7



正義の味方はいつだってやってくる。
そう言ったのは誰だったかと一瞬考えたが、記憶力には少しばかり自信がある雪男は直ぐに誰かと思い出すことが出来た。
記憶の奥底にある引き出しを開くとそこには幼い自分ともう一人幼い子供。


自分の兄である燐だ。


我が兄ながらなんともクサイ台詞を吐くものだと思う。
きっと幼いが故に言えた台詞なのだろう、だがあの兄ならもしかすると今でもサラリと言いのけてしまうかもしれない。
そしてなぜ、今この状況でこんなことを思い出しているのだろうと銃を構えた。
きっとこのコート越しに感じる震える小さな手のせいだと雪男は妙に確信していた。

背中にいるのは小さな少年。
まだ十歳にも満たないだろう幼すぎる少年は、必死に雪男のコートを掴んで声を上げそうになるのを耐えていた。

「もう少し頑張ってくださいね」

なるべく怯えないよう優しい笑みで雪男は伝えたが、子供はそれどころではないらしく相変わらず震えて耐えるばかりだ。
それもそうだろう、今まさに悪魔に襲われて戦闘状態なのだから。
子供には刺激が強すぎるどころか恐怖状態を通り越して軽くトラウマだ。
その中でも動き回らず騒ぎ出さず、雪男の背中でコートを握って必死に耐えているのだから子供にしては上出来だろう。

偶然通りがかったその道に、子供が悪魔に襲われているのだから助けないわけにはいかない。
新しい弾を入れ替え、最後に一発その悪魔の眉間にぶち込むとあっけなく倒れた。
どうやらたいしたことのない、雑魚だったようだ。

雪男は細く息を吐いてから銃を仕舞い込んだ。
背中ではまだ強くコートを握る子供がいて、見てみると終わったことにまだ気がついていないのかギュッと強く瞼を瞑ったままだ。

「もう大丈夫ですよ。終わりましたから」


そう言うと子供は恐る恐る瞼を開けて辺りを軽く見回した。
本当に?と言うようにまだ怯えている視線が向けられるとニコリと微笑む。

「ちゃんと全部終わりましたから、安心していいですよ」

頭を撫でて安心するよう伝えると子供の張り詰めいていた顔が一気にクシャクシャになって大声で泣き出した。
コートを握っていた手がさらに強く握られ、そのまま雪男にしがみついてくる。
雪男はただ黙ってひたすら子供の頭を撫でていた。
ああ、よかったと心の底から思いながら。



しばらくすると子供も泣き止み、目を真っ赤に腫らした子供の手を繋いでその道から離れた。
グズグズとまだ鼻を啜る子供はまたあの悪魔が出るのではないかと強く手を握って怯えている。
人通りが多い場所に行ってもまだ怯えたままだ。
休憩するよう公園のベンチで一旦座るが、手はまだ繋いだままだ。
怯える子供を見ていた雪男は昔の自分を思い出した。

産まれたときから見えるソレはいつだって恐ろしくて怖かった。
怯えて泣くと窓の外に張り付く奴らは笑ってそれを喜ぶのだ。
ゲラゲラ笑って自分を丸呑みできそうな口を見せびらかし、鋭い爪や牙はいつだって自分を殺せるというようにちらつかせてくる。

幼い頃はそれがただ怖かった。
そして成長した今では不快なものになった。

この子供も同じなのかと、自然と握った手が強くなる。
子供は驚いたように雪男を見上げると、できるだけ優しい笑みを返した。

「君は、アレが見えるんだね」

アレ、という言葉に子供は少し間を空けて躊躇するようにして頷いた。
悪魔が見えるということは魔障を受けているのだ。
いつから見えるようになったのかと聞けば三日前だと答えられ、最近だということに少しばかり驚いた。

「怖くて誰にも言えなかった」

子供はポロリと涙を流し、空いている手の裾でそれを拭った。
どうやら彼は昔の自分と同じ境遇にいるようだと、妙な親近感が湧く。

昔の自分というと、身体が弱くいじめられっ子だった。
そしてそれを助けてくれるのがあの兄だったのだ。
虐められている自分を助けてくれた。
悪魔が来ると、それを吹き飛ばすような明るい笑みで手を握ってくれた。

「誰かに言ったら、変だって思われそうで…」

またグシグシと泣き出す子供。
雪男はその気持ちが痛いほどに分かった。
分かってしまうのだ。

不安、恐怖、痛み。
それらが全て分かってしまう。

「大丈夫ですよ」

自然と出たのはその言葉だった。
子供はキョトンとした顔で雪男を見上げる。

「僕だって見えているんですから、おかしいことなんてありません」

しかもそれを退治したのだから、もしかしたら見えること以上におかしいのかもしれない。
そう告げると子供は安心したのか、顔の緊張が解けておかしな笑顔を見せてくれた。

「ご両親は、見えることを知っているんですか?」

ふるふると弱く首を横に振る。
どうやら彼はたった一人で恐怖も痛みも抱え込んでいたようだ。
自分の時は父がいたし、兄は何も知らなかったがそれでも救われていた。

「頭が変な子だって思われたらヤだから…」

それはもっともな言い分だ。
子供は何より親に嫌われるというのを恐れる。
けどそれでも、これは一人で抱えるのにはあまりにも重過ぎるのだ。

「それじゃあ、次から怖くなったり辛くなったら両親に助けてって言ってみてください」

その答えに子供は驚きつつも無理だというように首を大きく振った。
否定されたらどうする、というように子供は涙目になって首を振るのだ。

「否定されたら…僕のところに来てください」

「お兄ちゃんのとこ…?」

「ハイ、僕のところへ」

ハッキリとそう答えると、子供の目にいっぱいに溜まっていた水がまたひとつだけポロリと綺麗に落ちた。
百人に否定されても、それでも誰か一人でも信じてくれれば救われるのだ。
それが両親なら理想的なのだが、残念ながらそれを徹底的に否定してしまう人もいる。
だがそれでも、赤の他人でも一時の知り合いでも肯定してくれれば救われるときがあるのだ。

「僕が君をおかしくないと言って、さっきのように助けてみせますよ」

そう言って優しく微笑んで見せると、子供は「うん、うん」と何度も頷いて雪男にしがみついた。
ポロポロとこぼれる涙はやっぱり綺麗だと思うと同時に、自分は何をしているんだと雪男は頭の隅で考えた。

助けてみせるという言葉は百%ではないのだ。
助けるなんて言葉、軽々しく使うものではないはずなのだ。
だがもう言ってしまったと少し後悔をしていると、子供はしがみついたまま雪男を見上げてニコリと笑った。
なんだかその笑顔を見ると、言ってよかったんだと思うと同時に複雑な気持ちがこみ上げてくる。「ありがとう、お兄ちゃん」

「いいえ」

「お兄ちゃんはヒーローなの?」

「ええ?」

ヒーローなどという単語は雪男にとってかなり懐かしい響きだった。
というか、自分がヒーロー。それがなんだが奇妙な感じに思える。
多分、よくあるライダーやら戦隊者やらのことを指しているのかもしれない。

なんだかひどく信頼されてしまったらしく、子供はやけにキラキラした目で雪男を見ていた。
こうやって助けていたらそうもなるかと妙に納得していると子供は身体から離れて返事を待っている。
それになんと答えようかと雪男は迷った。
安易に子供の夢を潰すものではない。
それに祓魔師だって一応悪魔退治をしているのだから似たようなものだろうと、曖昧な感じで返事をしておいた。

「まあ、そんなもの…ですかね」

「すごい!助けてくれてありがとう、ヒーロー」


ヒーロー。


そう言われてなんだかむず痒かった。
正義の味方がこんなにもむず痒く感じるなんて、自分はヒーローに向いていないんじゃないだろうかとさえ思ってしまう。

まさか自分がこんなふうに言われるだなんて思いもしなかったと、雪男は困惑した。
いつだって自分の中の正義の味方は兄だったのだ。
いくら自分が強くなっても、彼の背丈を越してもそれはずっと変わらなかった。


彼は雪男にとっての永遠のヒーローだった。

そして今まさにこの子供にとって雪男がヒーローなのだ。


それが無性に気恥ずかしくてなんとも言えないものだった。

「…うん、正義の味方はいつだってやってくるからね」

クサイ台詞。
だけどそれでもこの子供に告げれる最高の言葉だと思えた。




















「なんかお前、帰ってきてから妙に機嫌いいな」

なんとも不思議そうに首を傾げる燐に雪男は「そう?」と同じように首を傾げた。
燐は机の上で相変わらず進みの遅い宿題をやっている。

「別にたいしたことじゃないから」

それだけを言うと燐は「ふーん」とたいして興味もないのかまた問題に取り掛かった。
雪男はそれを隣にある自分の勉強机に座って横から頬杖をついて眺める。

勉強はできないし、物事は直ぐに忘れるし、後先考えないし。
ため息のつくところはたくさんある、それでも相変わらず雪男にとって燐は正義の味方で永遠のヒーローだった。

「ねえ、覚えてる?」

「なにが?」

こちらを見ずに、苛立つようガシガシと頭を掻く。
きっと問題が解けないのだろうと考えなくても分かるそれに、あえて無視して雪男は続けた。

「ずっと昔のこと」

「昔の何をだよ」

意味が分からんと、それでも燐の視線はノートにいったままだ。
指先でペンをクルクル回したりしている。

「今でも言える?」


正義の味方はいつだってやってくるって。


そう言うと燐はようやくこちらを向いた。
驚いたように目を開いて、だけどしばらくしてからなるほどと納得したような顔をした。
この反応からして、どうやら覚えていたようだ。

「言えるぜ。正義の味方はいつだってやってくるんだぜ!」

ホラなと言うふうに証明をする燐。
それに思わず苦笑いになった。

「そしてその正義の味方がこの俺だ!」

ビッと親指を突きたてかっこつけるように言うが、やはりこれは聞いていて恥ずかしい気がする。
こういうのを痛いとか言うんだろうなと、なんとなしに思っているとそれを察したのか燐は鼻息を荒くした。

「んだよ、別に悪いことじゃねえだろうが!」

「うん、そうだね。悪くはないよ」

確かに悪い事を言っているわけではない。
だがそれでも雪男にとってはクサイというか痛いというか、苦笑いになってしまうのだ。

「お前、やっぱり何かいいことあっただろ」

「どうして?」

「いや、なんとなく」

「正義の味方だから?」

「ダーッ!!もうそれは止めろメガネ!!」

からかうようにして言ってやると、さすがに怒られてしまった。
もうこれ以上はからかわないでおこうと明日の課題を作ろうとした。
燐も同じようにまたノートに向かいうんうん唸っている。
だがそれでも、ふと思い立ってまた燐のほうを向いた。

「ねえ」

「なんだよ…」

まだからかわれたことを引きずっているのか、少し不機嫌そうに返事をされた。

「今、僕が考えてること、分かる?」

「なんだよそりゃ、またからかってんのか?」

「違うよ、今度は結構本気」

そう答えると、燐はじっくりと雪男を嘗め回すようにして見つめ腕を組んで考え始めた。

「…晩飯のことか?」

「違うよ」

「それじゃあ、朝飯のことか?」

「なんでご飯のことばっかりなのさ」

「いや、もしかして今日作ったメシで材料が腐ってたのがバレたのかと…」

「そのことについては後でじっくりと聞きたいな」

「あっ、えーっとだな…トイレか!?」

「兄さんがモテない理由のひとつがちょっと分かった気がするよ」

ダメだなぁ、というふうに雪男がため息をつくと燐は眉間にシワを寄せた。

「んなこと言われても、いきなり考えてることとか当てれるわけねえだろ」

「当たったら、わざわざ僕が言わなくてもいいのになぁって思うから」

当てて欲しいんだよ。
なんて勝手な言い分を作って、雪男は燐を見つめた。
まだなんなのかと悩んでいる燐。
諦めたりしないのはきっとやりだしたから気になって仕方がないせいだろう。
それを見て、そろそろ言ってやろうかと思ったがもう少し黙っておくことにした。












助けてくれてありがとう、
僕のヒーロー。










I am HERO











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