青の祓魔師


中学生時代。
無自覚雪→燐









兄には友達がいない。



それは彼が化け物だ悪魔だと罵られているせいでもある。
馬鹿なせいで言葉や知恵が使えず、ただ人並み外れた力で加減も分からず喧嘩をし暴力を振う。
当然の結果とも言い切れるだろう。
血肉を分けた兄弟である僕でさえそう思う。

だが兄が暴力を振るう人だろうがそうでなかろうが、結果は変わりなかったと思う。

例えば、同じように暴力を振るう人だとか、鳩の翼を切るだとか、そういう酷いことをする人でも隣には誰かがいる。
それはただの上っ面だけの付き合いだとしても、確かに血肉を纏って近くにいる存在なのだ。

だが兄にはその赤い血液と心臓を持ったものさえいない。
あるのは痛む拳と地面に落ちてもうとっくに冷えた血の跡だけだ。

それは悪魔だと正体を知っている僕としてはなんら不思議なことではなかった。
所詮人間は人間、悪魔は悪魔。
もしかしたら人間の無意識の内にある本能が兄を異質だと感じ取っているのかもしれない。
まあ、それでもほぼあの暴力のせいで恐れられているのだけど。
本当に馬鹿な兄だと僕は心底思っていた。

だけど、それでも兄さんが自分のために誰かを殴るなんていう事はしないと僕は知っていた。
僕だけは知っていた。
僕だけはずっと知っていたのだ。










「兄さん」

お昼休みに学校の階段で兄を見つけ、特に用事もなかったけど驚いて思わず呼んでしまう。
なぜなら兄さんは滅多に学校に来ないからだ。
いつも朝は一緒にいっているが、途中で違う場所へと行ってしまう。
きっと一人きりになれる場所へと行っているのだろう。
今朝も同じだった。だけどそれでも何を思ったのだろう、今しがた学校の怪談を上っている所を発見したのだ。

「雪男」

兄さんは振り返り、階段の下にいる僕の姿を視界に捉えると驚いたふうにする。
驚くのは僕のほうなのに、可笑しな人だなと思った。

「来てたんだね。一体どういう心境の変化?」

「…別に、たまには行っておかねえとダメかなって思っただけだよ」

どうやら特に理由はないらしい。
言うなればちょっとした焦りだろう。
もうそろそろ行っておかないとダメなんじゃないかという焦り。
いつも不真面目な癖に変な所で真面目なのだ。

「ンだよ、俺が学校に来たらおかしいかよ」

「いいや、嬉しいよ。これからちゃんと真面目に来てくれるならさらに嬉しい」

兄さんの所まで階段を上がろうとすると、なぜか兄さんはさらに上へと階段を上がっていく。
それはまるで逃げるよう。

「…どうして離れるの?」

「…いや、あの」
兄さんは辺りをきょろきょろと何度も確認し、誰もいないことを確かめると階段を一つだけ下りた。
だがそれでもたった一段だけの差では兄さんの顔を見上げる状態には変わりない。
距離も遠いし、逆光でどんな顔をしているのか、何を考えているのかも分からない。

「雪男…学校にいるときは俺に話しかけるな」

「…………は?」

突然の事で兄さんが何を言ったのか理解できなかった。
学校にいるときは、話しかけるな?

「お前頭良いんだから…こういう兄貴と話してるの見られたら、なんつーか…良くないっつーか…」

「どうしてそうなるの?」

兄弟なのだ。
一緒にいて、話して、何がおかしい。
ひとつもおかしくなんてないのに。

「とりあえずだ!学校では俺に関わるな!!いいな!」

そう言って兄さんは乱暴に階段を駆け上がった。
僕も後を追おうとすると、また乱暴な音をたてて戻ってくる。

「俺のことは他人だと思え」

そう言い残してまた階段を一気に駆け上がっていった。ドタバタと忙しい兄だと思う。
今度は後を追いかけようとは思わなかった。

他人だと思え。

その言葉が脳内に響き渡る。
まるで巻き戻し以外の方法を忘れたビデオみたいに。
グルグルと何度も何度も。

兄は、兄は僕と双子だという事を否定したのだ。
それが少なからずショックだった。
唯一の繋がりを拒絶されたみたいで。

「奥村くん」

すると数人の女子とこちらの様子を伺っていた。
一応何人かは見知った顔だが、それでも知らない人までいる。

「さっきのってお兄さん?」

「はい、そうですけど」

すると女子たちから驚きの声が上がった。

「全然違うね」

「あんまり似てないっていうか」

「奥村君のほうがかっこいい」

「お兄さんはちょっと不良っぽいっていうか」

「そういえばお兄さんって確か…」

「あ〜、ちょっと前に暴力問題起こしちゃった…」

そうすると僕を置いて盛り上がっていた筈の話が一気に静まる。
それは明らかな失言だった。

だけど仕方がない。
兄が問題を起こしたのは紛れもない事実なのだから。
男子生徒五人をボコボコに殴った。事実は簡単で明確。
だけどそこには入れ忘れている真実のワードがある。
体育館裏で虐められているのを見かけた兄がその人を助けようとしたのだ。
虐めをしていたのがその五人組。

だが真実はどうねじ曲がってか、兄がいきなりその五人組に殴りかかってきた事になっている。
真実を知っているのは兄と、僕と、五人組と、その虐められていた人だけというごく僅かだ。
五人組は口裏を合わせ、虐められていた人は怯えて口を閉ざす。
僕は兄の口から聞いただけの第三者の立場なので信憑性が無い。
そうすると自然と兄だけが悪者にとなるのだ。

僕が思考に耽っていると、女性たちは全員僕の顔色を伺うように固まっている。

「…兄が、暴力を振るったのは本当ですから」

なるべく柔らかく、苦笑いを浮かべてそう答える。
すると全員明らかにほっとしたのが分かった。

「けど奥村君、あんまり関わらないほうがいいんじゃない?」

それはよく知らない子だった。
ハッキリと物を言う人なのか、長い髪を掻き揚げて僕を見上げる。

「噂じゃ危ない人なんでしょう?」

「危ない人だなんて、そんな事ないですよ…」

優しい人だと答える。
そうするとその人は納得できないのか不服そうな顔をした。

「お兄さんのせいで、奥村君に悪影響が出たらやだよ。それにお兄さんの喧嘩に負けた腹いせに、奥村君がいじめられちゃうかも」

そんなのやだな。

なるほど、そういうことかとようやく納得した。
兄さんがなぜ学校では僕と距離を置こうとするのか。

その人は掻き揚げた長い髪を綺麗に手入れされた指でクルクルと弄りだす。
ああ、この人は優しい人なのだ。
これは僕を心配してくれているのだ。だからこの人は優しい人なのだ。
僕は無理やりそう思い込もうと、喉まで出かかった汚い言葉を飲み込んだ。

だがそれでも漏れだす僕の雰囲気に別の人が気づき、髪を弄っていた人の頭を軽く叩く。
「痛い」とその人が文句を言うとヒソヒソと小声で説教を喰らっていた。

「けど偉いね。奥村君」

なるべく雰囲気を変えようとしているのか、女性のうちの一人が明るくそう言う。

「学校でもお兄さんに気をかけてあげてるだなんて」

「そんなことは…」

「そうだよ、すっごい偉いよ!」

「優しいよね」

「奥村君、優しい」

次々と「偉い」だとか「優しい」だとかの単語が女子たちの間で飛び交う。
褒めてくれるのは嬉しいが、なぜか僕は素直に喜べなかった。

「お兄さんとは正反対」

その言葉に顔が強張った。だが次は誰も気が付かない。
きゃっきゃっと何かを話し続け、笑顔をまき散らしている。
なんだ、こいつらも結局は一緒じゃないか。
ただそれが悲しくて、少しだけ憎い。

もしも僕が優しい人で、あの人が優しくない人なら、この世界はおかしいと思う。
僕が優しいなら、優しかったら、あの背中を終えた筈なのだ。
階段を駆け上がるときの、あの孤独な背中を。

学校では話しかけるな。
他人だと思え。

その言葉がまた頭の中で再生される。

「…それでも、あの人は僕の双子の兄だから」
















燐がまた喧嘩した。

帰ってきて早々、神父さんの口からため息交じりに聞いたのはそれだった。
僕はこれを聞いたとき、「ああ、またか」と思っただけだ。
喧嘩をするなんて日常茶飯事の兄だ。珍しくもなんともない。
それに今日は学校に行ったのだ。
頭の隅でもしかしてとどこか予感はしていた。

「雪男、帰ってきて早々悪いが、手当してやってくれないか」

「いいよ、兄さんは部屋?」

「いんや、台所」

わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でると救急箱を手渡され、神父さんは去っていく。
きっと教会のほうだ。神父の仕事だろう。
祓魔師のほうの仕事ではないことはなんとなく分かっていた。
歩くとき、いつもよりもゆっくりとした歩調だからだ。

僕は神父さんに言われた通り、救急箱を持って台所に向かう。
すると予想通り、怪我をした兄さんがテーブルの上に座っていた。

「…兄さん」

「…雪男」

バツの悪そうな顔。
一度だけ僕を見ると気まずそうに視線を逸らす。

「また喧嘩したんだって?」

「うるせーよ、メガネ」

「次は何?」

「………カツアゲされてたから」

「だからって、何でも暴力で済ますのはよくないよ」

呆れが気味にそう言ってやると明らかに沈み込む。
きっと情けないだなんて思っているのだ。
僕にとっては誇りである筈なのに。
いつだって誰かのために何かをしようとするこの人の弟だということが。

救急箱を兄さんが座っているテーブルに置き、蓋を開けると嗅ぎ慣れた薬品の匂いが一気に解放された。
日常から色んな薬品を使い、医者を目指す僕にとっては落ち着く匂いのひとつだった。
手慣れた手つきでガーゼや消毒液を取り出す。

「もう少し穏便に出来ないの?」

「仕方がねえだろ…」

「だからって喧嘩ばっかりして…」

「うるせえんだよ!!」

手の傷を消毒しようとしていた手を払い落とされる。
それに驚いたが、もっと驚いていたのは兄さんだった。
「あっ」と言う感じの顔から「やってしまった」と言う表情になる。

「…ごめん。心配してくれてんのに、八つ当たりしちまった」

「いいよ、別に」

気にしてない。
そう言うがそれでも兄さんの表情は沈んだままだ。
払い落とされた消毒液が台所の床に転がる。
僕はそれを拾い、何も言わずに兄さんの傷口に吹きかけてやった。

「いって!やめろって!!」

「痛い?」

「痛いって言っただろうが!」

「仕返しだよ」

「〜っ、くっそ〜…」

染みる傷を耐えているのか目をギュッと瞑る。
僕はその間もテキパキと手当していく。
なるべく丁寧に、できるだけ優しく手当をしてあげた。

「…ねえ、兄さん」

「なんだよ」

「兄さんに友達っている?」

「…お前なぁ、いるように見えんのか?」

「見えないね」

嫌味な奴だと口を尖らせる。
嘘でも意地を張っていると言ってしまえばいいのに。
そうしたら誰にもとりあえずは友人関係について心配なんて掛けるなんてことはない。
なんて素直な人だと思った。

「もしかしてお前友達いねえのか?」

「なんでそうなるのさ」

「いや、だってそんな事いきなり聞くから」

「悪いけど、僕は兄さんと違って友人には困ってないから」

「ならいいや」

サラリとそんな簡単な一言で終わらせてしまう。
それが悲しかった。

噛みついてくればいいのだ。
厭味ったらしいだとか、生意気だとか、俺だって友達ぐらい直ぐに出来るだとか言って文句を言ってくればいい。
そしたらこんなに悲しくならなくともいいのに。
そんなふうに、諦めているようにしないでほしい。

「独りは辛い?」

「…別に」目を逸らした。
素直だと思うと同時になんて分かりやすく嘘をつく人だとも思った。

兄さんには友達がいない。
出来る筈がない。
だって彼は悪魔で、周囲からは怯えられる存在なのだから。
至極当たり前のことで、そして悲しい事だった。

今日の出来事の事を思い出す。
僕の周りに集まった女子たちから見る兄さんの姿。

酷く暴力的な問題児。
僕に迷惑を掛けている存在。

そして兄さんから見ても自分の姿がそう見えているのだろう。

「僕、兄さんの事好きだよ」

「…な、なんだよ突然」

あまりにも突然すぎる言葉に驚く兄さん。
まあ、確かに脈絡のない突然すぎる言葉だから驚くのも無理はないだろう。
しかも好きだと目の前で言われているのだから。

「兄さんが傷だらけの理由だって、僕はちゃんと知ってるから」

だから僕は兄さんが好きだよ。
そう言ってやると兄さんはまだしばらく驚いた表情をしたあと、ふにゃりと顔を緩ませた。
嬉しそうではあるが、どこか悲しそうでもある、そんな表情。

「あんがとな」

「…どういたしまして」

どうやら僕の言葉ではダメらしい。
兄さんがもっと兄さん自身を優しくするのには。
きっと弟だから気を使われているのだと思っているのだろう。
勘違いもいいところだ。

いや、もし僕のこの言葉を信じていたとしてもきっとダメだ。
きっと弟ではダメなのだ。
この時ばかりは唯一の繋がりである弟という存在が邪魔だった。

言うなれば友人。
孤独な兄には友人が必要なのだ。

だが兄に友人が出来るだなんていうのは無理だった。
完全に問題児として周囲から敬遠されている存在であり、学校内の噂は最悪だ。
そんな人に好んで近づいてくるとなると碌な人間じゃない。

だったらと考える。

「…はい、手当ては終わりね」

「おお!サンキュー!」

包帯を巻かれた両手を眺めて僕をベタ褒めする兄さん。
だが僕はそんな言葉は右から左で、すぐに救急箱を持って立ち上がる。

「兄さん、ちょっと待ってて」

「別にいいけど、まだなんかするのか?」

まだやり残しがあるのかと自分の身体を見回す。
身体の手当の方はもう終わっている。
だからもっと別の用事なのだ。

「直ぐだから」

そう言って部屋を出て行くと僕は早足で洗面台へと向かった。
鏡に向かうといつもとは違う、キッチリとした制服の恰好ではなくもっと崩した格好にし、頭の方も崩してみた。
そして洗面台の脇にチョコンと置かれている誰の物かも知らないワックスに目がいき、それを少し掬って頭に付けて跳ねさせてみた。
慣れないながらもなんとかそれらしいものになるとまた鏡を眺める。

「…こんなもんか」

そしてまた兄さんのいる部屋へと戻った。
だがドアノブに手を掛ける前にその手を止める。

ある意味僕の特徴のひとつでもある眼鏡。
それを外し、胸ポケットへと入れる。

見えない。
だけどとりあえずは弟の雪男とはかけ離れた姿に見えるだろう。
そして今度こそ扉を開けるのだ。

「おー、ゆき…お?」

「どうも」

見えないけど、それでも想像できてしまう兄さんの驚く姿。
きっと目を見開いて驚いてる。

「えっ、なんでそんな丸々変わってんだよ!?一瞬誰だかわかんなかったじゃねえか!」

「おかしくないかな?」

「おかしくはねえけど。いや、むしろ似合ってるっつーか、そういうのもアリっつーか」
「ならよかった」

目を細めて笑う。
少し手探りで兄さんの傍に行くと、同じようにして机の上に座る。

「…お前がそんなふうにして座るの珍しいな」

「今は違うから」

普段の僕だったら必ず椅子に座る。
机の上にだなんて座らないし、椅子だって近くにあるのにあえてここを選んだ。

「今は、そうだな…雪男じゃないから、“ユキ”にしよう!」

「はあ?お前は雪男だろ?」

「だから、今は雪男じゃなくてユキなんだよ」

「…えーっとだな、ユキ君。お話が全然見えん」

「この姿の時、僕は“ユキ”で、そして兄さんの友達だよ」

「…友達?」

「そう、友達のいない可哀相な燐君のために僕が…いや、俺が友達になってやるよ」

「いやいやいや、意味がわかんねえよ!」

「分からなくていいよ。ぼ、俺の勝手な自己満足だからな」

「く、口調まで変えんなよ」

雪男じゃないと兄さんは騒ぎ出す。
そんな無駄に騒ぐ兄さんを僕は横から抱き着いて押さえつけてやった。

「喜べ、燐。今日から俺が友達だぞ」

肩に顎を置いてそう囁いてやると兄さんは直ぐに大人しくなった。

「…ともだち」

「そっ、友達」

「…ちょっとの間だけな」

ようやくユキの存在を認めてくれたのか、兄さんは「とりあえず放せ」と腕を叩いた。
だがやはりそれは弟の遊びに付き合う兄の姿に近かった。
どうしても兄弟から友人という枠への移動はできそうにないようだ。
それもそうかと納得する。

なぜならユキの状態の僕も相手の事を兄さんと認識している。
いくら口調や姿形を変えようが変えられないのだ。
やはりただの自己満足だと思った。

「それじゃあ、友達らしく…俺の部屋で遊ぶか?」

けど以外と兄さんも乗り気のようだ。

「うん、遊ぼう。燐」



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