青の祓魔師



「兄さん、手を出して」

とある休日。いつものようにそれぞれの机に向かって燐は渋々ながらも課題、隣にいる雪男は何かを考えている様子で、何を思ったのか突然そう言いだす。
課題にたいして集中できていなかった燐は特に疑問を持つことなく素直に手を出した。すると雪男は手首を掴み、手のひらを上に向けさせると机の引き出しからカッターを取り出す。
燐はそれに酷く驚いた。だがそのカッターが信じられなくて、雪男がチキチキと音を鳴らしてカッターの刃を出し、燐の手のひらにそれを向けるところでようやく乾いた口から声を出した。

「ゆ、雪男…?」

さすがの燐も雪男のこれからするだろう行動に想像が付き顔を青褪める。だがそれでも雪男は刃を直すことはせず、いつもの柔らかな笑みを燐に向けるだけだった。
それに本気だと悟った燐は掴まれている手を振り払おうと必死に暴れる。だが雪男がそれを許さなかった。

「じっとして、すぐ済むから」

「なにするつもりだよ!?」

「大丈夫だよ。ほんの少し、切るだけだから」

「全っ然、大丈夫じゃねえ!!」

まったくもってその通りで、燐はさらに暴れるが雪男の方が握力が強いのか手を放してはくれない。そうしている内にカッターの刃がドンドン燐の手へと近づいてくる。

燐は考えた。今日、自分は一体なんの失敗をしたのか。
雪男は怒るとそりゃあもう恐ろしい。いつか後ろから刺されるんじゃないかと思うほど。
まさかそれが本当に今から起こるだなんてと恐怖で身体を震わす。やはり課題に集中できていなかったことにたいして怒っているのかと、もっと頑張っておくんだったと少しだけ後悔する。

皮膚に食い込むだろう刃に覚悟を決め、燐はぎゅっときつく目を瞑った。だが覚悟していた痛みとは違い、それはぷつりと小さな痛みを指先に与えるだけのものだった。

「……雪男?」

「少しだけって言っただろ?」

もしかして手首を切られるだとでも思ったの?と冗談めかして言うが、燐には笑えなかった。指先だけの痛みにほっとして緊張していた身体から一気に力が抜ける。
雪男はその間、カッターによって切られた燐の親指を軽く摘まんで血を出させる。そのピリッとした痛みに思わず眉をしかめる。

「一体何がしたいんだよ」

「いいから。このノートに名前書いてくれる?血文字で」

「…血文字で?」

「血文字で」

そう言って真っ黒なノートを燐の机の上に広げる。ここに書いてと、一番初めのページを差す。雪男の有無を言わさない態度に燐は渋々と言うとおりにした。
ピリピリと痛む指先で苦戦しながらもなんとか自分の名前を書くと、次は雪男が自分の親指を噛んでいた。ブチリと嫌な音が聞こえ、燐と同じように血を出させる。
そして燐の机の上に広げてあったノートのページを捲り、そこに名前を書く。

「なあ、お前本当に何がしたいんだよ?」

「終わったら教えてあげるから」

とりあえず今はいう事を聞けという事なのか、雪男はそれ以上何も言わなかった。燐も雪男のいつもとは違うそっけない態度に何も言えずにいた。

「舐めて」

そう言って次は血文字を書いた指を燐の唇に押し付けた。驚きつつもそれを口に含み、舌で掬い取るようにしてやると鉄の味が口の中に広がっていく。
すると雪男も血が止まりかけている燐の親指を口に含み、何度も甘噛みしてまた血を流させる。本当に何がしたいのか分からない弟に燐はただ言われた通りにするしかなかった。

「…んっ、もういいよ」

「ん…」

言われた通り咥えていた指を放すと、自分の唇から親指へと唾液が糸のようにして繋がっていた。それが恥ずかしくて燐は顔を真っ赤にして大慌てで口を拭う。
見ていた雪男は小さくクスリと笑うだけだった。

「…うん、いけたかな」

「……あのさ、まだ教えてくんねーの?」

「ああ、ごめんごめん。突然だったったからビックリしたでしょ?」

「ビックリっつーか、ドッキリっつーか…」

「このノートね、使い魔のノートなんだって」

「…はい?」

意味が理解できないと燐は首を傾げて素っ頓狂な声を上げる。

「一ページ目に使い魔の名前、そして二ページ目に主人の名前を書くんだ。そしてお互いの血を体内に入れる。そうすると契約完了っていうことで、兄さんは晴れて僕の使い魔になるっていうこと」

「いやいやいや…俺、そんなこと聞いてないんだけど?」

雪男の使い魔と言われ困惑する。ただでさえ兄としての威厳を失いがちなのに、双子の兄から使い魔までランクが下がるだなんて。

「だって言っちゃうとやってくれなかったでしょ?」

「当たり前だああああっ!!」

悪ぶれるそぶりも見せず、雪男は爽やかな笑みで答える。燐はそれに憤慨した。
黙って従っていたらいつの間にか使い魔にされていただなんて、怒るなというほうが無理だった。

「っていうか、なんだよその不思議アイテムは!?」

「フェレス卿からの贈り物だよ。本当は手騎士の才能が無くても悪魔を使えるっていう目的で作られたんだけど、ここまでする過程が難しいっていうことでボツになった作品」

「あー、血で名前書いたり舐めたりするもんな。…って、ちがーうっ!!」

そりゃあ難しいよな。なんて納得しかけるが、そんな事はどうでもいいのだ。

「解け!!すぐに解け!!」

いくら最愛の弟だからと言ってもやっていい事と悪い事がある。燐は雪男に今にも掴みかかりそうな勢いで言うが、雪男はニコニコと機嫌が良さそうな笑みを浮かべるだけだった。
まあまあ落ち着いてと促され、雪男はペンを取ると例のノートにサラサラと何かを書く。

「このノートの効果はね、こうやってノートに書くことで発揮するんだよ」

「…お、おま…いま、書いて…」

恐ろしすぎる予想に燐は顔を引きつらせた。そして大急ぎで雪男からノートを奪おうとするが、その行動はどうやら遅かったらしい。

奪い取る前に燐の目の前に出された開かれたノート。そこにはキッチリとした字があり、とても雪男らしい美しい字が並べられていた。
その内容を読んで、燐は青褪めて身体を震わせる。

「なっ、こ…」

声にもならないという状態で、雪男は思わず可愛いなぁとキスをしてあげたくなった。
ノートの中にはあの短時間でどうやって書けたのかという文章が。

「まず最初に、塾が終わると真っ直ぐに帰ること。休日は外に出てはいけない」

見せびらかすようにしてノートの内容を読み上げ、人差し指を一本上げる。

「次に、一人で自慰をしてはいけない」

ゆっくりと二本目の指を上げる。

「僕がすることにいちいち文句を言わない」

三本目の指を上げる。

「最後、どんな命令でも笑顔で受け入れること」

四本目の指が上がり、記されていた最後の命令を読み上げる。燐は正直言うと泣きそうだった。

「ちなみに、命令を一つでも破ったら自動的に尻尾の禁具が締め付けられます」

「なっ、なんでだよ!?」

「それは使い魔である兄さんがご主人様である僕のいう事を聞けなかったっていう罰だよ」

「き、鬼畜眼鏡…!ひぎゃっ!!」

雪男を睨みつけて悪口を言った瞬間、尻尾がギュウッと締め付けられる感触がした。ギリギリとする痛みに身体をくの字に曲げさせると頭の上から雪男の穏やかな声が聞こえる。「ほら、命令を破ったから尻尾がぎゅうってされてるでしょ?」

「い、いだ…ゆ、ゆき…お…」

「ほら、笑って。そして頷けばいいだけだよ」

そしたら拘束も弱まると雪男は告げた。燐は痛みで足の力が入らず、床に膝をつく。
ギリギリと急所を締め付けられる痛みに気絶しそうになるが、それでもなんとか目の前に立っている雪男を見上げた。

「ふっ…ぐ…ゆ、きお…」

「兄さん」

雪男はあくまで柔らかい笑みを向けるだけだった。なんて酷い男だと燐は心の中でこれでもかと罵倒する。
これではどうやってもひとつしか答えを出せないじゃないかと。

「わ、わかっ…た…」

「笑顔」

「わ、わかった…から、ゆきお…」

口角を上にあげて、無理やり笑顔を作る。すると拘束が弱まり、締め付ける感覚が無くなると燐はその場に倒れた。朦朧とする意識の中、燐は頭上にいる雪男を見上げる。

「ゆ、き…」

「兄さん」

雪男は見下げたままニコリと優しい笑顔を燐に向ける。

「命令は絶対だからね」

そう言われて、燐は意識を閉ざした。








2011/08/21

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