3とある噂を聞いて、俺は祓魔師の者しか知らない塾に足を運んだ。 噂を聞いたのだ。いや、これはもう噂ではない。 サタンの子がここにいると。 しっかりと、あの白いシルクハットを被ったピエロのような奴に聞いたのだ。 大急ぎで任務を終わらせた。 そして急いでその子供のところへと向かった。 この手で殺すために。 「君が、奥村燐君かな?」 中庭になる噴水の場所で座って、ひとりボヘーッと空を見上げていた少年を見つけて、声を掛けた。 声を掛けて振り返ってたのは、耳が少し尖った黒髪の、青い瞳をした子供だった。 これがサタンの子供。それに少し驚いた。 だって、どう見ても普通の子供だからだ。 「そうだけど、アンタ誰だ?」 少し警戒する子供。 俺はできるだけ警戒を解くことができるような、人の良い笑みを浮かべて口を開いた。 「ああ、いきなり声を掛けてすまない。私は祓魔師の者で、君のお父さんの後輩なんだよ」 お父さん、という言葉に奥村燐の警戒心が一気に解けたのが分かった。 念のために言っておくが、藤本さんの後輩というのは嘘ではない。 何度も酒に付き合ったことはあるし、任務も何度か一緒になったことがある。 自惚れかもしれないがもしかしたら友人とも言えるかもしれない。 「君の話は藤本さんからよく聞いてるよ」 もちろんこれも嘘ではない。 酒が回るとすぐに子供の話をするので、どういう子かよく知っている。 「ジ、ジジイから?」 どういうふうに言われていたのかと興味があるのか、期待した目で俺のほうへ視線を向けていた。 子供は単純だ。信頼ある者の名前を出すとすぐに警戒心を解くのだから。 「ああ、よく聞いてた、の間違いか…」 そうだ、彼はもういないのだから。 このサタンの子が殺したのだ。 言い直すと、奥村燐はすぐにシュンとした態度になる。 まるで犬のようだ、と見下げると、落ち込んでいたよ顔がすぐに苦笑いになった。 「へへ、死んじまったからな…」 「……」 子供には、似つかわしくない表情だった。 「なあ、ジジイは…ここではどんな感じだった?」 「そうだな…」 奥村燐は藤本さんのことを聞きたがった。 まあ、この子供がどういう思考を持っているのか俺も興味があった。 それに、殺すのもいいが少しずつ精神的に削っていくのも悪くないと思ったのだ。 この子供は、きっと藤本さんに多大なる信頼を向けているだろう。 なにせ自分の“父親”なのだから。 藤本さんがお前で苦悩していた、とでも言えばきっと傷ついた表情を見せるだろう。 お前を疎ましがっていた、手放したがっていた。 傷つける言葉は幾つでもある。 「強かったか?」 俺が思考にふけっていたせいで、焦れたのか先に奥村燐から質問しだした。 俺は隣に座って一度だけニコリと笑う。 「ああ、強かったよ」 俺が知っている中で最強の祓魔師だった。 きっとあの人以上の人はこれからもいないだろう。 「最強だった。強いだけじゃない、優しかった、冷徹で真っ直ぐで…」 「へへ、想像できねぇ」 笑う奥村燐、そうだ、最強だと信じていた藤本さんは死んだのだ。 この子供のせいで。 こんなちっぽけな存在のせいで。 それを思うと掌に力が篭った。 自分の手を組んでなんとかそれを誤魔化した。 「あんた親父の事が好きだったんだな」 サラリと言われて思わず固まってしまった。 だがすぐに思考が動き出す。 「そう、だな…きっと憧れていたんだ」 そうだ、自分は藤本さんに憧れていた。 そうあらためて認めた瞬間、目頭が一気に熱くなった。 憧れていた、その人が死んだ。 それだけが頭の中にグルグルと回っていた。 そしてその憧れの人を使って、この子供を傷つけようとしていた自分が恥ずかしくなった。 「う、ううっ…」 涙が石段に落ちた。 いい大人が、子供の前で泣いているのだ。 「うわっ、アンタ大丈夫かよ!?」 隣で泣いている俺に驚いて奥村燐が慌てていた。 そりゃそうだろう、大人が泣く姿なんて子供からしたら異様な光景でもあるんだから。 それでも涙は止まらなかった。 「わ、わりぃ…なんか泣かせるような事したか?」 あわあわと慌ててばかりいる子供は背中を擦ってくれた。 それが嫌ではないことに驚いていた。 触られたら呪われる、そう思い込むほど触れられるのが嫌なはずだろう。 だってこの子供は藤本さんを殺したにも等しい存在なのだから。 なのにその擦ってくれる掌に嫌悪感が湧かなかった。 「すまない…」 まだ涙は止まらない。 それでも謝罪だけはした、それは藤本さんにか、それともこの子供にか。 「…少し昔が、懐かしくなって…」 そういう事にしておいた。 やっと涙も止まると、奥村燐はただ苦笑いを浮かべていた。 「もう、戻ってこねえもんな」 昔はもう、戻ってこない。 何をしても戻ってこないのだ。 その言葉が深く突き刺さった。 ここでこの子供を殺しても傷つけても、藤本さんは戻ってこないのだ。 あの最強の祓魔師は戻ってこない。 「君は…」 涙が溜まった瞼を拭って、奥村燐のほうを見た。 彼が視界に入った瞬間、口を開いて固まってしまった。 「ごめん」 謝罪されたのだ。 このちっぽけな少年に。 「アンタの憧れの人、奪っちゃったんだな」 また苦笑い。 けどその笑みは今までの中で一番苦しくて切なかった。 それを見たら、泣いて縋って謝罪したくなるような、そんな思いにさせるものだった。 けど、そんな思いと同時に、なぜか無性に笑いがこみ上げてきた。 「ふはっ、ふ、くくく…!」 「えっ、ちょっ、なんで笑ってんだ!?」 俺は奥村燐を傷つけようと、殺そうとした人物だ。 きっとそのことには気がついていないのだろうが、なぜか殺そうとした人物に謝罪されて腹の底から笑えてきた。 そして笑いで滲んだ瞼を拭って、何か言わなければいけないと思った。 この子供を傷つけようとした、こんな顔をさせた分までの何かをしなければならないと思った。 「ふ、藤本さんは…」 声は笑って震えていた。 奥村燐は困惑した表情のままだ。 「藤本さんは、君のことを…“笑える餓鬼”だと言っていた」 「…えっ?…笑える、えっ?」 「ああ、単純で、明るくて、だけど繊細で…笑える奴だって、ククッ」 「褒められてんのか貶されてんのかわかんねえ…」 笑いがなんとか落ち着くと、彼はまだ困惑したままでいる。 それがまたなんとも笑えて頭を撫でてやった。 「きっと、この世で最高の褒め言葉だよ」 「どうでしたか、奥村燐は」 「藤本さんが言っていた通りの子供でした」 「…そうですか」 フム、と考えるようにして、俺をジロジロと見つめるフェレス卿。 理事長室に呼び出されたから一体なんだと思えば、なぜか俺を見定めるように舐め回すよう見ている。 「…フェレス卿、なぜ俺に奥村燐の事を教えたんです?」 「実は貴方にある事を頼もうと思って教えたんですが…無理なようですね」 「ある事…?」 「祓魔師の教師を頼もうと…」 あと、とニヤリと笑って言葉を続ける。 「サタンの子のアクセル役」 「…なんですか、それは」 フフフ、不適な笑みでフェレス卿が笑う。 この理事長はいつも何を考えているかまったくもって分からない。 「奥村燐に殺意を向ける人物がちょっと必要でね…貴方にしようかと思ったんですが、どうやらもう無理なようなので」 殺意を向ける。 なぜそんな人物がわざわざ必要なのか、まったく分からなかった。 殺意を向ける相手を近くに置くということは、奥村燐の命の危険があるということなのに。 「殺す気ですかっ…!?奥村燐を!!」 藤本獅郎の息子を。そう言うと、フェレス卿がケラケラ笑う。 「滅相もない。奥村燐は我が教団の最終兵器にするんですよ」 そのために必要なこと。 そう彼は言葉を続けた。 「まあ、どうやら貴方は奥村燐に情が湧いちゃったみたいですから、無理みたいですね」 「……」 確かに、今の自分には奥村燐に殺意を向けることは無理なようだった。 きっと彼に刃を向けることもできないだろう。 「…誰に、頼むんですか?」 サタンに恨みを持つものなど、いくらでもいる。 その矛先が奥村燐に行くことも容易に想像できた。 「貴方が、それを知ってどうするんですか?」 「…失礼します」 これ以上話しても教えてはくれないだろう、頭を下げて部屋を出ようとした。 だがドアノブに手を掛けた瞬間声を掛けられる。 「獅郎の息子です。殺しはしませんよ」 「……」 「それに、あんな笑える子供、そうそういませんからね」 「…確かに」 笑える子供、と言われて思わず思い出し笑いをしてしまう。 今は殺さないという彼の言葉を信じるしかなかった。 今度こそ、俺は部屋から出て行った。 また、藤本さんの息子に会えたらいいな、と思いながら。 憧 れ に 涙 し て top |