小説 | ナノ

「しのぶさん」
はっとすると、彼女が困惑した顔で私を見ていた。

「すみません。ボーッとしていました」
彼女の怪我が治癒したので、包帯を取る手伝いをしていたんだった。本当は、これくらい自分でやると言われたんだけど、怪我人を野放しにしておくのも忍びないので首を挟んでいる。しかし当人には、しのぶさんもお忙しいでしょうに律儀で困りますね等と言って笑われた事に私はいくらか腹を立て、どうも釈然としないでいた。あなたの事だからどうせ面倒を見てくれるお友達も他にいないのでしょう、と肩を突いてやると難しそうな顔をして押し黙ってしまったので更に私は拍子抜けしてしまった。

彼女は包帯を解き終えるとニッコリと笑って礼を言った。
「他に調子の悪いところはありませんか?」
「問題ないです」
「そう、よかったですね」
後遺症が残っても不思議じゃない大怪我だったのに、彼女は喜びの一つも見せず、普段の涼しい顔を張り付けて笑っていた。まるで死を恐れぬ落ち着きようだと思う。以前任務を共にした際、平気で無茶をする彼女の事を「死にたがり」と批難した事があった。誰が手当をすると思ってるんですか、と浅黒く変色した鬱血痕を指の腹でグイグイと突きながら詰問してやったのを覚えている。その時は私の事を鬼だなんだと騒ぎ立てながら安い芝居を打っていたけれど、察するに彼女の本質はあの頃から少しも変わっていないようだった。
服の下に隠れた古傷を擦りながら彼女はぼんやりとどこか遠くを眺めている。きっと無意識だろう。横目でその様子を観察していると、ハっとした彼女と視線がかち合い、手の動きがピタリと止まる。ほら、やっぱり。
「命を粗末に扱うのはやめましょうね」
立ち上がり、ニッコリと微笑んで彼女を見下ろす。すると暫く呆気に取らてこちらを見上げていた彼女は、写し鏡の様に緩慢に頬を緩めて笑った。
「正論ですね。大事に大事に使っています」
…。私は彼女のこういう所が本当に嫌いだ。馬鹿なんじゃないかと思う。いつもいつも人の神経を逆撫でするような軽口ばかり叩いて。いかにも深刻そうな言葉の一つ一つを感情を乗せず淡々と語る彼女の目は、それこそ妙なほど明るく、まるで薄っぺらい。…虫唾が走る。気さくそうな素振りを見せるその鼻っ面を折ってやりたい。握る拳に爪が食い込む。目前の彼女は落ち着き払った態度で黙ってこちらの動きに視線を滑らせていた。
「そう言う言動が、人を苛つかせるんですよ」
そう言うと彼女は考える素振りを見せて、ゆっくり瞬きを繰り返した。
「気をつけます」
思ってない顔。本当に、人を煽る事ばかり達者なのだ彼女は。机に置かれた手は、丸めた包帯を強く握り締めている。
肩をすくめると彼女は、すいと目を上げこちらを見据えてきた。そういえば、じっくり彼女の瞳と対面したことなどなかったかもしれない。黙って見つめ返していると、彼女は何か話すのを逡巡するような素振りを見せた。チラリと視線をよそへ外す。数秒の沈黙の後、視線をこちらに戻すと彼女は決意したように口を開いた。
「こんなことを言うとしのぶさんは怒るかもしれせんが」
「そう思うなら黙っててください」
目を真ん丸に彼女は瞬きをして、確かにそりゃそうだと笑った。彼女の笑いは昔から楽しくて笑う、という感じではない。必要な時に必要な分だけ極自然に会話の中に織り交ぜ、ぎこちなさを取り繕うために笑っているのだと思う。操作しているような薄っぺらさがそう思わせるのかもしれない。
「命の使い所ってのを私はよく理解しているつもりです」
黙っていろと言ったそばから彼女は語り始める。先程までの笑顔はいつのまにやらその瞳のずっと奥深くに引っ込んでしまったようだった。真っ直ぐな眼差しが確と私を捉えている。…平生彼女が口遊んでいる皮肉とは様子がどうも違った。
「そういうの、しのぶさんにも分かるでしょう?」
「分かりません。馬鹿なんじゃないですか?」
「うん、しのぶさんとお揃いです」
「…何で私があなたと同じなんですか。馬鹿にしてます?」
「少しだけ」
「ぶん殴りますよ?」
「もう蹴ってます」
言うより先に足が出ていた。彼女の真っ黒な服の上に白い足跡がくっきりと残る。それを払い落とそうともせず彼女は楽しそうにふふふと笑った。話しているうちにどうやらいつの間にか普段の調子を取り戻していたようだった。いや、いつも以上に、…上機嫌らしかった。
「蹴られて何喜んでるんですか、変態なんですか」
「しのぶさんが今日もしのぶさんで私は喜んでるんですよ」
「いや、全くわからないです」
バッサリと言い捨てると彼女はまたしまらない顔で笑った。…。見当違いな解釈なのかもしれない。しかし、こちらを見つめる彼女の視線は優しく、深い慈愛に満ちているようだった。さも幸せだというように…。

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