カストルの唄 | ナノ





「愛してるよ、俺のかわいいさん」





カウンターを占領し、その机をトントンと指で叩く男。恐らく男。
リズムをとるその人は仮面をつけているせいで顔は見えない上に、緩いフードつきの外套を羽織っているせいで細かな判断はつきそうにない。
ただ、指でとるリズムに合わせて流れてくる鼻歌の声に、ああ、多分男だな、と辛うじて分かる程度だ。
マルタはその奇妙ななりをする男の背を見つめ、奢りだと渡された果実水の入るジョッキを傾ける。
まだ、足に嵌められた枷は、外れそうにない。



葡萄酒が美味いと言われるアトマンに寄ったところで、キャラバン内でまた奇病が発生した。
とはいえ、そんなちょっとした事件も落ち着き、むしろ奇病の完治副作用として、逆に今度は有り余る元気を皆が持て余すことになっている。
どうせなら、と町を観光することになった。
市場とはまた別に系統の違う屋台が並び、キャラバンのちびっ子達は目をキラキラと輝かせている。
あ、いや。ビーズや布を売っている店先でリズが口を抑えて震えているし、喫煙組が煙草専門店へ興味深げに足を運んでいた。
みんながみんな、思い思いに楽しんでいる様子だ。
マルタも誘われるがままに、賑やかな町に紛れ込んでいった。

そして、迷子になった。
賑やかな町で、置いてけぼりをくらったように、ポツン、とマルタだけがそこに取り残されている。
周りを見れば、知らない人、知らない人、知らない人。うっすら遠くに禿頭が見えた気もするが、多分気のせいだろう。
先程まで一緒にいた先導師仲間も、豪快な料理を作るグラサンくんも、最近よくトランプ遊びをする彼らも、みんないない。
まごうことなき迷子である。
あれ?みんなどこ行ったん?と思った直後で察する。
――これ、オレが行方不明なっとるんやな。
先導師として不覚、とは思った。ん?いややっぱ思わない。だって別に天候を読んでたわけでないし、こうも人混みが厳しいと風とも碌に話せないし。
しかし、迷子になったというのは事実であるからして。
近く、広場にでも待機して置こうか、と目印になりそうな所を目指そうと、一歩。
そう、たったの一歩だ。彼が、踏み出したのは。
そのたったの一歩で、マルタは運悪く捕らえられてしまった。
ガチャ。「は?」
右足に冷たい感触。
なんで?と思うより前に、マルタの体が前のめりに倒れる。
まずい、と身構えた時には、マルタの顔面は砂埃をあげて地面と熱烈に接吻を交わした。

「いぃっっ…てええええぇ……!!」
「んぶッ?!!」

そして同じく、マルタと同じ態勢でずっこけた人が一名。
何が起こった!?と考えるより先に、「やっべしまった!」と焦った声が聞こえ、腕をグイと引かれる。
勿論片足の冷たい感触は変わらずそこにあるため、足がもつれそうになったが、そこに無理を通して、わけも分からぬまま、マルタは近くの酒場に連れ去られていくのだった。


時刻は昼である。


酒場に入った途端、大きめの樽の上にマルタは乗せられ、そうしてマルタを連れ去った人物はといえば、カウンターに直進しマスターに注文をしていた。
いや、そんなことよりも。

「マスター、果実水ひとつ…ああいや、やっぱ二つで!」

はいよ、とマスターが返事をする。
それに機嫌良く、目の前の人攫いは椅子の上でブラブラと足を揺らす。
人攫いの足が揺れると、ジャラジャラと鎖が揺れる。
鎖が揺れると、マルタの足にまで振動が伝わる。

「…………。」
「はい果実水。俺の奢り〜」

マルタの視線は、自分の足と、人攫いの足。
二つを繋ぐ、足枷と鎖に釘付けであった。

「? どうかしたか?」

どうかしたか、じゃない。
若い男の声にマルタは苛立ち、これはどういう状況だと物申そうと、顔を上げる。
口が、ぱっかりと開いた。

「まーぬけな顔〜。とりあえずこれ飲みな?あと、鼻血。俺、血見るの嫌だからこれで拭いてね」

そう言って渡される、果実水の入ったジョッキと、少しごわごわしたタオル。
マルタが呆然としているうちにそれらを渡し、若い男はさっさとカウンター席に戻ってしまった。
多分、男。
恐らく、若い。
そんな曖昧な考察しか出来ない。

何故ならマルタが見上げた人攫いの顔には、目鼻口どこにも穴が開いてない、手描きの目口だけある真っ白な仮面がつけられていたからだ。


その後、いくらか呆然として、ハッとした頃には、仮面をつけた人攫いは果実水の二杯目を頼んでいた。
飲む時は、ちょっとだけ上に仮面をずらすらしい。
とはいえ、マルタに背を向けて座っているため、その口元すらマルタからは見えないのだが。
色々なことがごちゃ混ぜになってドキドキしているマルタは、ひとまず果実水を飲むことにした。

鼻歌を歌ったり体を揺らしたり、突然ボロボロの紙を取り出して何かを書きだしたり。
人攫いは少し、いや割と奇行の目立つ人物だった。
自分の世界に入りやすいタイプらしい。
そのためマルタが状況を把握しようと話しかけても、「いま忙しいから後にして!」の一点張り。
それもまだ良い方で、ほとんどが人攫いの耳に入らずじまいのてんてこ舞いである。
さすがに、マルタも、ブチ切れそうだった。
鼻血を拭ったタオルで何度、奴の首を絞めたくなったことか。
しかし、持ち前の根気強さでいくらかの情報は聞き出すことが出来た。

いわく、鬼から逃げているとのこと。
いわく、逃げる際にぶん投げられた手錠が片足にはまり、そのまま突っ走っていたとのこと。
いわく、俺はなにもしてないけど手錠(今回の場合、足枷の用途としてある)が勝手にマルタを捕まえたのだということ。

……マルタは頭が痛くなった。
つまり、どういうことだ?
目の前の人攫いは、恐らく何かをやらかして、鬼の形相をした相手に捕らえられそうなところを逃げ出して、片方だけ空いた枷に適切な処置もなく、放置してたところ、たまたまそこにいたマルタの足に、枷がはまってしまった、――と。
そういう、ことなのか?
…そういうこと、なのだろうなあ。
ああやはり、この血濡れたタオルで目の前のこいつの首を絞めてしまいたい。
と、マルタは思うが、脳裏に浮かぶキャラバンの仲間達を思い、繊維が引き裂かれんばかりにタオルを引っ張るだけに留めた。
そんなこと、この人攫いは気づきもしないのだろうけど。

というか、この足枷はちゃんと外れるのだろうか。
そのことを考え、マルタはゾッとした。
酒場のマスターからは今の所なにも見咎められてないが、これが他の者に見つかったら?
いや実は、マスターから既に憲兵へと連絡がいっていたら?
マルタは何もしていないが、この足枷のせいで人攫いと同様の扱いを受けるかもしれない。
実際はマルタは攫われた方である。
お縄頂戴なんて、まっぴら御免だ。

「あの、この足枷ってちゃんと外してもらえるんですよね?というか、オレ、攫われた状況なんで、わかってます?外してもらわないと、今もオレを探してる仲間があなたのとこに仕返ししに来ちゃうかも―――」
「仲間?」

はったりで、でも期待を込めて『仕返し』なんて言葉を出してしまった。
焦りのあまり、マルタの口から出た言葉に、人攫いはピクリと反応する。
しまった、と後悔をして、足枷と鎖があることもその時ばかりは忘れ、距離を取ろうとまずは上体を壁際から起こそうとした。
が、それも叶わず、マルタは壁から離れることもなく、むしろ狭まった距離に息を飲む。
仮面の男が、こちらを見ている。
ぐ、とマルタの鼻先と、仮面がくっつくほど近づいた。

「……ああ、そっか。仲間。仲間がいるんだったか。ふうん」

仮面の中でこもった声が聞こえる。
まるでその、マルタに仲間がいることを知っている口振りに、今度は別の緊張がマルタの中で生まれた。
なにを、目の前の人攫いは知ってる?

「…オ、レの仲間のこと、知ってるんですか」

なら、マルタを捕らえた足枷は、偶然ではなかったのか?
この仮面の男はもしや、キャラバンの仲間となにかしら、因縁がある関係だったのか?
ゴクリと生唾を飲み込む音が大きく聞こえた。

「いや?なーんも」

おどけた調子で仮面の男は言う。

「たまーに噂を聞く程度だよ。噂以外のことは、俺も知らない」
「じゃ、じゃあ、なんで反応したんですかっ」
「んー?」

またジャラジャラと鎖を鳴らしてカウンター席へ戻っていくその背中に、マルタは問いかける。
けれど、仮面の男は曖昧に言葉を返すだけだった。
マルタには男が何を考えているのか、何を知っているのか分からない。
いまと、情況が違えば、マルタがこの男に抱く感情はまた違うものになっていたのだろう。

この男がマルタを攫っていなければ。
この男が枷をつけられる相手でなければ。
この男がマルタの言葉に過剰に反応しなければ。
この男がキャラバンについて仄めかす話し方をしなければ。
この男が、顔を隠すことなく、はじめからその表情を見せていれば。

もしもの話。
何気なく出会い、果実水を奢られるだけの関係でさえあれば、マルタは震えることもなかったのか。


マルタは目の前の男を、こわい、と思った。

思おうと、した。
『その言葉』を聞くまでは。


「――そのまま、俺を怖がり、俺のことを記憶から消してしまえばいい」

「…え?」


小さく、とても小さく、耳を澄まさなければ聞こえないような声が、ポツリと仮面の男の口から漏れた。
表情は見えない。
背を向けられ、仮面をつけた男の表情など分かるはずもない。
だけどマルタは、そのときその言葉を聞いた途端に、先ほどまでの恐怖がさっとどこかに消し飛んでいったのが分かった。
とても、寂しげな声だった。

「……なんなんですか、あなた」

マルタの眉がぐっ、と困ったように下がる。
マルタには、ますますこの仮面の男のことが分からなくなった。

「………。」
「あ。そーそ、お前、さっきから気になってたけど田舎出身だろ? 下手くそな敬語だなーって思ってた!」
「はい?」
「なんだかな〜〜〜イントネーションっつーの?お前、なーんかズレてんだよな、標準と。訛りが抜けてないってーの?」

だからこの果実水飲ませてみたくてさあ。
と、仮面の男は言う。
言葉を重ねられるごとに、マルタの顔はみるみる内に引き攣った。
「い、田舎者…」割と気にしてたのに。
ひく、と口元が歪む。
訛ってるのだって、周りには一般的じゃない目立つ顔の紋様だって、気にしてたのに。…気にしてたのに!
いや、それより、なんだか話をすげ変えられてないか?変に誤魔化そうとしてないか?
その話題転換の話の肴に、マルタのコンプレックスが刺激されていることに、マルタは怒りでぷるぷると体を震わせた。
――どうせ、訛りが抜けない田舎者ですよ!
ムスッとして、マルタはプイと顔を仮面の男から背ける。
笑っているのか、仮面の体もぷるぷると震えていた。
なんだか、誤魔化された気分だ。
だけれど、仮面の男が悲しそうに呟いていたのを聞いてしまったマルタには、仮面の男に能天気に笑われている方が、まだマシだと思えたのだ。
だから、笑われてやる。

「って、さっきの言葉の意味が分からないんですが。『だから』果実水を飲ませてみたくなった、って……あなたこそ、そもそも言葉の使い方が不自由なんじゃないんですか」
「お?おー…だからさあ、田舎出身ならこの果実水、飲んだことないだろー?って話よ。な、な、うまいだろ。田舎から出てきて良かったーって思えるだろ?」
「……。」

ずいーっと遠慮なしに近すぎる距離でマルタの顔を覗き込む仮面の男。
近すぎたけれど、マルタはもう怖くなどなかった。

「ま、まあ…おいしい、ですけど」
「だろぉーっ!?」

マスター!やったぜ!やっぱりマスターは世界一だな!
カウンターの奥に向かって大声で仮面の男は叫ぶ。
恥ずかしい。大声を出さないで欲しい。
気恥ずかしさから誤魔化すように、マルタはもう一口、また一口と果実水を口に含んだ。
たしかにこれは、飲んでよかった。
マルタはまるで子供のようにはしゃぐ仮面の男の背を見て、そっと微笑んだ。




「仮面さんは、どんな悪いことをして追いかけられてるんですか?」

カウンター席に座る仮面の男と向かい合いながら、マルタは初めに座らされた大樽の上で二杯目の果実水を口にした。

「仮面さん?…それ、俺の名前?」
「そりゃそうですよ。オレ、あなたの名前も知りませんし、特徴といったらその仮面ですし」
「だっせえ」

ぷらぷらと足を揺らしながら仮面の男は手厳しい評価を下した。
とはいえ、愉快そうな雰囲気から、それほど嫌がってるようには見えないでいる。

「んーで、俺がなに、悪いことしたって?答え、してません。鬼さんが厳しいだけだよ。ちょっと解散して自由行動しようとしたら、あいつが捕まえようとしてきただけ」
「………。」
「あ、信じてない目だ」

よよ、悲しい。
仮面の男が泣き真似をする。
白々しい。
マルタは恐らく、仮面の男の言う言葉は多少の言い訳が入ってるのだろうな、と最初から信用ゼロの解釈をした。
言動が調子乗りで緩く、雰囲気から真面目さを感じられない。
信じる気は初めからなかった。
マルタの冷たい視線から察するように、すぐに泣き真似をやめた仮面の男も、まあいいけど、と肩を竦めて終わった。

「それよりお前は?その自慢の仲間と一緒じゃないんだ」
「………迷子です」
「え?」
「迷子です」
「………。」

絶賛、只今、迷子中ですけど?
繰り返し言葉にすれば、仮面の男から珍しく「えっと…」と気遣うような声色が聞こえた。
なんだか、仮面で顔は見えないはずなのに、可哀想な子を見るような目で見られた気がした。

「……それで、迷子くんは仲間がお迎えに来てくれるのを信じて待ってる、と」
「ほんとはもっと目立つ広場で待機する予定でしたが、あいにく、仮面をつけた人に捕まえられてしまったので」
「皮肉、上手だねえ」

今度は、マルタが肩を竦める番だった。
なんとでも言えばいい。
迷子になったことは確かに恥ずかしいが、それを解決しようと行動を試みたところで、邪魔をしてきたのはそっちの方だ。
開き直りだろうがなんとでも言うがいい。


ふと、マルタは今、キャラバンの仲間たちは自分を探してくれているだろうかと疑問に思う。
マルタがキャラバンに入隊してから、幾月か、幾年か、日々が過ぎていった。
次元を旅するキャラバンなので、正確な経過はよく分かっていない。
ただ、仲間たちと出会って少なくない時間を過ごしたことは確かであるはずだ。
コンプレックスを笑わない仲間ができたし、自分の気にしてることなんて、ちっちゃな悩みにしか思えないくらい、大きな物を抱えてる人たちだっていた。
マルタの心はキャラバンに入ってから自由になった。
仲良く、してもらえていると思う。

「みんな、良い人たちなんですよね」

果実水の入ったジョッキの中を見つめる。
マルタの顔が映っていた。
マルタの顔には、特殊な赤い塗料で描かれた紋様が入っている。
魔除けだ、と村のばば様に言われて育った。
信心深く、とても閉鎖的な村だったと思う。
だから、外に出て、驚いた。
色んな人がいる。
みんな違う服を着て、髪を染めたり、色んな職業があったり。
本の中でしか見たことのないような種族を見た。
ドキドキした。
マルタは、自分の故郷が、とても狭い世界だったのだと知らされた。

「オレ、村では仲良くしてる子なんていなかったので、今の仲間たちと一緒に仕事したり、遊んだり、ただ一緒にぼんやりしたりするのが、すごく楽しいんです」

だから、キャラバンのみんなが大好きだ。

「迷子のオレを、きっとキャラバンの誰かが見つけてくれますよ」

特徴的な、赤い紋様もある。
人探しには役立つだろう。



こうして話しているうちに、はたと、マルタは首を傾げだした。
自分が村で一人きりになったのは、一体何が原因だったか。
思い出そうとすれば、自分と同じ髪色と瞳をもつ人が浮かぶ。
ああ、そうだ。

「そういえばオレ、兄貴を探すために村を出て、キャラバンに入ったんですよね」

ピクリ、と仮面の男の揺れる足が止まった。
そのことに、マルタは気づかない。

「10ほど年が離れた兄貴なんですけど、今からそれと同じくらい、10年前?以上にどっかふらーっと消えちゃったんです」

いつの間にかいなくなることは、それ以前からしょっちゅうあったことなんですけど。
ぽつ、ぽつと、マルタが話し始める向かいで、仮面の男は身じろぎする。
マルタの視線は壁に向いたままだ。

「おか……母に、なかなか帰ってこない兄貴に痺れを切らしたオレが、尋ねてみたんですよ。『にーちゃんはどこ行ったの?』って。そしたら、なんて言われたと思います?
――『大人の事情で』、なんて言われたら、当時9歳だったオレにはもう、なにも言えませんでした」

目を瞑っても思い出す。
いつも遠くを見ていた兄貴。
その背中を見て、マルタは、『この人はいつか消えてしまいそうだなあ』と思っていた。
そして、その数日後に、マルタの兄はあっさりと消えた。
『やっぱり』と思いながら、マルタには納得できなかった。
だって大好きな兄だった。
変わり者の兄は閉鎖的な村では除け者で、そしてそんな兄を慕うマルタも、いつしか同じ子供たちから仲良くしてもらえなくなった。
それでもマルタは、ずっと兄の傍にいた。
大好きな兄の、面白い話が聞けるなら、ずっと二人だけでも良かった。

だけど、兄は消えてしまった。

大人は詮索をよしとしないし、変わり者の兄をよく知る人物なんて、マルタ以外にはいない。
マルタはそれから、村のばば様としか話すことなく、旅にでるその日まですっかり色のない日々を過ごすことになった。

「兄貴はまだ見つかってませんし、もしかしたらもう、見つからないんじゃないか、ってたまに思いますよ。それに正直、恨んでますし」
「……その、お兄さんのせいで、村でひとりぼっちになったからか?」

恐る恐る、仮面の男がマルタに尋ねる。
マルタの視線が壁から離れ、仮面の男に合わさった。

「まあ、それもありますけど」

ぐ、と仮面の男の体が固まった。


「だって、オレには兄貴しかいなかったんです。兄貴だけでよかった。兄貴の悪口を言う奴と仲良くなんてしたくなかった。兄貴がいればオレは他に何も望まなかった。
…なのに、なんで、よりにもよって何も言わず消えたんか、ずっと知りたかって、ほんと…………………あの、クソ兄貴が」

「へ?」


「いっっっつもそうや、ふらっふらしとるんが兄貴の性分や分かっとっても行き先ぐらい告げてもええもんやと思うし、第一オレんこと大好きや言いよりながらその言葉盾にして逃げとるばっかやんっ……頭よしよししてじゃあ今日はなんして遊ぼうかーなんて言っときゃあオレがいつまでも誤魔化されるガキやないって、思い知らせんと気ぃ済まん!」

「あの、ちょっと」

「ていうかなんで一人にするん!?オレひとり連れたってくれてもええやん!?なに、そんなに兄貴は一人がいいん!?オレは!?オレの寂しい気持ちはどうするん!?なんで自分ばっか弟のオレに好き好き言って自分ばっか好きなんやみたいな勘違い起こしとるん!?はあ!?アホか!アホなんか!!
オレやって兄貴のこと大好きやし!めっちゃ好きやし!正直親よりずっとえらい長いこと一緒におったし!!!
なんになんで一人にするん!?けっきょく兄貴なんて言葉だけなんやろ!オレばっか!どうせオレばーっか!!兄貴のこと好きなんやろ!!アホ!!!」

「あ、えーと……お兄さんいなくて、寂しかったんだ?」
「はあ!?違いますけど!?別に寂しくありませんけど!!?」
「えええなんだそれどっち?どっちなんだよ?」

『お兄ちゃん』のこと嫌いなのか!?
ほとんど悲鳴に近い仮面の男の声に、マルタはぶんぶんと首を振る。
大好きに決まってますけど!!!と。

寂しいのか寂しくないのか。
好きなのか嫌いなのか。

どうやら、兄と離れるうちに随分とこじらせてしまったらしい。
ぐで、と壁に寄りかかるマルタに、仮面の男はやれやれとマルタの手にあったジョッキを回収した。
マルタの顔がすっかり赤くなっているのは、なにも興奮しただけのせいではない。

男は仮面を鼻のあたりまでずらし、マルタが持っていた方のジョッキの残りを全て呷る。
ぺろ、と濡れた唇を舐め、仮面の男はすっかり出来上がったマルタを見下ろした。

「これ、香りづけ用にちこーっとだけしかリキュール入ってないんだけどなあ」

でも飲みすぎた。俺も熱い。
マルタが泥酔していることを確認して、男は仮面を外す。



「でもま、酔った勢いで兄へのアツーイ愛をぶちまけてくれたことは嬉しいぜ、弟よ」



仮面の下から現れた顔には、マルタと同じ赤い紋様と、それ以上に複雑な紋様が描かれていた。
薄柳の髪はマルタよりずっと長く、瑠璃のように鮮やかな青の瞳は、眠るマルタにじっと慈愛のこもった色を映している。

仮面の男は、マルタの探していた張本人、兄ラバトだった。

「俺のこと、忘れないでいるとかお前、ほんと馬鹿だなあ」

苦笑しつつ、それでも嬉しさを隠せないでいるラバトは、愛しい弟の髪をそっとかき混ぜた。
ほんとに、馬鹿だ。
なんだって『覚えてられる』んだ。
『呪い』はずっと、そこにあった筈なのに。

「マルタ。マルタ。…俺の、かわいいさん。駄目な兄ちゃんでごめんな。あと、お願いだから『兄貴』じゃなく昔みたいに『にーちゃん』って可愛らしく呼んでほしいです」

後生だからさぁ、と冗談っぽくラバトが言えば、ううん、と声を漏らしてマルタが身じろぐ。
え、待て待て待て。
起きる?起きちゃうか?おにーちゃん心の準備できてないぜ?
わたわたと仮面を慌ててつけようと動けば、「あにき…」と寝言が呟かれただけで、どうやらまだマルタも起きる気配はないらしい。
それにホッとするが、やはりにーちゃんとは呼んでもらえないようで、やや残念ではあるが。

「でも、そっか。10年は経った、もんなあ」

感慨深いものである。
あんなにちまこくて、よたよたと自分の後ろを雛鳥のようについてきた9歳児が、もう20間近に差しかかろうとは。
たしかに20にもなれば、にーちゃん呼びは恥ずかしくなってしまうのだろう。兄としては是非ウェルカムなのだが。
しかしまさか、その間兄のことをずっと覚えていただなんて。

なんて、愛おしいんだ。
なんだって?自分ばかりが兄のことを好き?
……とんでもない!兄だって弟のことが大好きだ。ずっと覚えていた。
村に置いてきてしまったことが、ずっとずっと、心残りだった。
不出来な兄でごめんな、と眠る弟の頭を撫でて呟く。
ああそうだ、弟にはたしか仲間が出来たんだったか。
キャラバンのことはたまに噂で耳にする。
そこで、先導師として緑髪の、赤い紋様を顔に描いた青年のことも噂に聞いていた。

はじめにその噂を耳にしたとき、嘘だ、と思った。
故郷であるあの村を出るために、ラバトは、たくさんのものを犠牲にした。そのせいで今だって苦しんでいる。
愛する弟まで同じ目にあっているのかと思えば、その苦痛はそれまで以上に酷く感じた。

けど、どうだ。
弟はどうやら良い仲間に出会えたらしい。
『呪い』のことに気づいた風もなさそうだし、聞けば幸せそうな顔をしてキャラバンのことも話す。
だったら、いいか。
兄である自分が介入する必要もない。
町でマルタの姿を見かけたとき、咄嗟にどうにかせねば、と思った。
自分がいつものように放浪して行方をくらませる気か、と早とちりした旅の相棒に枷をぶん投げて捕らえられかけたが、今回はそのおかげで弟と話すキッカケにもなった。

だから、もういい。

「幸せになれよ、マルタ」

弟と違い、呪いを『知る』自分がいるほうが、きっと弟の幸せな現状は崩れてしまう。
だからこれでいいのだ。
何も知らせず、マルタには、変な仮面の男に会った、というだけで今回のことは終わらせてしまえばいい。
会えてよかった。
額に親愛の口づけを落とし、眠る弟のそばにしゃがみ込む。

足枷はようやく、音をたてて外された。






「マルタ?マールーター?」

ぺち、ぺち、と頬を軽く叩かれる。
ぼんやりとする頭で、無理矢理目を開けてみれば、マルタの目に緑髪が映った。

「……ルノくん?」
「もーっ、やっと起きた!みんな心配したんだよー?」

ふわふわと、マルタよりずっと濃い緑の髪を揺らして、ルノはぷくっと頬を膨らませた。
どうやら眠っていたらしい、とようやく気付いたマルタは、次いでハッと周囲を見回す。
しかし、そこに目的の人物の姿はない。

「マルタくん?ようやくお目覚め?」

代わりに、水を注いだカップを持つレダの姿が、扉の近くにあった。

「レダ、くん? え? ここって?」
「マルタくん、覚えてないの?ここ、診療所だよ。倒れてたところを運び込まれて、ぼくらの方に連絡が来たんだよ」
「しん、りょうじょ……」

ポカン、とするマルタ。
その横で、「ボクもかんびょーのお手伝いしたんだよー」とニコニコとルノが笑う。
その微笑ましさに頭を撫でてやれば、きゃー、と嬉しそうにルノがはしゃいだ。
いやされる。
て、そうじゃない。

「運び込んだって、もしかして…あー、不審者っぽい人が?」
「いや、違うけど…ぼくも入れ違いに入って、すぐにその人でてっちゃったから…」

ていうか、そんなに不審な人の目の前で倒れたの、きみ…。
レダがちょっとありえない、かな?と言いたげな顔でマルタを見た。
これにはマルタも慌てて弁明する。
あの人と出会ったのは不可抗力、そう、不可抗力なのだ!と。
というか、倒れる以前の記憶がマルタにはなく、そのことに気分が悪くなる。
すごく気になる。
一体、なにがあってこの状況になったのか。

と、そこへ、コンコン、と扉が鳴らされた。
レダとルノ、二人と一緒にマルタがそちらへ顔を向ければ、キャラバンの隊長カールバーンが姿を見せた。

「マルタ、調子はどうだい?」
「隊長。あの、オレ、倒れる前までの記憶があやふやで……」

申し訳なさそうに口をモゴモゴさせるマルタに、カールバーンは小さな声で「やっぱりマルタに酒は禁止、か」と呟く。
その呟き声は目の前にいるマルタにすら聞こえなかったため、その場にいた三人が首をかしげたが、カールバーンは「なんでもないさ」と手を振っただけに終わらせた。

「ま。マルタも真面目すぎたからな。たまには世話されるのもいいもんだろ?」

に、と笑う隊長に、それ以上マルタは何も言えない。
言えない代わりに、隊長には敵わないなあ、と笑った。隊長のこういうところに、自分は救われるのだ。
隊長が隊長だからこそ、あのキャメルは居心地が良いのだろう。
とにかく、調子が良いようなら、と壁側に掛けておいた上着を着直し、診療所を後にすることにした四人。

外は少し薄暗くなり始めていた。

「あ、そうそう」

今度なにかお礼をする、と世話をかけたレダやルノに手を合わせていれば、その後ろ姿にカールバーンが声をかける。
隊長にもお礼をしないとな、とマルタが振り返れば、カールバーンがなにやら疑問を浮かべた顔でそこに立っていた。


「お前をここに運び込んできたやつ、お前と似たような顔立ちだったけど、この次元にマルタの故郷があるのか?」

「――――え」








「たっだいまー!おうおう相棒、6時間ぶりか?あーいかわらず神経質そうな顔してんな――べぶッ!?」
「おかえり変態屑野郎。弁明の余地はない」

同時刻。
かぶっていたフードを脱ぎ捨て仮面を取っ払い、身軽な格好をして机の上に足を乗せ座っていた相棒に、神経質そう、と言われた男が持っていた棍棒で容赦なく殴る。
弁明の余地はない、と言った通り、喋る暇を与えず殴る様は拷問に似た雰囲気を感じた。
無表情で人を殴り続ける様子は、軽くホラーである。

「どこに行ってた……なんであんた泣いてんの?」
「聞いて驚け!なんとこれは汗なんだ!」
「はあ?…ま、いいけど」

ま、いいけど。と言った後に殴る。
『まあどうでもいいから殴る』といった風に解釈がとれた。

男が一頻り殴り終わると、話を聞いてくれ、と言わんばかりにマルタの兄、ラバトが男の肩をぐっと掴んだ。

「弟に会った。すげええ可愛かった。俺の弟天使なのでは?」
「なら死んで天国にでも行け屑」
「手厳しい!」

もっと俺の愛の話を聞いてくれよ、と男に縋り付くが、もはや男は耳栓をして聞く気はない、という態度を貫いている。
ひでーなクソ、とラバトが拗ねれば、その後頭部にガツンと衝撃が走る。
また殴ったな。

「そんなに弟君が好きなら連れてくればよかったでしょ」
「それは駄目ー、俺の弟ラヴ魂が許さない。……ていうか聞こえてんじゃねーか!その耳栓意味なくね!?」

ぶつくさ文句を言えばまた殴られる。
毎日これをやられているものだから、ラバトの頭は衝撃に強くなっている気がする。
気がするだけで、いつか本当に潰れてしまうのでは、とたまに戦慄もしたりするが。

「俺じゃ、あいつを幸せに出来ないからな」

だからもう金輪際会わないし一緒にいることはないな。
そう言うなり、どこから取り出したのか度数の強めた果実酒の瓶を抱きしめ、ラバトは使われてない馬小屋の中へ入ろうとする。
「今夜はここで一晩明かすわ」とラバトが言えば、男は「あ、そう」と返しその背を見送った。

金輪際会わない。
自分でそう言ったくせして、ボロボロと流れ落ちる涙をぬぐうこともしないラバトに、男は呆れて放っておこうと思うことにした。
ラバトが決めたことだ。
自分はそれを否定しないし、肯定するつもりもない。
ただ。

「もう手遅れだと思うけどねぇ」

ラバトを探す途中で見つけた、赤の紋様を持つ薄柳の男の子。恐らく、あの子がラバトの愛する弟君なのだろう。
あの子の目は、既に、大きな決意をした色に染まっていた。
だからこそもう、ラバトに何を言おうとも、この先どうなるかは彼ら次第で、自分には到底、運命は捻じ曲げられないのだ。

「精々頑張りなよ」

男の呟きは、鼻歌を歌うラバトの耳には、これっぽっちも入ることはなかった。







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