小説 | ナノ




「本当はね、マルコが死んだ理由を私はアルミンが気づくよりずっと前から知ってたんだ。」

突然家を訪ねてきたナマエは「散歩に行こう」とライナーを無理やり外に引っ張り出して、出し抜けにそう切り出した。あまりにも唐突な告白にライナーは頭部を鋼鉄で殴られるような衝撃を受けた。は?と素っ頓狂な声が出る。数メートル前に居るナマエはパイプ手すりの上を器用にバランスを保ちながら夕日に向かって歩いている。落下防止の手摺だ。勿論下には広大な海が広がっている。危ないから降りろと何度か声を掛けたが聞かないので放っておいたら突然のコレだ。
「…知ってたって?」
「マルコの立体起動装置をアニとライナーが奪うのを見てた。」
後ろからで表情は伺えないが、飄々とした声の調子だった。あまりにも淡白に突き付けられる過去の罪咎に、ライナーは切り返し方がわからなくなる。言葉に詰まったまま背中を見詰めていると、足を縺れさせたナマエがふらりとよろけて通路側の地面に落ちた。トンと軽やかな着地。
辺り一面を照らす真っ赤な夕焼けを背景に、振り返った小さなシルエットは薄暗く陰っている。
「だから危ないって言っただろ…。」
「平気なのに。ライナーはお母さんみたいだね。」
可笑しそうに笑うナマエはライナーが隣に追い付くのを待って、ゆっくりとまた歩き出した。昔から変なところで笑ったりするやつだったが、今日に置いては輪を掛けて掴み所がない。赤くなった水面を指差して綺麗だねえなんて暢気なことを言っているのを見ていると、ライナーの思考はどんどん馬鹿になっていく。
「…見てたなら何で黙ってたんだ?」
緩んだ空気に流されまいと、先程の会話を強引に引き戻した。
「証拠なんてなかったし、真実を突き止めたわけでもなかったから調査兵団に入ってからもライナーとベルトルトのことずっと見てた。」
つまり会話までは聞かれていなかったらしい。…だとしても仲間の殺害をトロスト区の生存者に見られていたなんて大失態だ。それをこんな後になって知らされるなんて思ってもみなかった。
ナマエから与えられた言葉一つ一つを咀嚼する途中、ライナーは大きな見落としをしていることに気がついた。
「アニが捕まった時に俺達のことを告発しなかったのは…、どうしてだ…?」
「それも考えたけど、ベルトルトとライナーは折を見て私が殺そうと思ってた。」
息を吐くような顔つきで物騒なことを言う。仲間との馴れ合いのなか油断しきった二人を相手に、ナマエならきっと簡単にそれが出来てしまっただろう。寧ろ、そうならなかったことが不思議なくらいだ。訓練兵卒業を間際にグンと成績を急降下させたナマエだったが、その実力は主席のミカサに次ぐ勢いがあった。機動力と判断力だけならきっとミカサにも負けていなかったはずだ。それだけにライナーは違和感を覚えた。
「殺す隙ならいくらでもあっただろ…?」
「簡単に言う。大切な友達をそう簡単に殺せるわけない。」
ナマエが意図したかはわからないが、棘のある言葉の応酬にライナーは胸がズキリと傷んだ。きっと、意図したんだろう。ナマエは温厚で柔和な人物であると言う周りからの評価に似合わず、昔からたびたび意地悪になる瞬間があった。しかし思い返してみれば、それは調査兵団に入ってから殊更自分に対してのみ向けられてきた感情だったのかもしれない。ライナーは頭が痛くなった。
「お前そんなに俺が憎かったのか…。」
呟けばナマエは「えっ?」と驚きの声をあげてライナーを見上げた。アニほどチビではないが、見下ろす角度は比べてみても大差がない。
「何の話…?」
「アニにマルコを殺させたこと、根に持ってるんだろ…?」
「ああ、そのこと。ライナーのことは嫌いだったけど、それが原因なのかは、よくわかんない。もしかしたら、そうだったのかもね。」
腹が立つほどのポーカーフェイスに、歯に衣着せぬ物言い。一体どこのどいつから学んできたのか。何でもない風に話してはいるが、考えてみれば、ナマエはいつだって…。
…ああ、そうか、コイツは。
「…アニに敵と見なされるのが怖かったのか?」
「わかる?」
「お前は昔からアニとアルミンのことだけは気に入ってたからな…。」
「そんなことまでわかるんだ。」
凄いね、と上っ調子の感嘆を示すとナマエは突然にライナーの手を引いた。手摺の鉄パイプに片方の手をついて、ヒョイと身軽に体を浮かせる。海に落ちる気かと焦ったが、宙に浮いた体は見事パイプの上にストンと尻から着地した。足を海側にほっぽりだしたナマエが、繋いだままの手を引いてくる。
「隣座ってよ。」
「そんなこと言ってお前、俺のこと突き落とす気だろ…。」
じっとりとした目で睨み付ければ、ナマエは目を見開いて驚いた。じゃあ座らなくてもいいよ、と言って手を離されると反って虚しさが際立つ。
ナマエは黙って赤い海を見詰めていた。背中は驚くほど無防備でトンと後ろから力を加えれば簡単に海の中に吸い込まれて行くんだろうなと、不覚にも想像してライナーは頭を抱えた。ずっと遠くに堤防が見える。ナマエならあそこまで泳ぎ着くことが出来るんだろうか。あの頃の自分なら、腕をへし折ってでも秘密を知ったナマエを海に沈めただろう。もがき苦しみ沈んでいく様子を目前に、取り乱す自分が脳裏に浮かぶ。今目の前にいるナマエを殺したら、アニは一体どんな顔をするんだろうか。あの時会話を聞いていたのがマルコじゃなくて、もしもナマエだったら…。
「ねえ、ライナー」
突然の声にライナーは意識を現実に引き戻した。おう…、と返すと背中は小さく縮こまって、ゆらゆらと前後に揺れた。
「他人を不平等に区別して扱うのは古くからの人間の習性だから、だから私はマルコを見殺しにしたし、みんなのことを裏切ったんだ。」
裏切ったと言うのは、最後まで沈黙を貫いたことを言っているんだろう。
人間の習性だなんだというが、何でも小難しく考えて塞ぎこむのは紛れもなくコイツの…、ナマエの習性に違いなかった。
「私は線引きしてるから、関わる人みんなに優先順位をつけてきた。」
「…自棄に感傷的だな。」
「だって、私はそれで良いと思って生きてきたのに。それなのに、アルミンはアニにも仲間にも、私にも、いつも真摯に向き合ってたから。」
話す声は海風に浚われそうなほど、頼りなかった。普段はまるで達観しきったような顔付きでのらりくらりと生きている癖に、一度落ちるとこのザマだ…。そもそもにしてコイツの行動評価基準は視野が狭すぎる。口を開けばアニがどうだ、アルミンはどうだと似たような名前ばかりをつらつらと並べる。もっと他に見てきたものがあるだろうと説き伏せてやりたい。だけど馬鹿なナマエの偏狭な視界にライナーは影すら落とすことが出来ないことをよく知っている。
考えれば考えるほど目の前の背中が憎らしい…。
気が付けば見下げる旋毛目掛けてゴンと拳を振り下ろしていた。ワッという声と共に小さな身体がふらついてバタバタと手足が宙を掻いた。落ちるなら落ちてしまえばいい、と思ったから手は貸さなかった。もしそうなったら、一緒に飛び込んで、岸まで目指してみても良いと思った。
しかしそうはならなかった。
身体の重心を上手く掴んだナマエは、そのまま弧を描くように足を折り畳みながら後方にクルリと回転した。相変わらずの身のこなしに思わず、ほぉ、と息が漏れる。
地面に着地したナマエは深くしゃがみこんで胸元の服を握りしめているようだった。息が荒い。
「おう、…無事か?」
ポンポンと頭を雑に叩くと、バッと顔が持ち上がる。
「…何で殴るの。」
「言葉で伝えるのが難しいと思ったから、殴った。」
「嘘でしょ…。」
「いや、ホントだ。落ちたら拾いに行こうとは思ってたから許せ。」
信じられない、とでも言いたげにナマエは何度も瞳を瞬いたが、ライナーは助けに行く手間が省けてしまったことを少し残念に思った。
「もう帰ろう。懺悔する相手なら俺より他に適任なやつがいるだろ。」
アイツが寝てる四年間だってずっとお前はそうしてきたんじゃないか。そう告げると、ナマエは間の抜けた顔を引き締めて静かに立ち上がった。来た道を引き返す後ろ姿をライナーは立ち止まり静かに見つめた。白いシャツに黄昏の色が透き通っている。
「なあ…」
「なに?」
振り返ったナマエは眩しそうに瞳を細め、持ち上げた手で照らす夕日を遮った。影になって顔がよく見えない。
「なんで俺に話したんだよ…。」
「ライナーを選んだのは、私の心が弱いからだよ。アニやアルミンに話して嫌われたくない。」
「おい、俺には良いのかよ…。」
ナマエはアハハと笑って顔を背けた。腑に落ちない。
「それにマルコには悪いけど、あの日のことをアニにはもう思い出して欲しくなかったから。」
きっとこっちが本心だろうなと思った。今さらナマエがどんな非人道的な過去の懺悔をしたって、きっとアイツは今ある関係を変えたりしない。

手で日差しを遮ったまま近付いてきたナマエは、ライナーの影にすっぽり入ってニコニコと笑った。
「?」
「物事には優先順位があるからね、昔からライナーは私のサンドバッグだ。」
「…………お前ホントに良い性格してるよな。アニにチクるぞ。」
「アニがライナーの言葉を真に受けるかな?」
可愛げもなく一蹴し、再び歩き出したナマエの背中をライナーは溜め息をついて追いかけた。
鳥が家路につくため羽音を立てている。

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