青の祓魔師



それはある日の休日の午後の事だった。

雪男は俺を置いて任務で、俺はというと出された課題と睨めっこをしている状態。
たったひとつの問題でも、俺の頭じゃ何十分も掛かるから大変だ。
こういう時、雪男がいてくれたら嫌味を言いながらも勉強を見てくれるのに。
クロも散歩に行ったし、残念ながらここにいるのは俺だけだ。

俺がまだある問題でうんうん唸っていると、部屋の扉が二、三度ノックされた。

「はいはーい」

そう言って部屋の扉を開けると、そこには雪男が立っていた。
なぜか一瞬、驚いたようにして目を見開く。

「?おかえり。何ノックなんかしてんだよ」

「…ただいま、兄さん」

雪男はそう言って目を細めて笑った。

「今日は遅くなるんじゃなかったのかよ」

「早く終わったんだよ。だから、帰ってきた」

「ふーん」

俺はたいして興味もなさそうに生返事をする。
だけど、何か違和感を感じた。

「…雪男」

「なに?」

また笑う。
雪男は、どう見たっていつも通りの雪男だった。
けど、なぜか違和感を感じるのだ。

「………」

「どうしたっていうのさ、兄さん」

「いや…」

雪男は黒いコートを脱いでハンガーにそれを掛けた。
なんとなく、気になってそのまま椅子に座って雪男の姿を見つめた。

どう見てもそれは雪男だった。
俺の、唯一の家族で、双子の弟。
俺よりも何十倍も出来が良くて、胸を張って自慢できる弟。
それが今この目の前にいるのに、なぜか違和感が拭えないのだ。

「…お前さ」

「?うん」

ニコリと笑う。
雪男は自分の席に座った。

顔も、姿も、一緒だ。
けど違う気がする。

「雪男、だよな?」

首を傾げて聞いてみせると、雪男もつられるようにして首を傾げた。
あっ、やっぱ間違ってた?

「ははは」

「は、はははは」

雪男が笑って、俺も同じ、つられるみたいにして笑った。

「案外鋭いんですね」

「!?」

笑うのを止めて咄嗟に逃げようとした俺の腕を掴む。
そしてそのまま冷たい床に押し倒された。

「いって…」

後頭部打った…。
ジンジン痛む頭を空いてる手の方で抑えるが、もう片方は雪男…みたいな奴がガッチリ掴んでいるから動かせない。

「…お、お前誰だよ!?」

涙目になりながら俺の上に覆いかぶさっているそいつを睨みつける。
だけどそいつはうんともすんとも返事をしてくれなかった。
ただ、悲しそうな顔をして俺を見下ろしているだけだ。

「な、なんで、そんな顔してんだよ…」

俺は戸惑った。
だっていきなり雪男じゃない雪男みたいな奴が表れて、しかもそいつに押し倒されて。
もう何が何だか分かんねえっていうのに、こいつは泣きそうな顔してるし。

「はは、本当に…成功したんだ…」

「成功って…」

俺はこいつの言ってることがまったくもって理解できない。
何が成功?一体何がなんだか。

「僕が誰だか分かりますか?」

「わ、分からねえから聞いてんだろ」

「ふふふ…」

笑ってる。
だけどそのくせ泣きそうな顔は治らない。

雪男の顔をしてるくせに泣きそうな顔をされて、俺は自然と空いている手をそいつの頬に触れさせた。
ピクリと、最初は身体を跳ねあがらせたが、それでもすぐにそれを受け入れて目を細めた。

「お、前は…」

「うん…」

「雪男、だけど…雪男じゃねえ…」

「そうですよ」

気持ちよさそうに、俺が触れる手にすり寄る。
それがなんだか懐かしく感じた。

昔の雪男を思い出したのだ。
今では到底ありえない、甘えてくる雪男。
昔はよく俺にすり寄ってきてくれた。
遠慮がちに甘えてくれるのが嬉しかったあの頃だ。

そいつはだんだんと俺に近寄ると、俺の首元に顔を埋めた。
一体何がしたいのか分からん。

「あのさ、お前…悪魔じゃないよな?」

「はは、違いますよ」

悪魔だったらどれ程良かったことか。
そいつはそうボソリと呟いた。
俺にもちゃんと聞こえるぐらいの音量で。

「あの、とりあえずさ…放してくんねえか?」

「嫌です」

この体勢をどうにかしようと思ったのに、間も開けずに拒否された。

「僕が誰か、当てられたら放してあげます」

「んなもん、分かる訳ねえだろ」

「だったら放しません」

そう言ってそいつは床に転がる俺を強く抱きしめた。
けどその抱きしめかたは、なぜか腫れ物に触れるみたいだった。

なんなんだこいつは。
一体誰なんだ。

正体不明のこいつが分からなくて、ちょっと怖くなって身動ぎをするとさらに強く抱きしめられた。

「怖がらないでください。僕は貴方を傷つけるために来たんじゃありません」

「ビ、ビビってねえよ!ちょっと動いただけだろ!!」

「だったら、じっとして…お願いですから」

「………」

そいつの声は震えていた。
なんでお前が怖がってんだよ、って言ってやりたくなったけど、今は止めておいた。
俺もそっと、そいつの背中を擦るようにして腕を伸ばす。

しばらくの間、俺たちはずっとお互い黙ったまま抱きしめ合っていた。
こいつは何も言わねえし、俺もどうすればいいか分かんねえから何も出来ない。
ずっと抱きしめ合ったままだ。

「…僕は」

ようやくそいつが話し出す。

「貴方に会うために来ました」

「そりゃあ、ご苦労さん」

「僕は貴方の甥ですよ」

「………は?」

「言わば、貴方の親戚です」

ようやっと、そいつは顔を上げてニッコリ笑ってそう告げた。
俺の、親戚?

「ええええええええ!?」

俺も上半身を起き上がらせて、そいつの顔をじっくり見つめる。
どうみても、雪男だ。
だけど実は、おい?とかいう奴で。

「貴方の弟さんの子供ですよ」

「雪男の、子供…」

もう頭がついていけなかった。
だって、ありえない。
もし本当に雪男の子供だって言うんなら、なんで目の前にいるんだ。
今の雪男は結婚してもないし、子供だっていない、まだ学生だ。
なのに、なぜ目の前にその子供だという奴がいるのだ。
嘘だというにはあまりにもそっくりすぎる。

「…僕は、未来から来ました」

未来から。

「そりゃあ…ご苦労さんで…」

頭がついていかないから気の利いた言葉さえ出てこない。
それはあれか、某ネコ型ロボットにでもお願いしてわざわざ未来から過去へ来たって事か?

「どうやって来たかは企業秘密」

そう言ってそいつは口元に人差し指を置いて悪戯っぽく笑った。
そのいやに子供っぽい笑みで分かったのだ。

「お前、いくつだ?」

「14です」

雪男よりも一つ年下だ。
だからか、と俺はようやく気が付いた。

この雪男は、俺の知っている雪男よりも少し幼さがあるのだ。
たった一歳の歳の差だが、たかが一歳、されど一歳ということなのだ。
だから妙な違和感を感じたのだろう。
よくよく見れば、身長も雪男と比べると少し小さいかもしれない。
多分、それだけではないとも思うけど、決定的なものはそれらだと思う。

「…それじゃあ、お前は何しにここに?」

「…貴方を攫いに」

「へ?」

「さあ、立ってください」

「いやいや、ちょっと待って」

無理やり立たされて俺は慌てふためく。
ただでさえ頭が付いて行かなくて大変だっていうのに、さらには俺を攫うという発言。

「さ、攫うって言われても困るぞ。だって、俺まだ宿題終わらせてねえし!」

「そんなの、ここから出て行けば関係ありませんよ」

そう言って雪男の息子はグイグイ俺の手を引っ張っていく。
訳が分からない。
なんで、どうして、こんな事になっているのか。
だから俺はその手を振り払った。

「い、いい加減にしろよ!俺はな、ここで祓魔師になって、さらには聖騎士になるって決めたんだよ!!」

「…それで?」

「は?」

「それで、祓魔師になって、聖騎士になって、どうするんですか?」

「どうするって、サタンをブン殴るんだよ」

「それで?」

「…お前なぁ、何が聞きたいんだよ」

いつまでたっても終わらないような平行線の会話。
こいつは本当に訳が分からない。

「そこがどんな未来かも知らないくせに…」

そいつは、歯噛みして何か悔しいような、悲しいような顔をしていた。
拳をギュッと握って小さく震えていた。

「祓魔師になっても、聖騎士になっても、サタンを倒しても、あそこに、貴方の幸せなんてこれっぽっちもないじゃないか…」

そう言ってそいつはグズグズと鼻を鳴らして泣き出した。
泣きべそをかく子供っぽい泣き方。
こいつは本当に雪男じゃないんだと改めて分かった気がした。
雪男はこんなふうに見っともなく泣かない。
だけど、今だけはこの目の前で泣くこいつが愛しく思えた。

「そっちの俺は、幸せじゃないのか?」

背中を擦ってこいつを慰める。
そいつは時折しゃくりあげながらも、俺の背中に腕を伸ばした。

「だって、貴方は…ずっと一人なんです」

一人なんです。
そいつはそう呟いてまた泣き出した。
本当に子供みたいな奴だった。
まるで手に入らない玩具が欲しくて駄々を捏ねているような、そんな感じだ。

「一人じゃねえだろ」

「嘘だ、だってずっとそうなんです」

「お前がいるだろ」

「…それでも」

「でももクソもねえ!泣くな!!少なくとも俺の血も入ってんだろ!!」

「意味が分からないです」

「意味が分かるか分からんかも置いとけ!とりあえずだな…」

雪男の息子の頭を撫でた。
乱暴だけど、出来るだけ優しく、俺が出来る限りの慈しみとやらを込めて。

「そっちの俺はな、少なくとも一人なんかじゃねえよ」

そうだ、だって目の前にいるのだから。

「こうやって、俺のためにわざわざ過去に来るなんて奴がいる限りな」

「…おじさん」

「お、おじさんって言うなよ」

「はは、すいません」

一応まだ15歳なのだから、さすがにおじさん呼びはきつい。
そいつから離れて、とりあえずティッシュを取って鼻をかませてやった。
子供っぽく笑って泣いて、意外と甘えたがり。
あいつはもっと苦労人で、カッコつけたがり屋なのだ。
やっぱり違う、雪男とは。

「おら、もう帰れ」

「…はい」

意外と素直にそいつは頷いた。
真っ赤になった鼻と目がなんだか可愛らしく思えてしまう。

「燐おじさん、僕はひとつだけ嘘をつきました」

「いや、だからおじさんは止めろって…まあ、いいや。それで、なんだよ、ウソって」

「言えません」「なんだそりゃあ…」

最後まで意味不明な奴だなと、俺はため息をついた。

「まあいいか…。それで、どうやって帰るんだ?」

「普通に、そこのドアを通ったら帰れます」

「意外と簡単なんだな」

そう言ってそいつはコートを取ると部屋の扉の前まで歩いた。
なんとなく俺もそれについていく。
ピタリと止まるとそいつは振り返り、俺の手を取った。

「燐おじさん、ありがとうございました」

「いや、別にいいって。お前の気持ちはなんか、嬉しかったし」

そうだ、こいつは俺のためにやってくれたのだ。
どうやってかは知らないが、わざわざ未来からやってきてまで。

「そしてやっぱり言います。嘘をついていた事」

「え?」

その瞬間、握られていた手を思いっきり引っ張られ、そいつの方へ倒れそうになる。
だけどすんでで止まって何かが唇にぶつかった。

「…んぐっ!?」

キスだ。
俺は今、雪男の息子とやらにキスをされているのだ。
後頭部を逃げられないようにして掴まれ、腰にも手を回されている。
俺はあまりにも突然の事で抵抗らしい抵抗も出来ずにいた。

「…ぷはっ!」

やっと放されたと思えば、次は強く抱きしめられた。
耳元に息が当たってくすぐったい。

「僕、奥村雪男の息子じゃないんです」

「…へ?」

「さよなら。また、いつか」

そう言って、そいつは部屋の扉を通って消えてしまった。

息子じゃない?
それじゃあ、あいつは誰だったのだ?

「…兄さん?」

「どぉわ!!」

「何してるの?」

「お、お前帰ったんじゃ!?」

「何言ってるのさ、ここが僕の帰る場所でしょ」

「…雪男、だよな?」

「当たり前じゃない」

どうやらこっちは本物の雪男らしい。
入れ替わりで帰ってきたようだ・

「お、おかえり」

「ただいま」

慌てて俺は出迎えの言葉を言って自分の席に座った。
さっきのあいつの言葉がグルグル回る。




『僕、奥村雪男の息子じゃないんです』




だったら、あいつは誰だったのだ?
そしてもうひとつ思い出した。
キスをされたのだ。
あいつに。

「…雪男、ごめん」

「なにが?」

「ふかこうりょくって奴なんだ…」

「だから何が?」

「言えねえ…」

言える筈がないのだ。

未来から自称お前の息子だという奴がやってきて、それも超そっくりさんで、そいつが俺を攫うとか言って、最後には俺にキスしてハグしてバイバイしたこと。

そんな事、言えるわけがないのだ。

そしてやけに残るあの言葉。




『僕、奥村雪男の息子じゃないんです』

























とある部屋で子供の泣く声が聞こえた。
俺は大体想像が付いていたから、迷わずにその部屋に向かった。
目的地に近づけば近づくほど、その声は大きくなっていく。

扉の前、そこは懐かしいある部屋の前だった。

ドアノブに手を伸ばす。

「うわああああああああん」

やっぱりだ。
あいつは泣いていたのだ。
それはもう子供みたいに、可愛らしいことだ。

「ゴォラ、なにピーピー泣いてんだよ!」

勢いよく扉を開けると、二つ並んでいるうちの片方の机に顔を蹲らせて大泣きしている奴がいる。
だがそれ以前にその部屋には大量の紙が散らばっていた。
ほとんどが血で滲んでいる。

そして部屋の天井や床や壁、全てに奇妙な文字の羅列や訳の分からない方陣が書かれている。
それらは全て今さっき開けたこの部屋の扉に繋がっていた。

「うわあああああああん」

大声を上げて泣く目の前の子供。

「おら、泣くな」

「だって、だって…」

そいつの背中に覆いかぶさるようにして抱きしめてやった。
身体は小刻みに震えて、何度もしゃくりあげている。

「僕は、何も出来なかった…」

「んなことねえだろう」

「だって、貴方を、攫えなかった…」

ズズッと鼻の啜る音が聞こえた。
ようやく顔を上げると、それは涙を流し過ぎてボロボロの顔だった。

「奥村燐を、貴方を攫えなかったんだ…!!」

そう言ってまた泣き出す。
俺はやれやれと息をついた。

こいつは、わざわざ昔の俺に会いに行ったのだ。
まだ祓魔師にもなっていない、若い頃の俺に。

こいつが会いに来たことは今でも思い出せる。
本当に馬鹿な奴なのだ。

「馬鹿だなぁ、言っただろ?攫わなくても、お前が今ここにこうしていてくれるだけで充分なんだよ」

「燐おじさん…」

「ほーらほら、泣くな泣くな」

頭を出来るだけ優しく、慈しむように撫でてやった。
あの頃みたいに。

「燐おじさん、僕は、貴方を攫って…せめて祓魔師と違う世界に連れて行ってあげたかった」

「いらねーよ、俺はちゃんと俺の意志で祓魔師になったんだから」

「それでも、せめて…連れて行ってあげたかった」

「ありがとな…」

こいつは本当に馬鹿なのだ。
そんなことしても何も変わらないのに。
俺が悪魔だという事。
サタンの息子だという事。

「おじさん、好きです…」

「はいはい、俺もだよ」

まるで子供をあやしているみたいだ。
そう思いながらそいつの顔を上に向かせてキスをしてやった。
唇を放すと、そいつはいきなり立ち上がると俺に抱き着いてきた。

「…確かに、雪男の息子じゃねえわな」

ふとあの時の言葉を思い出す。

「……本当の事ですよ」

「ああ、確かにそうだ…」

こいつは、雪男の子供の孫のさらに孫にあたる奴だ。
しえみも、勝呂も、志摩も、子猫丸も、出雲も、シュラも、もう皆死んでいる。
雪男だってもうとっくの昔に死んでいた。

俺だけが、あの塾に通うあの頃の姿のまま生きているのだ。

「やっぱり、攫ってこればよかった…」

雪男の遠い子供の声は聞かなかったことにしておいた。

俺は多分、これからも生きていくのだろう。
この姿のまま、俺だけがずっとずっと生きていくのだ。
この唯一の家族たちと。


























2011/04/24
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