小説 | ナノ



木々の合間を縫って森の中を駆け抜けていたナマエは、一際大きな木の幹の上で急ブレーキをかけた。目標を発見したのだ。着地した木のすぐ下には、人の形を型どった大きな木の模型が佇んでいる。7メートル程だろうか。項の位置を確認すると、ナマエは息を呑み、足場を強く踏み込んだ。
あと少し。一際固い木で覆うように補強された項にナマエが切り掛かるまで、あと二メートルというところだった。黒く素早い影がナマエの視界を掠める。あっ、と声をあげた頃にはもう遅い。項の木は削がれ、地面にカランと木片の落ちる音がした。行き場を失ったナマエは慌てて軌道を修正し、模型の肩へと飛び移る。
軽やかな身のこなしで地面に着地した黒い影は上方に佇むナマエをチラリと見上げた。静かな瞳は何を語るわけでもなく、すぐに逸らされた。次の瞬間には近くの木の幹にトンと着地する音がして、あっという間にナマエはその場に一人取り残されてしまった。
小さな背中が見えなくなるのを呆気に取られて見送っていたが、ハッとして意識を立て直す。奪われてしまったものは仕方がない。次の獲物を探すべく、両手に握りしめた装置に指をかけ、ナマエは上空へと飛び上がった。


「私が狙ってたのに」
「は?」
恨みがましい声音で不満を放つと、ナマエは机に食事用のトレイを置いて、金髪の同期、アニの前に腰をおろした。突然の言い掛かりに驚いたのか、アニは反応が少し遅れる。しかし、言葉の意味を理解したらしいアニは呆れたような目付きでナマエを見やった。ナマエは視線に気が付かないふりをして、何食わぬ顔でパンを口に運ぶ。
「横取りされるあんたが悪い」
ふんと鼻を鳴らす音。アニは中断していた食事の手を再び動かし始めた。
ナマエはそれから何を話すでもなく静かに咀嚼と嚥下を繰り返し、周りの喧騒に視線を滑らせたり、目の前の同期を無遠慮に眺めたりした。
「ちょっと…」
怪訝そうな声が正面から投げ掛けられる。
「うん?」
ナマエは丁度アニから視線を逸らし、少し離れた席で勃発したエレンとジャンの諍いに観察の目を移したところだった。釣られてアニの視線もそちらへ移る。
喧嘩の発端はどうやらミカサが原因らしい。捲し立てるような二人の怒号が事の子細をつまびらかにしてくれる。ミカサの過保護をエレンが煙たがり、その様子をみていたジャンが食って掛かったのだ。いつもの光景である。
「毎度の事だけど、仲良いよね」
「…アレが?」
「うん、良いと思う。私は人とあんな喧嘩したことないし」
「…あ、そう」
周りが二人を羽交い締めに止める程の乱闘に、ナマエは生温く穏やかな眼差しを向ける。
笑みをこさえて正面に向き直ると、視線が注がれていることに気が付いて、瞬きをした。
「なに?」
「…別に。随分楽しそうな顔してるなと思っただけ」
「楽しいよ。活気があるのは良いことだし」
「ああいうのは活気とは言わないと思うけど」
「そうかな?でも楽しいよ」
「あ、そう…」
興味の無さそうな相槌をひとつ溢してアニは最後一欠片になったパンを口に運んだ。まだ半分も食事の進んでいなかったナマエは思い出したように慌ててパンを頬張る。あまりにも急ぎすぎたせいで喉に引っ掛かり、ウッと噎せ返りそうになったものの、なんとか堪えて水で胃へと流し込んだ。…が、数秒遅れて甲斐なく咳き込む。
席を立ち上がったアニが呆れた顔をしているのがぼんやりと見えた気がした。


食事と入浴を終え、大部屋の寝室に戻ると部屋の同期達はそそくさと就寝の準備を始めていた。ナマエも例に倣い、慌てて寝床のメイキングに取りかかる。一日の訓練で疲れきった体は清潔な香りのする純白の布団に今にも吸い寄せられてしまいそうだった。スーツを敷いて枕のカバーを変え終えると、ナマエはすぐさま突っ伏すようにその場に倒れ込んだ。枕の香りを肺いっぱいに溜め込むと、疲労を抱えた重い意識をまどろみが緩やかに誘った。

「髪、塗れてる」

淡白な声音にゆっくりと顔を上げると同期のミカサが、覗き込むような眼差しでナマエを見つめていた。ミカサは長い睫に縁取られた目を穏やかに瞬き、傍に落ちていたタオルをナマエの頭に被せた。ナマエが先程布団の端に放り投げた生乾きのタオルだ。
「拭いて寝た方がいい」
寝床を整えている途中だったらしいミカサは、それだけ言うと作業を再開した。ナマエは暫く黙ってその様子を見詰めていた。
不思議な感じだった。東洋人の血筋を引くミカサの髪は艶のある黒色をしていて、澄んだ瞳は夜空のように静かな輝きがあった。ナマエは肩に落ちる濡れた自分の髪に視線を落とす。見慣れた筈のダークブラウンは水気を帯びているせいか、いつもより暗く映った。
ナマエもまたミカサと同じ、東洋の血を引く一族の末裔だった。長袖で隠れた包帯の更に下。その右腕には、遠い昔、母から授かった紋章が潜んでいる。純血の母親と混血の父親の間に生まれたナマエは、東洋の血を多く含んだクォーターだった。その事を同期の誰かに話したことはなかったが、ミカサを見ていると何だか懐かしい思い出が甦る感じがして、ナマエはそれが少し苦手でもあった。

「なに?」
声が掛かる。ミカサの視線は未だ下を向いているのに、盗み見がバレたナマエは驚いて肩を揺らした。澄んだ瞳がチラリとナマエに向けられる。
「ミカサに話しかけられるの珍しいから吃驚して」
「そう」
素っ気ない声は無味乾燥を決め込んでいる。
ゆっくりと髪を渇かし始めると、暫くして視線の剥がれる気配がした。

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