∴ふたりの傷口



「裕くん、あたらしいひとができたよ」

 それはいつもと同じサインだった。お決まりの深夜の公園でふたり、今日はベンチに座っていた。右がわたし、左が裕くん。白線の世界ではないけれど、それでもなんとなくそうだった。だんだん暖かくなってくると深夜に外に繰り出す人も多くなってくるから、ここで待ち合わせするのもそろそろ考えなくちゃいけない。変態は嫌い。
 裕くんは、ふうんとだけ言った。わたしの今日の朝ごはん、ジャムがいちじくだったの、なんて言ってもたぶん同じ返事がかえってくる。わたしへの関心が低いんじゃなくてわたしへの関心がいつも一定なのが裕くんだった。

「あたらしいひと、同級生なの」
「へえ、めずらしいじゃん」
「きっと、裕くんも気に入るとおもう。安永くんっていうの。安永時雨くん」
「名前なんか教えてどうすんの」
「どうもしないでしょう、裕くんは」

 まあ、うん。裕くんはいっそ従順に肯定した。無関心というよりは、ほかの何事もわたしたちの関係にひびをいれることができないというのがきっと真相なのだった。いれてくれないのかも、しれなかったけど。



 時雨くんのことを気に入ってる女の子は多いんだろうな、と思っていたけれど、時雨くんの彼女になってみるとそれを見誤っていたことに気づいてしまった。気に入ってるどころの話ではなかった。時雨くんに恋をしている、と自覚している女の子の多いこと、多いこと。

「それ言うたら麦乃もなんやけどなあ」
「うそついちゃダメだよ時雨くん。わたし良い評判ないもの。不純異性交遊常習犯」

 放課後、迎えに来てくれた時雨くんが苦笑する。嘘をつけない人。
 評判の悪いそういう女子に気をもつ男子が一定数いるのは知ってる。でもそれは魂胆のわかりやすい悲しい好かれ方だった。尾鰭のついた悪徳な噂に違う、ちがう、そうじゃないって否定に走り回りたい気持ちはあるけれど、そんな時間があるならわたしは自分の一番やわらかいところを守ってあげたい。そんな主義を掲げていたら取り返しがつかなくなっていたことは、すこしだけ後悔している。

「今日も図書館行く?」
「あー、うん。いつもごめんな」
「好きで着いてってるのこっちだもん。あと時雨くんずっと集中してるから見てるの楽しい」
「ほんまに麦乃ってちょっと変わってる」
「時雨くんって褒めるの下手ね」

 わたしたちの足取りはいつも軽い。一応お互いに手綱を持ってるものの、本当は持ってもらってる、というのが正しくて、手綱への握力だって所詮はポーズだから結局は重力でひっかかってる程度で。それでもなんとなく、これが主体的でないから続けてしまう。既視感がたまに目を眩ませるけれど、この救いに抗えるほどはわたしは生き方が上手じゃない。

 図書館に着くと時雨くんは他には目もくれずすぐに勉強を始めた。「すごいよね、いつも」。言えば、時雨くんはちょっとだけ口の端を動かして笑って、習慣だと言い訳のように言った。その間にもシャープペンシルは罫線の間をすべる。何行も何行も、何を書いてるんだろう。
 時雨くんは、正直、頭の出来がちがう。彼は教科書を読めば何だってだいたいわかると他意なく言い放つ(から、たぶん時雨くんの教科書は透かせば答えが出てくる特別装丁とかそんなものなのだと思うようにしている)。そんな高尚な時雨くんもわたしと似たような目に遭っていると思うときに、ふっと肺から出てくる使い古しの二酸化炭素の色がひどくきたないので、そんなときはやっぱり裕くんのことを思い出す。きっとまた彼に寂しい目で罵らせてしまうんだろうなぁ、わたしたちは。



「ねえ。やっぱり、思い出はきれい?」
「・・・まあ、うん」
「そっか」
「固執するのは変やと思う?」
「変だと思ってほしいの?」

 自販機で冷たいお茶を奢ってくれた時雨くんはポケットの中に小銭をしまって、それからうんうん唸った。ちょっと芝居がかったそれのあとに「変とか変じゃないとかとちがって、結局は思い出に固執してるってことを他人に知っててほしいんやと思う」と彼のルーツのことばで話す。そう、それも固執のかたちなの? 目で訴えれば時雨くんはへたくそに笑った。あぁこれはたぶん初めてつくる顔じゃない。過去を置いてはいけないと後ろを振り向いて歩くのは、そんなに悪いことじゃないと思うんだけどな。
 と、言ったところで、きっと時雨くんの考えは変わらないのだろう。助言を素直にきける性分ならこんな苦労なんてしなかった。冷たいお茶はすこし季節がはやい。手が冷える。そのことには時雨くんだってきっと気づいてる。けど。わたしたちの手元には存外選択肢がない。

「わたしね、あたらしい裕くんが欲しい」

 傾けたペットボトル越しに見えたのは同情だった。時雨くんの茶色い目がすべてを察している。わたしは、傷ついてばかりの裕くんに背負われることに飽き飽きしていた。すこし苛立ってもいる。時雨くんは、思い出に置き去りにしてきた誰かの残像越しに見える世界が恐ろしくて、すきなのだった。それならば、それならば、それならば。

 お互い残念な人間だ、と、時雨くんが言うので、わたしは彼が覚悟を決めたのを知った。ひとりでいきるのはしんどいし、こんな生き方が正しいだなんてちらとも思っていない。だから、偶然の産物がこぼれ落ちてくるまで待ちませんか。手を繋いだときに共犯者ができた気がして胸がすいた。結局は自分が一番かわいい。自分の幸福の土台のうえに他人の幸福を考えなくちゃ、わたしがしんでしまう。やさしい裕くんの顔が思い出せない。




170507
title : 金星
















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