∴或いはピーエムスリー



 呼び鈴が鳴った。はーい。そんなに長くない廊下を歩いて玄関に出る。宅配便でーす。扉を開けたら知ってる顔があった。宅配便のおにーさん、というよりは、俺にとっては高多光の兄。

「よお、桐渕。久しぶり」
「どうもっす。えーと、なんかありましたっけ」
「懸賞品らしいけど」
「あー、加湿器だ」
「加湿器?」
「ナンバープレートの景品。思ったより届くの早かったかな」
「お前ナンプレなんてすんの」
「手慰みにですけどねー」

 滋さんと世間話をしながら、求められたところに署名をする。解いたついでになんとなく選んだ加湿器が当たるとは。倫子ちゃん喜ぶかなあ。署名を確認した滋さんは小さく頷いて、俺にダンボールを引き渡す。さりげなくお高いメーカーのものだし。ラッキー。
 「光、元気にしてます? 夏には会ったんですけど」「たぶん元気にしてんじゃねーの」「あんまし滋さんも知らないかんじですか」「アイツ、しぶといから」。滋さんは外していたらしい手袋をはめ直して、冬には似合わない爽やかな笑顔を浮かべる。昔から、さっぱりしていて気持ちのいい人だった。

「そんじゃあ、お客さん来てるみたいだしそろそろ行くわ。毎度」
「がんばってくださーい」

 身軽に去っていく滋さんを見送る。それから、俺は改めて自分の家の玄関を眺める。俺のわりと大きい靴と、それから、その対比でひどく小さく見える倫子ちゃんの22.5cmの茶色いローファー。
 滋さんてば、優しいからなあ。

「何だった?」
「加湿器だった。ほら、ナンプレの」

 ナンプレと聞いて、ビーズの丸いクッションを弄んでいた倫子ちゃんは一気に顔をしかめた。それもそのはず、倫子ちゃんはそういう類いが苦手なのだ。できないわけでは、ないんだけれど。ほら、俺の方がどうしても慣れているから。まともな懸賞品のかかってる問題は倫子ちゃんには難しくて、それをぐうたらと、でも解いちゃう俺がちょっと、あれらしい。

 段ボールを開けて、箱を取り出すと倫子ちゃんも興味を持ったようで猫のように手のひらと膝で姿勢をとって近づいてくる。わりと小ぶり、だけれど。給水用の乳白色のタンクを取り出すと、倫子ちゃんはなにも言わずにそれを持ってキッチンのシンクの方に行ってしまった。ココマデ、のくぼんだ線より少し多めに。コンセントをさして、倫子ちゃんがたぷたぷに入れてきてくれたタンクをセットする。電源をつける。加湿器はすぐにブウンという耳障りの悪くない音を立てて、すこしの熱をもって動き出した。倫子ちゃんは、加湿器のちょっととっつきにくい無機質な四角のアウトラインをその引力の強い瞳でずっと眺めている。

「・・・なあに、キリちゃん」
「んー? 倫子ちゃん、気に入ってくれたのかなあって。加湿器」
「・・・わりと?」

 首をかしげた倫子ちゃんは可愛い。

「ほんと、光源氏の紫の上みたいに、俺が俺好みに育てたんじゃなかったかなってくらい、たまんない」
「なに、それ。そんなふうに思ってるの」
「うーん。結構本気かも」
「でも、光源氏と紫の上って、なんだかいや」
「あれ。倫子ちゃんはちゃんと知ってるんだ?」
「紫の上の最期とか、ね」

 浅き夢は見ない派なんだ? 訊ねると、倫子ちゃんは「うん、まあ」という曖昧な返事をした。俺は微笑む。出家かあ。今生最後のお願いでも、させたくないなあ。来世でも会いたいもんなあ。思いはするものの、無責任な発言は、倫子ちゃんにはしたくないので黙ったままでいる。俺はいつだって、倫子ちゃんには誠実でいたいと思っている。

「ねえ、キリちゃんって少女趣味?」
「・・・なんでさ」
「気になって」
「心外だなあ。俺、ただの倫子ちゃんフリークなのに」
「『倫子ちゃんフリーク』!」

 楽しそうに反芻して倫子ちゃんはけらけら笑った。「フリークって、マニアより重症なかんじがする」。でもマニアってちょっと違う気がするんだよね。「・・・そうなの?」。うん。でも英語圏で言ったら即、変な目で見られるかもなあ。それはいやだなあ。倫子ちゃん巻き添えにすんの。
 倫子ちゃんをひょいと抱き上げて、胡坐の上にのせた。倫子ちゃんはおとなしい。この態勢に関わらず、いつも。倫子ちゃんは白いセーターを着ている。サイズのいくらか大きい学校指定のやつ。ブラウスは一番上までしっかりボタンをとめている。着てきたブレザーとダッフルコートはしっかりハンガーに掛かっている。倫子ちゃんが今通っているのと、おんなじ高校に俺も3年間通ってたはずなんだけど、こんなにこの制服っていいもんだっけ。やっぱ倫子ちゃんのせいだろうなあ。

「・・・さっきの話なんだけど、」
「うん」
「もしかして俺、倫子ちゃんをちょっと不安にさせてる?」
「・・・もしかしたら、ちょっと、そうかも」

 腕の中の倫子ちゃんがちょっと俯く。嬉しいけど、申し訳ないけど、嬉しいなあ。いや、やっぱり申し訳ないなあ。どっちなんだろう。でも俺、倫子ちゃんを象徴化してるわけじゃないし。倫子ちゃんがたまたま高校2年生だっただけだしなあ。もしも俺が出会った倫子ちゃんが同級生でも、いくつ年上でも、小学生でも、それが倫子ちゃんだったらたぶん今と同じだろうし。そりゃあ、接し方とかは変わったかもしれないけどさ。

「・・・キリちゃん。小学生はさすがに、だめ」
「うんー。俺も実はそう思ってた。小学生だったらやばかったなー。それこそ光源氏と紫の上どころじゃなかったかも。十云歳差がおかしくない年齢になるまで倫子ちゃんに接触できずに見守ってるだけとか、あー、想像したくない」

 絶望と大差ないんじゃないかな。倫子ちゃんは肩を竦めて笑っている。でもたぶん、まだだめなんだろうなあ。お互いがお互い恋愛感情ではないから、余計なものがひっつきやすくて困る。

「キリちゃん、ピアノ、弾いて」
「いいよー。なにがいいの?」
「サティ」
「それじゃあJe te veuxでも。覚えてなくてぼろぼろだったらごめんよ」



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