小説 | ナノ

不意の段差に躓いたナマエは、任務の疲れからか派手にすっ転んだ挙げ句川に落ちた。慌ただしく水飛沫を散らし、穏やかだった水面に不規則な波が起こる。しのぶは呆気に取られて一部始終に体の動きを止めた。日頃から鈍臭い子だなとは思っていたが…、そうか、ここまでだったかと感嘆の息を吐きながらしのぶは未だ水中で暴れているナマエの救助に向かった。

「大丈夫ですか?」
上着と靴を脱いで助けに向かったしのぶはナマエを水面に引き上げ訊ねた。藁にも縋る思いのナマエはあろう事か上司さえも沈ません勢いで抱きついて、ゲホゲホと咳き込みながら呼吸の確保に専念していた。
「…走馬灯、走馬燈が…ッ」
血の気の引いた青白い顔で念仏のようにブツブツと独り言を呟くナマエの手を悠々と引きながらしのぶは岸を目指す。軽い身のこなしで陸地に上がると、結われた髪をほどき、崩れた身なりを手際よく整えていった。ナマエは未だ呆然と川の中で立ち尽くしている。
「いつまで冷水で半身浴してるんですか。風邪引きますよ」
放心する部下に呆れながらも屈んで手を差し伸べる。差し出された手を力強く握りこんだナマエは仰々しくベソをかき、大きく口を開いた。
「何ですぐに助けてくれなかったんですか!」
「いやあ…、溺れてる貴方が面白くて、つい」
ははは、と笑いながら掴まれた手をグイと引くと、ナマエは体のバランスを崩し、あろうことか再び水中に派手にダイブした…。慌てて繋がれていた手を離したしのぶの顔に水飛沫がふりかかる。…唖然。これには流石のしのぶも耐えきれず、勢いよく吹き出し、蹲って腹を抱えた。
「何でいきなり手を引いておいて引っ込めるんですか!」
「今のは不可抗力で…」
弁明しながらも笑いが止まらず、ついには目尻に涙を滲ませ、口を手で覆い始める始末。寒さに震えだした肩を抱きながらナマエは改めて人間関係を見直そうと心に決めた。
ようやく岸に上がってからも、しばらくしのぶは上機嫌にクスクスと笑っていた。普段の笑顔は嘘くさい癖に、こういう時だけ心から楽しそうに笑うんだから鬼よりもよっぽど鬼らしい。そんな事を思いながらもナマエはぎっくり腰を起こしたみたいにヨロヨロと力無く地面に腰を落とした。
ぐっしょり濡れた服が気持ち悪いと嘆くナマエを横目にしのぶはため息を漏らす。
「羽織を貸してみてください」
幼児の世話をする母親の様な顔つきでしのぶはてきぱきとナマエの羽織を脱がせていく。ナマエはされるがままに黙ってその横顔を眺めていた。
確かに二人して全身びしょ濡れの筈なのに、何故かしのぶの髪から水が滴っていてもみすぼらしさが感じられない。雨の日に捨てられた犬の面影をたたえながらナマエは不思議に首を傾げた。
「ほら、これを貸してあげますから立ってください」
差し出された羽織を反射的に受け取ったナマエはまじまじとそれを見詰める。…冷たくない。それがしのぶの着ていた羽織だと気が付くや否やナマエはニンマリと頬を緩めた。やっぱり持つべき者は優しい上司だ!、と心の中で万歳を上げながらナマエはそそくさと温かい羽織に袖を通した。
「しのぶさんのニオイがする!」
「まあ、それ私のですからね」
喜色満面に立ち上がるナマエを確認するとしのぶはゆっくりと前を歩き始めた。小脇にはぐっしょり濡れそぼったナマエの羽織りが抱えられている。ナマエは気にも止めず、追いかけるようにしてしのぶの隣に肩を並べた。上機嫌に鼻歌まで歌い出すナマエにしのぶは「元気ですねえ」と呆れながら濡れた羽織を落とさぬよう、しっかりと抱え直した。
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