小説 | ナノ

私が死ねば誰か喜ぶ人が居たとして悲しむ人が居るだろうかと考えることがよくあるんだ。
そう溢すとモスカートはミラー越しに、滑らかにハンドルを切ろうとするベルモットの目を見遣った。チラリとエメラルドの瞳がモスカートを流眄する。話を聞き流す様な素振りだったが、前方に視線を戻したベルモットは暫くして口を開いた。

「死んだら分かるわ」
「死んだらわからないよ」
「今考えることじゃないってことよ」

呑み込まざるを得ない至言にモスカートは黙ってミラーから窓の外へ視線を移した。鼻腔を掠める血の臭いが今もまだ身体中にこびりついている気がして酷く煩わしい。
下らない殺しに加担した夜はモスカートは上手く寝付けなくなる。答えの出ない自問が一晩中目まぐるしく頭の中を駆け巡るのだ。
背徳を好まずともモスカートは人を殺せる。しかし、然るべき道徳が弱小ながらも備わっているせいか終わりの見えぬ自問がモスカートを安眠から遠ざけ、無限のループへと誘うのだ。人を殺したところで動揺なく日々を暮らせる人間が組織には多く居たが、モスカートはそうじゃなかった。刺々しい背徳に頭がクラクラすることが多くある。
では、…ベルモットはどうだろうか。再び視線をミラーへと戻すと、澄んだエメラルドの瞳と目があった。

「何考えてるのモスカート」
「…何も考えてないよ」
「なら良いけど、貴女は溜め込みやすいから」

彼女の声は心地好くモスカートの鼓膜を擽り、胸の底へと落ちていく。ジンや他の奴等とは違う。モスカート程の心の葛藤は無いにしても、彼女には何処と無く人としての温かみがあるのだと、…根拠もなくそう思う。だからこそ自問を他へと、他でもないベルモットへと投げ掛けたのだ。ジンはもちろんのこと、キャンティやウォッカでは駄目なのだ。ジンなんかに話そうものなら、取り付く島もなく鼻で笑われるのは目に見えている。その点ベルモットの答酬は霧の晴れぬものだったが、それでもモスカートは満足だった。確かに心は先程よりも落ち着いていた。

「心の迷いは命をも危険に晒すわ」
「…考えを止めた時こそ人としての死だよ」
「それは尤もなことではあるけれど、」

何か言いたげなベルモットの瞳は左折と共に左へと逸らされた。モスカートはどうしてだかそのことにホッとして、いつの間にか少し乗り出していた体を背凭れに静かに沈めた。
処理し得ない心の蟠りをそう簡単に片付けることは出来ない。なにも煩悶を抱えているのはモスカートに限ったことではなく、それは世の常であり、人は考える葦なのだから。それに、自問はモスカートの精神を悉く追い詰めるものであったが、同時に生きていく上での救いでもあった。思考の停止は自己の喪失に他ならない。

「ベルモットは強いね」
「なぜ?」
「とても頼りになるし、優しさもある。それなのにぶれないから」
「優しさなんて語れる立場じゃないでしょう。私も貴女も」

クスリとベルモットは可笑しそうに笑った。自虐的響きを含んだ悲しい声調だ。彼女の言葉はいかにも正しく、後ろめたさに取り付かれたモスカートの良心を容赦なく苛めた。モスカートもベルモットも咎人でこそあれど、清廉潔白、善良な人間などでは決してないのだ。人殺しが、それも一人や二人では無く数えきれぬほどの人を殺めてきた殺人鬼が語る人情程烏滸がましく薄ら寒いものはない。相応しくない。
それに、自問の答えならきっと疾うに…、無意識のうちにモスカートは知り得、自答していた。組織には救えない人でなしが山程いる。それだのに組織に加担する人間のうち一体誰がその例に漏れ得るというのだろうか。少なくともそれはモスカートでもなければ隣でハンドルを切る彼女でもないだろう…

「でも、」
「?」
「それでも私はベルモットが死ぬと悲しいと思うよ」
「…」

モスカートはそっと胸に手を当てて細やかな鼓動を聴いた。心臓が収縮する音にありとあらゆる想いを噛み締めて耳をすます。
きっとこの脈動がいつか止まる時、迎える最期は碌な心地のするものじゃないのだろう。それはそう遠く無い未来やもしれぬ。
閃暗い思考に呑まれ、ゆっくりと瞼を閉じると隣から「モスカート」と呼ぶ声が聞こえた。嗚呼。目眩の中に溶け込む声音。

きっと彼女も同じ末路だ…
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