でもねーんだけど」
ふふ……と肩を小さく揺らす男に言っている意味がわからないと表情で意思表示すれば、愛しそうに肩越しに背中のトライバルにそっと触れる。
「これは墓標だ」
「海に還った家族達の」
クルーが一人死ぬ度に一組のトライバルを掘る。
記号のようにも見える文字のようなそれはクルーの名を掘っているのだという。
アレンジされているとはいえ自分には全く読めないその文字はどこかの古代文字を流用したのか、ハートの海賊団内で使用されている暗号なのか
「まぁどこの船も弔い方は似たりよったりだろうけどな…俺の所は陸地で死ぬ事があってもそこに墓はつくらねぇ、全部海葬だ」
大事なクルーを志半ばで陸地に置いていくなんてできないと言い切る男の表情のなんと柔らかい事だろう。
「とはいえ海に還っちまえばもう会えねーっていうのに墓の一つもねーのは寂しいだろ?」
弔いに船にある私物も海に持ってちまうから、残るのはそのクルーのカルテと俺の背中だけ――
他の船員たちはこの事を知っているのかと問えば、隠してるつもりはないが特に何も言ってないと返された。
船長の事となると妄信的に動く彼らの事だ、おそらくわかっているのだろう。
この男が背中に彫られたトライバルの事もそれからその意味も。
敢えて非常に聞こえの悪い、下世話な言い方をすればクルーたちはこの男の従僕者だ。信望し崇拝し、男の意思などお構いなしで彼の為に死ぬことなどまったく怖くはないのだろう。
「まぁこれで弔いになるなんて甘い事は思っちゃいねぇがな……」
どいつもこいつも最期の言葉は死ぬのは怖くないただ貴方の夢の行く末を見届けられない事が何よりも悔しいだなんて言いやがる。
「だったら全部俺が背負ってやる、そう決めた。」
そうはっきりと言い切った男の横顔が今まで見たこともないような表情で、口に出すのはやめておこうと考えていた問いを思わずぽつりと漏らした。
「……俺が死んだらテメェの背中に俺の名を刻むか?」
「ふふっついに俺に殺される気になったかユースタス屋」
「例え話だ……夜伽にゃつきものの戯言だ」
「戯言……なぁ?」
男は何がおかしかったのか、肩を揺らして一頻り笑ったのち、昼間見せる挑発的な表情とともに行儀悪く中指を立て薄い唇を釣り上げる
「これは俺の愛すべき家族達の墓標だ、テメェの入る場所なんて1ミリだってねェ」
例えテメェが俺を恋人であってもだと、男の口から出た言葉は大方自分が思っていた通りのものであり、そしてそれでいいとぼんやりと思う。
この男の中でその他大勢の墓標と共に自分が埋もれるなどこちらから願い下げだ。
「代わりにテメェが死んだら俺の身体に刻んでやろうか」
「ははっ本当に今日は面白い事を言うなユースタス屋ァ」
流石に予想外だったのか男は大きく目を見開いた
しかしそれも一瞬の出来事で、すぐに何事もなかったかのようにポーカーフェイスを押し通す。
「ああ…でもテメェの墨のねぇ身体に俺の墓標があるっていうのは悪くないな」
そっと手を翳したその場所は紛れもなく自分の心臓の上
ゆっくりと掌で心音を感じて男は満足げに目を細める
「じゃあ……俺が死んだらここに一つ咲かせてくれユースタス屋」
「素直に俺に殺される気になったかトラファルガー」
まさかと男は冷たく言い放ち、あっさりと自分の元を離れてシャワーを浴びるべく寝具をそっと離れて背を向けた。
「夜伽には戯言がつきもの、だろ?」
大切な大切な家族たちへの悲哀も慕情も追憶もそれから託された夢を
全てを担う覚悟をその身一つで背負い立ち続けるその男の背中は
やはり酷く扇情的で美しかった。
あの背中ごと自分のものにしてしまいたいとそう渇望するくらいには――
キドロといいつつも、正確にはキドロを軸としたハートの海賊団船長としての在り方の話…といった方が正しいかも