Happy Birthday Levi 25/12/2019
15 ころころ毛玉の行く先は
――白猫のジンクスって知ってますか?
――…いや。どんなのだ?
――白猫は幸福を運んで来るんだとか。わけても、オッドアイの子は―…
* * *
―12月25日 初更
トン、と床を打つ小さな音にリヴァイはふと顔を上げる。
彼の小さな同居人…もとい同居猫である、まだ幼い白猫だ。先程まで部屋の隅にあるキャットタワーの上で食後の毛繕いをしていたはずだが、もう済んだらしい。
「よし、飯は全部食ったな。いつもなら存分に遊びに付き合ってやるところだが、今日はちょっと勝手が違ってな。少し…いや、だいぶ喧しくなりそうだ。悪いな」
餌皿を確認し、足元に擦り寄る仔猫の頭をひと撫でしてやる。わかったのかわかっていないのか、仔猫はニャアとひと鳴きし、ころりと足元に転がった。
リヴァイは屈んでいた身を起こし、部屋をぐるりと見渡した。
今日、12月25日はクリスマスであるのと同時に、彼の誕生日でもある。彼としては固辞しているのだが、職場の仲間にそのことを知られて以降、毎年なんだかんだ祝ってもらっている。
贈答だけで済ませる年もあるが、今年は彼の自宅で宴会を、ということになった。かなり強引に。
昨年までは、ワンルームで部屋が狭いことを理由に断っていたのだが、今年は猫を飼育できる今の家へと転居し、以前と比べ部屋が広くなったためその理由が使えなくなったことと、それに加え、ここ数か月猫の世話にかかりきりで、ろくろく飲みにも付き合ってやれていなかった負い目もあり、渋々ながら懇願を受け入れたのだ。
酒と使い捨ての食器類(単身で、そもそも食に頓着の無いリヴァイ宅には常備されていないため)だけこちらで用意し、食料は持ち込まれることになっている。
「いいんです!全部私たちで用意しますから!」との言葉に甘え、経費だけ持たせ(これも遠慮されたが「受け取らないなら宴会は中止だ」と脅したら渋々受け取った)、食料諸々の調達は任せていた。
これから宴会が催されるとは思えないほどすっきりした部屋を一瞥し、時間を確認しようと携帯電話を入れているズボンのポケットへと手を伸ばした。
その時。ぴくりと耳をそばだて、ぱっと頭を起こした仔猫はカーテンの引いてあるベランダの方を凝視した。
不思議に思ったリヴァイが「どうした」と声を掛けようとした時、玄関でインターホンが鳴らされた。
(来たか)
どうやら仲間達の到着らしい。
チャイムが鳴ると同時にぱっと身を起こし、仔猫は一目散にカーテンの裏へと隠れてしまった。
仔猫にとっては初対面の人間を家に招き入れるため、対面時はケージ内に隔離しておこうかと思っていたが、自主的に避難したのならこのまま様子を見ようと、来訪者を迎えに玄関へと足を向けた。
ただでさえ、彼の猫はケージを好まず、無理に捕まえて押し込もうものなら絶対に暴れるという確信があったからだ。
「そこで大人しくしてろよ」
そう声をかけ、リビングと玄関を繋ぐ廊下を隔てる扉をしっかり閉め、リヴァイは玄関へと向かった。
「こんばんはー!」
「お邪魔しまーす」
「ミケさん、ちょっと遅れて来るそうです」
「ここがリヴァイ先輩のお部屋かぁ」
どやどやと玄関から入ってくる4人の同僚達。
皆それぞれが、チキンが入っているであろうバケツ型の容器や、ケーキの箱やらの荷物で両手をいっぱいにしている。
そんなに食えるものか?と内心思いつつ、リヴァイは玄関の扉を押さえてやるがまだ全員は入り切れていない。それほど広くはない玄関には人が犇めき合っている。
「奥のドアの向こうがリビングだ。先に入って中で適当に荷物広げてろ。ここは冷える。リビングには猫がいるから注意しろよ」
玄関から入り込む外気に身を震わせながら、リヴァイは指示を出す。
吐き出す息の白さに思わず眉間に皺が寄る。
「あ、例の白猫ちゃんってこの子ですか?かわいいー」
(は?)
まだリビングへと入室していないはずの者から出た言葉。
見れば、リヴァイからは確認できないが、発言者のペトラは足元に微笑みかけている。
奥のリビングのドアへとさっと目をやると少し開いている。
その光景から察せられる事実にリヴァイは別の理由で身を凍らせた。
これは、確実に。
いや、でもどうやってドアを開けた?まだ仔猫だぞ。
今はとにかく――
「オルオ、静かにその猫を捕えろ。エルド、早く中に入れ。扉を閉め―」
リヴァイが言い終える前。同僚から声が上がる。
「あっ、ちょっと!」
「おい、こら待て」
まずい、と一気に神経を尖らせた瞬間、足元を白いものが駆け抜ける。
迷いなく。玄関の隙間から外の世界へと――。
*
脱走した仔猫を追って逃げた方角へ出てきたはいいものの、完全に姿を見失い、リヴァイは途方に暮れていた。
荒い息は引きも切らず眼前を白く染める。真冬には似付かわしくない幾筋もの汗が背筋を伝い落ちる。
同僚達には「10分で戻る」「先に始めてろ」と言い置いて飛び出してきたが、5分ほど探した今もまだ見つかっていない。
運動神経には自信のあるリヴァイも、仔猫のアクロバティックな逃走―玄関前の共有廊下にある手摺りへと駆け上り、そのまま隣接する駐輪場の屋根へと飛び移り、地面へと着地―には対応できず。
すかさず彼自身は階段を使って追跡したが、虚を衝かれたのは痛かった。
(あんなの聞いてねぇ。マンション2階とはいえ、仔猫が飛び降りるなんて予想できるか。淀みのない走りを見るに怪我はしなかったようだが、全く、何考えてやがるんだ)
「――…」
呼吸が落ち着いてきて頭がクリアになってくると、今度は別の痛みがちくりとリヴァイの胸を刺す。
仔猫がリヴァイの脇をすり抜け外界へと飛び出していった時、咄嗟に呼び止めようとしたが、言葉が出てこなかったのだ。
(名前を呼ぼうにも、あいつにはまだ名前が無い。繋ぎ止めるものは何も――…)
* * *
『この子の名前なんだけどさぁ…』
ハンジ―獣医をやっている、リヴァイの古い友人―が、覚束ないながらもころころと玩具を追い掛け、室内を駆け回る白い仔猫を目で追いながら口を切った。
リヴァイもそちらへ目をやる。
――彼女の言う『この子』とは、彼が先月―まだ暑さの厳しい9月―に通りかかった公園の片隅に恐らく母猫に育児放棄されたのであろう、ひどく衰弱していたところを保護した猫だ。
仕事帰りの、日もすっかり暮れた晩、ふと何かの気配を感じたような気がして足を止め、ぐるりを見回すと、公園内の低木の茂みの中にある白いものが目にとまった。
何かに引き寄せられるように近寄ってみると、ほとんど虫の息と思われる生後間もない仔猫だった。
ほとんど目も開いていないような状態で、今思い返せばおかしな話だが、微かに覗く目蓋の奥の瞳に気高く鋭い光―その弱った体に不釣り合いなほどの―が宿っている気がして印象に残ったことを覚えている。
リヴァイはこの時にこの小さな命を引き受けると心を決めた。
そして、推定生後7〜8週ほどまでなんとか育ってくれた今、時に手に負えない程のお転婆になり、起きている間はほとんど遊びまわっている。
キトンブルーの美しい目は玩具に釘付けだ。
あえかな命は見る影もない。
リヴァイは目を細め、紅茶の入ったカップを口へと運び、ハンジの言葉の続きを待った。
『“殺人毛玉”なんてのはどう?』
カップを持つ手が止まる。
『ふざけてんのか。なんだその物騒な呼び名は』
『それに名前ってより、何かの二つ名みてぇじゃねぇか』
『だってリヴァイ、いつまで経ってもこの子に名前つけてあげないじゃない』
リヴァイは気不味気に身じろぐ。
『にしたって、そんな名前があるか。どんな発想だ』
『あれ?知らないかな。“殺人毛玉”っていうのはね、“見た人を萌え死にさせるくらい超絶可愛い、毛のモフモフした動物”のことを指して言うんだよ。まさにこの子みたいなね!』
ちょうど足元に転がってきた猫用の玩具を拾い上げ、仔猫をじゃらしながらハンジが解説する。
『初耳だな。…意味はともかく、却下だ』
『素気無いねぇ、君の飼い主は』
ハンジの案を一蹴したリヴァイの声が心なしか柔らかいことに気付いたハンジは含み笑いをする。
指摘すればきっと否定するだろうから言わないが、自分の猫を「可愛い」と誉められたことが嬉しかったのだろう、と彼女は思う。
(これは、結構な親馬鹿になりそうだ――)
『まぁ、なんにしてもさ、早いとこ決めなよ。呼び名が無くて猫ボラさんも困ってるしさ』
――猫ボラとは、保護猫ボランティアのことで、細やかな世話が必要な仔猫を、リヴァイが仕事の間だけ預かってもらっている。ハンジの伝手で紹介してもらった人だ。
『…ああ。わかってる』
そうは答えたが、妙案などそうそう浮かんでくるわけもなく、月日は流れていった――
* * *
――名付けっていうのはね、最初の祝福だ。家族への特別な贈り物なんだよ。ある意味において、命を吹き込む行為だと言ってもいい
いつかの友人の言葉がリヴァイの脳内に響く。
「名前を呼ぶこと、呼ばれることで親密な絆ができていくんだよ」とも。
仔猫を拾った当初は日々命を繋ぐので手いっぱいで、命名なんていつでもいいと後回しにしていた。
どんな名だろうと、自分が引き受ける命に変わりはないと。
だが、それだけでは十分では無かったということなのだろう。
(俺たちの間には…何も…)
いや、と頭を振り、暗い考えを隅へと押しやる。
今考えても栓無いことは置いておいて、猫探しに集中することにする。
猫が逃げ込みそうな隙間を目で探しながら、ひとつ息を吐き出す。
無理矢理思考を落ち着かせると、ある疑問が湧いてくる。
(そもそもなんで、あいつはリビングのドアを開けて、知らない人間のうじゃうじゃいる玄関まで出てきたんだ?この際、どうやって開けたかについては無視する。テレビか何かでドアを開ける動物映像を見たことがあるし、そういう類いのことをして開けたのだろうと一応納得できる)
(理由はなんだ。普段のあいつなら、面識のない人間に自分から寄って行ったりしない)
そういえば、記憶に引っ掛かるものがある。
チャイムが鳴る直前、仔猫はベランダの外を気にしていた。
(ベランダの外に気になるものを見つけたのか?)
それに、玄関を飛び出していった後、駆けていった方角もベランダと同じ側だった。
無闇矢鱈に手がかりも無く捜し回るには限界がある。
一応、仔猫の首には迷子札付きの首輪はしてあるが、都合よく人間に保護される可能性に望みをかける前に今できることに手を尽くしたい。
また、これはリヴァイ自身が見つけださなければならないのだという気がしていた。
(全くの見当違いかもしれないが、今はこれに賭けてみるしかない)
狙い定めた方角へ早足で向かいながら、部屋で待っている同僚達に「無事保護した。すぐに帰る」と手短に嘘のメッセージを送っておく。
真実をそのままに伝えれば、きっと一緒になって捜索してくれる優しい者たちだから。
それに――
(さっさと確保しちまえば、嘘をついたことにはならないだろ――)
ちらり、ちらりと白いものが空を舞い始めた中、リヴァイは更に歩む速度を上げた――。
*
「ほぅ―」
目的のマンションがあと数百メートルのところに見えてきて、そのまま見上げていた視線を冬の空へと移し、空に白い息を吐き出す
なまえは今、友人宅で開かれるクリスマス会に参加するため、夜道をひとり歩いていた。
大通りからは離れているのでこの時間に通りすがる人も少なく、静かなものだ。
ただ、家々に目をやると、暖かな光が窓から漏れており、人の気配がある。皆それぞれに今晩という夜を過ごしているのだろう。
(手袋しておけばよかったかな)
大事そうに胸のあたりで抱えるケーキ箱。もこもこした手袋をしたままで持ち手の部分に指をかけていては、誤って取り落としてしまうかもと危惧し、素手で扱っている。
予約していたクリスマスケーキを店で受け取り、友人宅へ無事持ち込むという大役を担ってドキドキだったが、このままなら役目を果たせそうだ。
右肩に掛けている鞄の中で、友人たちと交換するささやかなプレゼントの包装がかさりと音を立てる。
(みんなはもう集まっているだろうか)
そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、ある公園に差し掛かる。
この公園を抜ければ、もう友人の家は目と鼻の先だ。
(たまに猫の集会が開かれてるのを見かけるんだけど、さすがにこんなに寒い夜には猫もいないか)
きょろりと、踏み込んだ公園内で視線を巡らせる。
無人・無猫の公園内に砂利を踏む彼女の足音だけが響く。
すると、前方に視線を戻そうとした時に何か白い小さなものが横切った気がして、はたと足を止める。
なまえは白いそれの正体を見極めようと、横切ったものがいるであろう方向へ顔を向けまじまじと見つめると、そこに一匹の白い仔猫の姿を認めた。
全身純白の―頭には一部の幼い白猫にだけ現れるというキトンキャップの模様があるが―なんとも愛らしい仔猫が、1メートル程先にちょこんとこちらを見上げて座っている。
まだ新しい濃紺の首輪をはめ、その尾はしゅるりと長く、体に巻き付けている。
突然の遭遇に、なまえは目を瞬かせ、白い仔猫と数秒間ほど見つめあう。
目を見交わして気付く。公園の外灯できらりと輝く猫の瞳は、思わず感嘆の息が漏れるほどのとても美しいオッドアイをしていた。
(わ、珍しい。オッドアイの子って初めて見た。なんて…神秘的なんだろう)
今晩がクリスマスという特別な夜であるということがよりそう思わせるのかもしれない。
仔猫の怜悧そうな目が瞬き、まるで魔法が解けるかのように、現実に引き戻される。
ふと、これはどういう状況なんだろうと困惑が頭をもたげた。
周囲を見回してみればやはり他には誰もおらず、まあまあの広さの公園内に人間一人と猫一匹が向かい合っているという珍妙な状況。なんという異空間。
(私に…用があるってこと?構ってほしいの?)
どう反応すればいいかなまえが考えあぐねていると、白い仔猫がやはり彼女を見上げたまま「ニャア」と話し掛けてきた。
これはいよいよもって自分に訴えているのだとわかった途端、猫好きななまえの頬が緩む。
「こんばんは。ひとりでどうしたの?」
と思い切ってこちらも話し掛けてみる。
急に動いて驚かさないようその場に緩慢に屈み、お近付きになれるだろうかと淡い期待を込めて猫の方へとそっと片手を差し出す。
すると仔猫はすっと腰を上げ、トコトコとこちらへ寄ってくる。歩く姿も愛らしい。
その小さな鼻先をなまえの指先へと寄せ、においを嗅ぎ、するりと頬を擦り寄せる。
それを合図に、こちらからも体を擦ってやる。嫌がる素振りも見せず、仔猫は心地よさそうに目を細めている。
(…ちょっと意外だ。白猫って神経質だとか聞くから仲良くなるには時間がかかると思ってた。この子が懐こいだけかな)
首輪もしており、どこかの飼い猫なのだろう。よく手入れされているのがわかる。なめらかで柔らかい毛をしばらく堪能し、ちらりと公園内にある時計に目をやる。もう5分ほどが経過していた。
おっと、まずい。
「名残惜しいけど、もう行かないと。外は冷えるからね、君も早くお家へお帰り」
と言ってなまえはケーキの箱を落とさぬよう注意深く抱え直し、立ち上がる。
「じゃあね、私はもう行っちゃうからね」
最後にひと撫でしてから、未練を断ち切るように敢然と仔猫に背を向け、公園の外へ向かおうと踏み出す。
が、まるで「待ってぇぇぇ」「行かないでぇぇ」とすがるように鳴きながら、なまえが踏み出した足に体を猛然と擦り寄せ、仔猫は行く手を阻もうとする。
もう一歩足を前に出せば今度はそちらに纏いつく。
これでは埒が明かない。
「参ったなぁ…」
どこまでもついてきそうな勢いになまえは途方に暮れる。
すると、クシュンと仔猫がくしゃみをひとつする。
「…っ!ほらー、寒いんでしょう?風邪ひいちゃうよ」
猫を引き離すのは一旦諦め、近くにあったベンチへ猫ともども移動し、ケーキ箱をその上に置く。
なまえもベンチに腰掛け、ぽんぽんと膝を叩き猫を招く。素直に膝上へと上ってきた仔猫につい笑みがこぼれてしまう。
(膝に乗り慣れてるみたい。きっと飼い主にもこうやってもらってるんだろうな)
なまえは自宅で自身が飼っている猫のことを思い出す。今目の前にいる白猫とは真逆の黒猫だ。家でも膝上に猫を乗せることはあるが、大きさも随分と違うので、改めて仔猫の体の軽さに驚いてしまう。
(まずは体を温めないと)
自分の首に巻いていたマフラーを外し、仔猫をそれで包んでやる。猫は嫌がることもなく、されるがままでいる。そしてそのまま胸元に抱き上げてしばらく擦ってやっていると、仔猫の喉元からはごろごろ音がし始め、寛いでいる様子がうかがえた。
それに安心したなまえはマフラーに埋まった仔猫の首元を探り、首輪を観察することにした。
住所でも名前でも、何かこの子の飼い主に関する情報は記されていないかと思ったのだ。
果たして首輪には迷子札が付いており、そこには飼い主の苗字と電話番号が書かれていた。
明らかな迷子ならともかく、単なる外飼いや近所を散歩していただけならちょっと恥ずかしいな、と思いつつなまえは携帯電話を取出し、首輪にあった番号を入力していく。
耳に当てた電話から聞こえてくる呼び出し音に耳を傾けながらぼんやりと空を眺めていると、はらりと天から舞い降りた白いものがなまえの鼻先にちょんと乗って消えた。
抱えた仔猫に雪が降り掛からないよう気を付けてやりながら、なまえはコール音が途切れるのを待った――。
*
ものの数分ほどだろうか、さして待つことも無く、なまえが入ってきたのと同じ方の公園の入り口に影が差し、誰かが駆け込んできた。
公園の外灯の灯りが届くところまでその人物が進み出てようやく、なまえにもその者の様相が見てとることができた。
公園に現れたのは小柄な男性のようで、濃緑のVネックのセーターにライトグレーのズボンを穿いている。黒い髪は短く、襟足が刈り上げられているようだ。
先程の電話に出た相手とも性別は一致する。
なまえはそろりとベンチから立ち上がり、窺うように前へ二歩踏み出した。
男はこちらの存在に気付いたようで、駆け寄ってくる。
二人の距離が縮まり、向き合ったことで先程よりよく相手の様子がわかる。
余程急いで来たのか、髪は風を受けた名残で乱れ、頬や耳には赤みがさしている。
息も乱れており、吐き出す息で男の顔が煙るほどである。
うっすらと隈のある目元には鋭い印象を受ける。その目と視線が合った時、男が微かに目を見張ったような気がした。
男の反応になまえの内に疑問符が浮かんだが、すぐに男が口を開いたことで彼女の意識は逸れた。
「さっき連絡をくれたのはあんたか」
走った後で少しかすれているようだが、電話口で聞いたのと同じ声のように感じたので、なまえは少しく肩の力を抜いた。
「はい」
「そうです」と続ける彼女の声に被せて、胸に抱いていた当の仔猫が鳴き声を上げる。
はっとしたように男はなまえの抱くものに目を向け、なまえは飼い主の声に返事をしたかのような仔猫の反応に思わず笑みをこぼす。
「ここに。この子で間違いありませんか?」
と言って覆っていたマフラーを捲り、男のに仔猫の姿が確認できるようにして見せた。
男は何歩が近付き、まじまじと仔猫の顔を見つめる。
仔猫の様子はというと、男と同様にして見つめ返しているようだ。
すると男は片手で目元を覆い、安堵したように息を吐く。
「ああ、間違いない」
男の言葉になまえも胸を撫で下ろす。
「よかった。これでお家に帰れるね」
仔猫に声をかけ、喉元を撫でてやると、ごろごろと鳴る音が触れる指先から伝わってくる。
「もしかして…迷子でした?」
この寒い中、男が上着の一つも着ないで慌てたように現れたこと。電話口で聞いた声が緊迫した声。仔猫の顔を見てひどく安心したようであること。
男の様子を見ていてなんとなく状況を察して問うてみる。
「…ああ。数十分ほどだが。…俺の手落ちだ」
自分を責めている様子の男に、自分も同じ状況だったなら…と思うと胸苦しくなる。
「…確かに、命を引き受けると決めた飼い主としては、万全を期したいですよね。この子に何が起こったとしてもそれは全て飼い主の選択や判断の結果」
不意に厳しい響きを持った彼女の言葉に男は覆っていた手をどけ、彼女を真っすぐに見つめる。
「私も猫を飼っているので、他人事とは思えません。とても…身につまされます」
厳しい言葉は自分自身にも向けた言葉。
ほろ苦く笑いながらなまえも男の目を見返す。
「何か取り返しのつかないことが起こる前に、こうやって教訓を得られたのは僥倖です。…そう!これはきっと白猫の幸運なんですよ!」
ぱっと声を明るくし腕のなかの仔猫を愛おしげに撫ぜるなまえに、男は気を呑まれたかのように問い返す。
「白猫の幸運?」
「はい。白猫にはいろいろ迷信が―」
と、そこでほとんど同時に二人の携帯電話が鳴り、メッセージの受信を知らせる。
「「!」」
「すみません」と断って用件を確認すると、友人からのメッセージだった。いつ頃到着できそうなのか問う文面だった。
(しまった。すっかり忘れてた)
時計を確認すれば、集合時刻まであとわずか。
「すみません!この後友人との約束がありまして…」
となまえが切り出すと、相手も似たような連絡だったようだ。
「いや、こっちこそ長く付き合わせて悪かった。今回のこと、本当に助かった。何か礼がしたいんだが、飛び出して来ちまったもんだから生憎と手持ちが無い。日を改めて恩を返させてほしい。連絡先を教えてくれないか」
「いえいえ、そのお気持ちだけで十分ですよ。私も、こんな可愛らしい子と出会えるという幸運をもらいましたから、これでとんとんですよ」
と、なまえとしては心底朗らかな気分で返礼を辞退しようとするが、男は引き下がってくれない。
「とんとんなわけあるか。それじゃ俺の気が済まない」
絶対に折れてくれそうにない相手になまえは根負けし、結局後日食事でもということになり、連絡先を交換した。
「そうだ、アッカーマンさん」
仔猫の首輪に記されており、今し方連絡先を交換した際に名乗り合った名を呼ぶ。
「リヴァイでいい」
「では、リヴァイさん。この子はなんていう名前なんですか?迷子札には名前が書いてなくて」
ずっとなまえが抱いていた仔猫をリヴァイの腕の中へと移しながら問う。
リヴァイは受け取ったばかりの彼の猫へと視線を落とし、言葉を詰まらせる。
「こいつに名前は…まだ無い」
「あら、そうなんですか。早く良い名がもらえるといいね」
お別れの挨拶に仔猫の頭を擦ってやると、「ニャア」と答えてくれた。
「ふふ」と顔が綻んでしまう。
黙ってしまったリヴァイに目をやると、真剣な目で見つめられていた。
あまりにも真剣なその目にどぎまぎしてしまう。突然どうしたのだろうか。
ややあってから彼が口を開く。
「あんたなら、こいつになんて付ける?」
「え――」
自分に振られるとは思ってもいなかった問いに、なまえは返答に窮してしまう。
「いやっ…!やっぱり答えなくていい(―これは俺が自分で決めなければ意味が無い)」
なんでこんな問いがぽろりと自分の口から零れ出たのか自分でも自分が理解できないと、即座に前言を撤回するリヴァイ。
事情はよく酌めないが、彼の眼差しや口調から伝わってきた真摯な印象に惹かれ、何か言葉をかけたくなる。
言葉を探して、ふとリヴァイの抱く仔猫へと目をやると、オッドアイの美しい目と視線が交わった。こちらを見つめて優しく瞬くミステリアスな目。促されるように、なまえは口を開いていた。
「―私ならこの子に、『こういう命であってほしい』、『こういう一生を歩んでほしい』という願いを込めた名をつけます」
「―願い、か」
二人の視線が強く絡む。
静謐な時間に割り込むように、また気紛れに降り始めた雪が一片、リヴァイの肩に乗りじわりと融けた――。
*
『よいクリスマスを』
『また近いうちに連絡する』
そう言って別れたのが数分前。リヴァイは今その帰路にある。
一人、家路を辿りながら、先程まで一緒にいた恩人―なまえのことを思い返していた。
合流して最初、彼女と初めて目が合った瞬間、リヴァイは強烈なデジャビュを覚え当惑した。
その感覚の正体は、会話を重ねるうちに瞭然となった。
彼女の―、力強い目だ。強い意志に溢れた目。
その目は、リヴァイが今腕の中に抱いている仔猫を最初に発見した時の、仔猫がしていた目にとても似ていたのだ。
何故だかわからないが、彼を強く惹きつける目。
その目の持ち主である猫へと目を下ろす。
マフラーに包まれた仔猫は、うとうととリヴァイの揺れる腕の中で微睡んでいる(マフラーは『また今度会うときに返してくれたんで大丈夫ですよ』『あなたちの方が私より余程凍えそうですよ』という彼女の厚意に甘えて、そのまま借りることにした)。
時折リヴァイのことを確認するように、眠い目をこじ開けては彼を見上げてくる仔猫に目を細める。
じわりとあたたかいものが込み上げる胸のうちに、なまえの言葉が浮かぶ。
―私ならこの子に、『こういう命であってほしい』『こういう一生を歩んでほしい』という願いを込めた名をつけます
願い。
リヴァイが彼の白い仔猫へと望むもの――。
それは――。
そう思考を巡らせていると、ふっと彼の内に浮かぶ“響き”がある。
何度か頭の中で復唱し、仔猫に、そしてこれから何度も呼ぶことになるであろうリヴァイ自身の舌に馴染むものか確認する。
欠けていたものがカチリとはまるように。
あるべきものが、あるべき場所に帰るように。
それは不思議なほどしっくりと馴染んでいく。
(悪くない)
ようやく見つけた。
これでやっと名前を呼んでやれる。
なんとも言えぬ歓悦に胸が震え、吐息が漏れる。
仔猫を抱く腕に優しく力を込め、呼んでみる。
願いを込めて―
命を吹き込む。
お前に贈ろう―
さいわいの名を。
リヴァイの口から零れた響きに白い仔猫がぱっと反応する。
「ニャア」
自分が呼ばれたことを理解しているかのように溌剌と返事をする仔猫。
小さな額に落ちた雪片を優しく指で拭ってやる。
今日という日に迎えた新たな始まりと出会いに不思議な縁を感じつつ、リヴァイは仲間達の待つ自宅へと歩調を速めた――。
* * *
『いつか猫の恩返しがあるかもね』
ハンジは、ころころと転がるように玩具を追い掛けて駆け回る仔猫を見つめながら言う。
『迷信だろ。…見ろ、ソファやカーテンが日増しにボロボロにされていくんだぞ。加えて服は毛まみれ。ベッドで寝ていれば俺の顔の上に乗ってきて眠り、こっちは毎朝窒息する思いで目が覚める。これのどこが―』
多弁に反論する俺に、
『あはは、だからいつかだって』
と、無造作に束ねた茶色の髪を揺らしながら彼女は笑う。
『リヴァイの献身っぷりは立派なものだよ。瀕死のところを救ったんだ。リヴァイはよくやってるよ、きっとこの子はわかってる』
――猫は受けた恩を忘れない、執念深い動物だからね――…
* * *
(――懐かしい夢をみた気がする)
薄らと眠りから浮上する意識の中で、リヴァイはそこはかとない郷愁を抱いている。
すっと目を開けば、薄闇の中でもはっきりとわかる白い毛玉が目に入る。
つい先程まで夢の中で見ていたものより大分大きくなったそれは、丸まって穏やかな寝息を立てている。
青と黄金の両の眼をその目蓋の下に秘めて――。
そして、その向こうにはこちらに背を向けて眠る者の姿がある。
リヴァイを惹きつける、意志に満ちた瞳を今は伏せて――。
視認はできないが、恐らく布団の足元には黒い毛玉もひとつ潜り込んでいるはずだ。
(こいつら、ベッドには入るなと何度言っても聞きやしねぇ)
心中でぼやきながら、夢の余韻に身を浸す。
あれからどれくらいの年月が過ぎたか。
名を呼ぶ喜び、名を呼ばれる充溢感。
そういったものが増えたように思う。
(――これがお前の恩返しの結果か?)
得難いものを手に入れたという実感がじわりと胸の奥を温め、白い毛玉には顔を、黒い毛玉には足の甲を擦り寄せ―、そして最愛の人にはその腰に腕を回す。
得も言われぬぬくもりに促され、再び目を閉じる。
(今日はまた、ケーキだ、プレゼントだと一日ばたばたするんだろう。だから今少し―)
あたたかで満ち足りた心地に身を委ね、
再び眠りに落ちる前の最後の思考の中に浮かぶひとつの記憶――。
いつか聞いた白猫にまつわる迷信。
『白猫は幸福の運び屋』
あれは――、信じてみてもいいかもしれないとリヴァイは思うのであった。
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