嬉しくなってしまった(兵+土井先生)
「久々知先輩!」
廊下で声をかけられ振り向くと、左近が小走りでやって来た。
「今日三郎次が熱出して…委員会休みです。申し訳ないって言ってました」
「…大丈夫なのか?」
「夏風邪だと思います。そんなに酷くはないかと」
「そうか、良かった。後で見舞いに行くから、ゆっくり休めって伝えてもらえるかな」
「はい!」
元気よく返事を残して去っていく左近を見送り、ふむ、と息をつく。
「……仕方ないか」
***
「兵助っ」
「土井先生」
兵助が火薬の在庫確認をしていると、煙硝蔵の入り口から半助が少し慌てたように早足でやって来た。
今日は伊助は実技の補習だと半泣きで謝ってきたし、四年生は野外演習で三日ほど学園を空けている。
半助が来てくれるだろうとは予想していた。
半助は薄暗い煙硝蔵の中に兵助の姿を認めると、周囲を見回して首を捻る。
「一人か?三郎次は?」
「夏風邪だそうです。今日は休むと」
すると半助は、あー…と頭を掻いた。
「そうか…すまなかったな。もう少し早く来れれば良かったんだが」
「いえ、そんな。もうすぐ終わりますし…」
その答えに半助は目を丸くして在庫表を覗き込んだ。
確かに印がついていない欄はあと僅かだ。
「流石だな、兵助。仕事が早い」
「やめてくださいよ。今日は指導する相手もいませんから」
普段は伊助や、編入生のタカ丸に作業を教えながら在庫確認を行う。
人手があると助かるのは助かるのだが、やはり半人前であれば、むしろ兵助一人の方がよっぽど早く終わるのだ。
指導も委員会の大事な仕事だし、後輩に教えるのは嫌いではないから別にいいのだけれど
「…よし、終わり」
残りの在庫を確認して在庫表に印をつけ終わると、兵助はそれを半助に手渡した。
普段なら職員室まで持って行くのだが、半助が来てくれた時はその場で渡すのが常だ。
うん、と頷いて受け取った半助と煙硝蔵の外に出れば、夕暮れとはいえ蒸し暑さと赤い日射しが二人を襲う。
「あっつ…」
思わず顔をしかめて手で扇ぐと、半助が笑いながら鍵をかけた。
「じゃぁ俺はこれで…」
「ちょっと待ちなさい」
一礼して立ち去ろうとすると、半助に呼び止められた。
何かやり残したことがあっただろうか?
怪訝な顔で振り返る。
「兵助、時間あるか?」
「…えぇ、まぁ」
三郎次の見舞いに行こうと思っていたが、半助の話を聞くくらいの時間はあるだろう。
「おいで」
微笑んで背を向ける半助に、頭に疑問符を浮かべながらつい行く。
***
職員室に入ると、部屋には丁度誰もいなかった。
「座りなさい」
優しく言って奥に引っ込む半助の背を見ながら、なんとなく緊張しつつ座りこむ。
しばらくして戻ってきた半助が持ってきたものは…
「…スイカ?」
半助がニコニコと笑って言った。
「市場で買ってきたんだよ。まだ余ってたから…食べなさい」
「え、でも」
恐縮して遠慮しようとする兵助の頭に手を伸ばして、半助がその頭を撫でた。
「兵助はいつも頑張ってくれてるから。お前がしっかりしてるから、つい私も甘えて任せてしまうんだなぁ…」
駄目な顧問だな、と自嘲する。
「そんな、」
駄目な顧問だなんて、思ったことはない。
もっと稀にしか委員会に来ない先生はいるし、まだ若いのに担任を持って、周りに気を使う事も多いだろう。
胃炎を患いながらも、忙しい中、数回に一回くらいは委員会にも顔を出してくれる。
今日だって本当は忙しかっただろうに、何とか手伝おうと来てくれた。
そんな半助に感謝はすれど、駄目な顧問だなんて
言いたいことが言えずに頭の中をぐるぐるしていると、半助がスイカの皿を差し出してきた。
「これは私からの礼だ。いつもありがとう、兵助」
「………………」
半助を見、スイカを見、兵助はゆっくりとそれを口に運んだ。
よく冷えたスイカは兵助の喉を潤し、程良い甘味が美味しかった。
「美味しいです」
「そうか」
満足そうに笑った半助を、兵助はチラリと見やる。
「…私は、先生には感謝しています」
「え」
「土井先生が火薬委員会の顧問で、本当に良かった」
そう告げると、半助は照れたように笑って、ありがとうと応えた。
その笑みは酷く幼く見えて、半助が自分と十ほどしか違わないのだなぁなどとぼんやり考える。
「先生、お時間があれば一緒に三郎次の見舞いに行きませんか」
すると半助はにっこり笑った。
「そうだな。行くか」
2012.7.31