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げに恐ろしきは



がくがくと、霞んだ視界と共に揺さぶられる感覚に、げほっと低い咳が口から漏れる。

焦点の合わない目で、揺さぶる人物を捉えようとするけれど視界はただぼんやりと暗く染まるだけで人の姿は認められない。

揺すらないでくれと口を動かしてみるが、声にならないその抗議も無視して相手はひたすらに自分を抱き起こそうと試みる。

その際ほんの一瞬だけ腹部に痛みを感じたけれど、それがどうしてかも考える間もなく意識は遠のいて行った。














気が付けば、燐は見知らぬ部屋の中、真っ白な天井を仰ぐようにひとりベッドの上に寝かされていた。

ここはどこだろうかと身体を起こして確かめようにも、腕も足もまるで言うことを聞かないように動かない。そのため唯一自由に動く視線をぐるりと室内に廻らせれば、そこは燐意外には人の居ない病室らしかった。

病室に居ると言うことは、自分は怪我でもしたのだろうか。

ここに来る前の記憶を、まだはっきりと覚醒しない脳をフル回転させて思い出そうとする。

そうして、そう言えば戦いのさなか隙を突かれた雪男をかばったことを思い出す。

日本ではほぼ見ることのない悪魔、「グールだ」と言った雪男は少しだけ驚いた様子を見せ、そうして自分と二人何体か相手をしていたのだが、雪男のほんの一瞬の隙を狙ったグールに気付いた燐は思わず彼の前に飛び出した。

そのあとの記憶はほぼ無いに等しいが、どんと言う衝撃とともに足元ががくりとふらついて、あぁ腹に穴が開いたなとその瞬間思ったことだけは覚えている。

そこまで思い出して、じゃぁ今の自分の身体が動かないのはそのせいかと思った燐は「まさか腹にぽっかり穴が開いてるんじゃ…」と少し背筋が凍るような思いに至ったが、腕も足も首も動かすことが出来ないので確認のしようが無かった。

「怖ぇぇ…」と掠れた声でひとりごちた燐だったが、その声はがちゃりとドアが開く音に掻き消され、燐はその音がした方へと視線を向けた。

そうすれば、自分が横たわるベッドからさほど遠くないところにあるドアの前で、自分とはあまり似つかない弟が険しい顔をして立っていた。


「…ゆ…」


雪男、と声に出したつもりだったが、それは声にはならなかった。そんな燐の様子に、険しい顔をしていた雪男の眉間にさらに深くしわが刻まれる。


「喋れないくらい重症だってことくらい理解してくれ」
「…」
「まぁもう傷は塞がりつつあるけど。…でも、今回は治りが遅い。完璧に貫通してたから、当然だけど」


苛立ったように言い眼鏡を押し上げる弟を、燐は何も言わずに見上げる。言っても言葉にならないと分かっていたからだ。


「前も言っただろう。いくら尋常では無い治癒力を持っているとは言え万能じゃないんだ。そういう戦い方をするんじゃないって、前にも言っただろう!」


突然、声を荒げた弟に燐は開きかけた口を閉じる。笑い飛ばすなんてもってのほかだろうが、きっと今の彼は真剣に謝っても態度を変えないだろう。


「僕は兄さんに庇ってもらう必要なんかない。今みたいに怪我で倒れられるのは迷惑なだけだ!」


普段声を荒げることの無い雪男の怒声が、今はうるさく室内に響く。


「…ゆ…き……ごめ、な」


ごめんと、ただ一言彼に言いたいだけなのに、喉は自分の言うことを聞かず声は惨めに掠れてしまう。

それでも息を荒げながらもなんとか絞り出したその言葉は、けれどこちらを冷たく見下ろす彼から返事をもらうことは出来なかった。












呼吸が止まる思いとはこういうことなのかと、雪男は崩れ落ちる兄の姿を見ながらぼんやり考えていた。

名前を呼ばれ、振りむいた時にはもう兄は地面に倒れ込むところで、襲いかかって来たグールを全て撃ち抜いたあとに兄の元へ駆け寄った。

そうして、倒れた兄の姿を目に雪男の背筋は凍りつく。

彼を抱き起こした際手に付いた温かいもの、そして兄の腹部の異様な形に、雪男は瞬間「もう駄目だ」と思った。

けれど普通の人間であればもう息も無いところ、兄は辛うじて焦点の合わない視線を必死で何かを探すように廻らしていた。

けれど呼吸は虫の息で、恐らく生死の境に居ることは以前変わらない。もう止まりかけつつあるその腹部から溢れる血を抑えた雪男は、自分より少しだけ体格の小さいその身体を横抱きにして無我夢中で走った。

そうして駆け込んだ祓魔師のみ使用できる病院で、なんとか大事に至らなかった兄だったけれど、彼を抱えた腕が痛みでは無い理由で震えるのを雪男はぎゅっと拳を握ることで抑えようとした。けれど、意識を取り戻した兄を確認し病室を出た今でも腕の震えは治まらない。


「…ごめんじゃねぇんだよ」


ごめんで済むなら、怒る必要なんて無い。

けれど彼は、自身を苛む血に頼り切って、過信して、そして助けられている。

しかしその力に依存することは、その身を滅ぼす可能性も孕むということで。


「…今回みたいに、腹に穴が開くだけじゃ済まないかもしれないんだ」


もし、そうなったら。

もし彼が居なくなってしまったら。

そのことを考えるだけで、雪男は視界も頭の中も真っ黒に染まるような恐怖に襲われるのだ。















貴方がいなくなるということ





- end -




フリリク 雪男を庇って怪我する燐。キレる雪男

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