被害者多数


目の前にあるテーブル。
その上には1枚の紙が静かに佇んでいた。

書かれていた言葉は一言。

「実家に帰らせて頂きます」

――カインの思考が停止した。



「カイン。大丈夫か」

テーブルに突っ伏して動かないカインの頭をツンツンとセシルはつつく。
が、何も反応はなかった。
重症だな、とセシルは心の中で呟き、カインが握っているしわくちゃの紙をひょい、と奪って広げた。

「なになに…実家に帰らせて頂きます、か」

どうやらカインが部屋から出てこなくなった原因はこれらしい。

ふむ、とセシルは冷静に分析をする。
この字はカインの恋人であるシオンが書いたのに間違えはない。彼女らしい、しっかりとした字だからだ。
次に言葉の意味を分析する。「実家に帰らせて頂きます」と書かれている紙。これに含まれている意味は果たして。

「…セシル」

今までセシルが話しかけても反応を示さなかったカインがセシルに話しかけた。

「なんだ?」

「…俺は嫌われてしまったのだろうか」

「そ、そんなことはないだろう…たぶん」

嘘をつけない男――それがセシルだ。
彼は前に1度、シオンの愚痴を聞かされたことがある。

「カインってば、帰ってきても寝てばかりなの」

そう不服そうにシオンが洩らしたことを覚えていたセシルはきっぱりと言うことが出来なかったのである。それを見破ったカインは沈んだ声音で呟いた。

「やはりそうか…俺は嫌われてしまったのだな…」

「カ、カイン。確かに、この紙にはこう書かれているが、もしかしたら実家の方で何かあったのかもしれぬだろう?」

セシルはそうだ、と自分を鼓舞する。
カインの鬱なペースにのせられてはいけない。今、自分の肩には「赤き翼」の面々の願いを一身に背負っているのだ。彼らのためにも負けるわけにはいかない。

セシルの言葉にカインはゆっくりと頭を上げた。
その視線は外に向けられていた。

「フッ…どうだろうな…今、思い返すと俺はアイツに何もしていなかった。帰ってきても寝てばかりだったからな」

「カイン…」

後ろにある、開いたドアの外から「隊長ぉぉ!そんなことはないです!」や「正気に戻ってください!」などいろいろと聞こえてきたが今のカインには聞こえていないだろう。

「そんな俺は見捨てられて当然だ…」

そう自虐的に呟くと再びテーブルに突っ伏してしまった。

重症だ、と再びセシルは呟き、今のカインの姿に驚きを隠せなかった。
愛というものは人を変えるものなのかと感じざるをえなかった。

――と。
外の方で女性の声がした。

「あら、赤き翼の皆さん。どうしたの?」

その声にセシルは「えっ?」と思わず後ろを振り返った。

手提げ鞄を持って目をぱちぱちと瞬かせている女性――シオンが立っていた。

「セシル?どうしたの…って、カイン!?」

テーブルに突っ伏しているカインを見るや、シオンは慌てた様子でパタパタと駆け寄ってきた。

「カイン、どうしたのっ?」

「…その声…シオンか…?フッ…まさか幻聴まで聞こえてくるとは」

「幻聴…?何を言ってるのっ。私はここにいるよ!」

カインの肩を必死に揺さぶるシオンにセシルは何も言わずに彼女の書いたと思われる紙を見せた。

最初はきょとんとしていたシオンだったが、次第に事態が理解出来たらしく、ぷっ、と小さく吹き出した。

「そういうことだったのね」

「君がいない間、大変だったんだぞ」

「ごめんなさい。私の書き方が悪かったのね。――カイン、顔を上げて」

シオンの言葉にゆるゆるとカインは顔を上げた。そして優しく微笑んでいるシオンを見て叫んだ。

「シオン!?」

「ごめんなさい、カイン。別に貴方が嫌いになって出ていった訳じゃないの」

「ほ、本当か…?」

「本当よ。この間、お母さんから今年は野菜が豊作だから取りに来て、って手紙がきたの。それを取りに行っていただけ」

ほら、とシオンは腕にかけていた鞄の中を見せながら言った。

「あまりに量が多かったから大半を厨房にお裾分けしてきたけどね。今夜はシチューにしよっか」

にこにこと微笑みながら言うシオンにセシルはほっと息をついた。
場外でも嬉しそうな声が聞こえている。

「シオン…俺は」

すまなそうにカインがシオンから目を逸らした。

「俺は、お前を」

「いいって。私の書き方も悪かったもの。――でも、そんなに信用がなかったのかしら」

わざとらしく、拗ねたような表情をしたシオンにカインは何度も詫びる。
そんな光景を見てセシルは本当によかった、と部屋を後にしたのであった。








(聞いて、セシル)(どうした?)(あの日以来、カインが一緒に出かけよう、って誘ってくるようになったの)(…だろうな)









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