∴しっとの美学



 嫉妬する人間には嫉妬する人間の流儀なり美学なりがあるはずだと豪語する暎は嫉妬させたがりだった。あたしはその、暎の被・嫉妬欲を充分に満たせているとは到底考えられない。決して言えない。だって、そんな一連の行為と感情なんて、非生産的現象の極みだとは思いませんか、あなた。


「倫子」

 暎に名前を呼ばれるときはたいてい相場が決まっている。用事があるとき。遠くにいるとき。暎が、あたしに暎のことを見てほしいとき。眠たさに伏せていた顔を上げる。暎の目があたしを見る。今日も暎は絶好調だった。肩に提げられたエナメルバッグが、紺のブレザーと触れるその部分をくしゃりとさせている。エナメルバッグは、暎の部活のマネージャーの子が暎に贈ったものだった。肌をすべる予感にあたしは暎のうしろに冷たく横長い窓を見る。四角い世界から秋が逃げようとしていた。

「今日は先帰ってろって言ったけど、」
「うん」

 言葉の途中で従順に返事をしたあたしに暎はご満悦だった。あたしと暎の会話は終わった。「だから、悪いけど」。暎は教室の出入り口を振り向く。言葉の足りないことに不満足な彼女に、暎は小さい子に言い含めるように声帯を鳴らした。「ごめんよ」。
 あたしと暎と彼女しかいない教室で、景気よく音を立てて席を立つ。彼女は、たぶん1年生の子だった。お化粧の上手な、アッシュがかったブラウンの、平均的な身長の―。視界から消えた瞬間に観察をやめる。安っぽい感情が湧いたわけではなかった。断じて。ただ、身の回りの人間が刺されてしまうことがなければいいけれど、と暎の背中を見つめている。


 帰り道の途中でファミリーレストランに寄った。右側に2階らしく地上の景色の見える窓際の席。左の方には、あたしたちが座ったような2人用の無人のテーブルを挟んで、大学生の男が座っていた。暎が何かを言葉を待っているのを無理解の底に沈める。万客を受け入れるテーブルはそのフォルムからして持っているものがちがっていた。伸ばした手が届く前に暎がメニュー表を手に取る。球技をながくしているおとこの手。ちらりと追いかけて見れば暎は様子を窺うように笑っている。

「バニラのアイス?」
「ティラミス?」
「そう」
「そういうこと」

 注文を終えてから、彼は飽きないなあと言った。もう冬だよ、とも。ほんのすこしの牽制と非難の色。
 暎があたしに何を求めているのか分からない。というよりは、なぜあたしに求めようとしているのか、分からない。ううん、たぶんどっちも同じくらい分からない。あたしは暎に何も求めていないのに。テーブルに出されたバニラアイスを、ミントの葉をよけて食べる。このファミリーレストランのアイススプーンは、平たくて先がつまんだようになっている。

 「ケータイ、見せて」。暎の申し出に、あたしはそのままスマートフォンを差し出す。彼の装った冷静に嘆息しながら、彼の手に渡ったものの行く末を見守る。画面ロックのパスワードを暎が覚えきってしまうほどにはわりとよくあることだった。でも所詮あたしのそれはプライヴァシーの結集体でもなんでもない。もしなにかのトラブルで他人に回収されたとして、分かるのはあたしの使用語彙くらいに違いなかった。
 それでも暎はあたしのケータイの深く深くに潜るのをやめない。バニラアイスを食べ終えたあたしが暎のティラミスを奪って食べても気にした風はなく、ただ視線の先と指先とであたしの分身(と少なくとも暎は思っている)と向き合っている。どこまでも間違っている、とあたしは思っているけれど、白黒丁半を押し付けることは嫌だった。暎は、世の中のすべては秩序があると信じている。求めれば相応の応えがあると。苦味を転がす舌が竦むのに顔をしかめたら、大学生の男と目が合った。彼は肩を竦めて、口の端できゅっと笑う。よく知る人。



「ケータイ見るのって重くない?」
「正直ね。でも、見られて困るものもないし・・・」
「そう言ってまた、倫子ちゃんは。瑛也君も、なあ。高嶺の花がそんなに好きか」
「かわいそうなアレクセイエフ?」
「みじめなニジンスキー」



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