If Story

▽ side馨


金曜にも関わらず自宅に戻れた時間は随分と早かった。またダイニングテーブルで勉強していた様子の葵はすぐに馨を出迎えに来てくれたが、当初の約束通りこのままベッドに連れ込むわけにはいかない。

「葵、出掛けるよ」

そう言って葵を連れて行った先は寝室ではなく、衣装部屋。葵は当然不思議そうな目を向けてはくるが、馨が服を選ぶあいだ大人しくスツールに腰掛けて待っていた。

葵が幼い頃は毎日のように様々な衣装を着せて遊んでいた。その名残で、今でも葵が身につけるものは馨が選び、出来る限り己の手で着替えさせている。

ネイビーの地に控えめな白の格子柄が入ったセットアップ。もう少し可愛らしく着飾らせたいが、今夜の食事相手が文句を言ってくる予感がする。せめてもの抵抗で、パンツはハーフ丈を、ネクタイも小花柄を選んでやった。

「葵にも会いたいんだって。このあいだ会ったばかりなのにね」

ヘアオイルで軽く髪を整えてやりながら愚痴を零すと、葵は馨が皆まで説明せずともこの後の予定に予想をつけたらしい。

「いい子にね」

光沢のあるレザーの靴を履かせ、仕上げとばかりに口付けてやれば、葵は緊張した面持ちで頷いた。

呼び出されたのは、ホテル内にあるレストラン。ギャルソンの先導で個室に通されると、そこにはすでにワインの注がれたグラスを傾けている男の姿があった。窓辺で夜景を見下ろしていた彼は、馨たちの到着に気が付くとゆっくりとテーブルまで戻ってくる。

「座りなさい」

呼び出した客人よりも先に酒を飲み始める態度も、偉そうな物言いも、全てが気に食わない。彼は藤沢家の頂点に立つ男であり、馨の父、柾。顔を合わせればいつも口論が始まってしまう。今も出会ってたった数秒で思わず悪態をついてしまいそうになった。

「パパの隣においで、葵」

まだ慣れぬ祖父に萎縮しているのか、固まってしまった葵を自分の横に導いてやると、正面に座る柾の視線が鋭くなった。

藤沢家の子息として堂々とした振る舞いができない葵に対してか、それともそんな風に育てた挙句、嬉々としてエスコートする馨に対してか。どちらにせよ、馨達に苛立ったのだろう。

「高校はどうだ?もう二週間経つだろう」

料理が運ばれだすと、柾は気を取り直して葵に質問をし始める。孫想いの祖父のような振る舞いだが、彼が気にしているのは藤沢家の体裁だけだ。

アメリカでは葵を家から出したことはほとんどなかったが、時折こうして外で食事をするデートぐらいは重ねていた。だから葵がナイフとフォークを手にじっとこちらを見つめてくるのは、テーブルマナーに困っているわけではない。柾に対して返事をしていいか、許可を求めているのだ。

「いいよ。お爺様の質問に答えなさい」
「まだそんな真似をさせているのか」

馨が促してやれば葵は安心したように柾のほうを向いたが、今度は柾がこちらを睨みつけてきた。自由に言葉を発することも出来ない姿は馨に従順な人形らしくて可愛いと思うのだが、父は気に入らないらしい。

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